第4話

 エールがだんと激しくテーブルのうえにおかれ、ぼんやりと夢想していたルーの目を覚まさせた。


 気付くと、酒場の女がじっとルーをみつめていた。女はにっこりと笑い、「お疲れさん」といった。


 女は若く、ビオリナ特有の顔をしていた。額がひろく、あごがとがり、小造りの面持ち。長い金髪の巻毛をしどけなく結い、深く青い瞳をしていた。


 一瞬、目があい、女はすぐに背をむけて、ほかの客のところへいってしまった。


 ルーは知らず知らず女の姿を目で追いながら、グラスに口をつけた。真っ黒いエールはまろやかで、体がほてるには弱かったが、舌を楽しませてくれた。


 そして、ようやく、ルーは女に酒代を渡すのを忘れていたことに気付いた。


 話しかける機会が思いがけず転がりこんできた。ルーはにんまりと笑うと、エールに見合うだけの小銭をとりだし、「姐さん、おい、ちょっと」と呼びかけた。


「はぁい?」

「これはいくらだね?」


 女は赤い唇をひきのばしてにっこりと笑い、「お代はいいって。旅の途中なんだろ? 一杯くらいでつぶれやしないよ、こんな店」


 ざわめきのなか、よく通る高い声がこたえたものだから、どこからか、「このうすらとんかちが! こんな店とはなんだ、こんな店とは!」と、しゃがれた罵声が返ってきた。


 女は声を低め、「お客さん、気にしなくったっていいからね、売りもんになるような酒はろくにそろえてない店だから」


「いや、飲めるよ」


 ルーは笑いながら、エールのグラスを軽くかかげた。


「いやだ、また信望者が増えちまったよ。この店の酒、なんかまぜものがあるんじゃないの?」


 ルーは女の体にさりげなく視線を落とした。うえからしたへと。


 女の胸はぴっちりとした毛皮ではりつめ、豊かな影をつくっていた。帯でとめられた腰は細く、尻は熟れた果実の形をしていた。ドレスのすそからかいまみえる白い足が、やけに生々しかった。


 女はルーの視線に気付き、「なぁに? こんないい女ははじめてみたって目付きだね?」と、笑いかけた。


 ルーは満足のていで目元をゆるませて、エールをひと口すすった。


「お客さん、どっからきたの?」

「ケラファーン」

「へぇ、じゃあ、追い狩りからすっ飛んで、こっちにきたのかい?」

「いや、僕は追い狩りには参加しなかったんだ」

「なんで、また?」

「ちょっとね」 


 わずかに女はコケティッシュな笑みを浮かべ、まえかがみになって唇をルーの耳元に寄せた。


「あんた、一日中、神殿のまえに座ってたろ?」


 ルーは片眉をあげ、女をみやった。


「そうだが、姐さんもならんでたのか?」

「あたしはあそこを往復しただけさ、朝と夕にね。そんな野暮ったい格好してりゃ、だれの目にだってつくさ」


「こんないい女がまえを通ったっていうのに、なんで気付かなかったんだろう」と、ルーが冗談めかして笑うと、女もつられて微笑んだ。


 女はふいに手をのばし、狼の毛皮を引っぱって品定めするようにながめた。


「これ、なんの毛?」

「狼だよ」

「あんたが殺したの?」


 ルーは何度もこたえてきた言葉を女にもかえしてやった。


「そうだよ」

「あったかいのかい?」

「きてみるか?」


 すると、女はくっと眉間にしわを寄せ、「やだよ、こんな臭いの!」


 ルーは笑い、エールをすすった。


 「なんだい、せっかくおごってやったってのに、しけた飲み方するんだね? ぐっといきなよ、ぐっと」

 「この店、どのくらいまで開けてるんだ?」


 見当ちがいなこたえに、女はきょとんとしたが、「そうだね……この時期は明け方近くまでやることもあるね……けど、あたしは夜半過ぎに帰っちまうし、よくわかんないねぇ……」


「それまでこの一杯をもたせないといけないんだ」


 ルーは苦笑った。


 女も納得がいったらしく、笑いながらかなり強くルーの背中をはたいた。


「泊まるとこも金もないのかい? それで朝っぱらから順番を待ってたのに、ちっともさきに進めなかったんだね」

「恥ずかしながらそのとおりなんだ」


 女は腕を組み、じっとルーを値踏みするようにみつめた。小首をかしげて考え耽るさまは妙に愛らしかった。


「なんだね?」

「あたしんとこに泊めてやってもいいんだよ、せまいとこだけどね」

「それではお言葉に甘えて」


 女は、あがりの時刻になったらまたくると告げて、仕事に戻った。


 ルーはやったとばかりにこぶしを握り、だいぶん残っているエールを、グラス半分まで一気に飲み干した。






‡‡‡






 帰りじたくをすませた女がやってきて、ルーの腕を引いて店をでようとした。


「おい、まてよ」


 ふいに店の奥から声がかかり、ルーと女は振り返った。


 奥から酔っ払ったビオリナの若い男が、足をもつれさせながらあらわれた。


「おい、姐さん、今夜は俺といっしょに帰るんじゃなかったのか? 約束破っちゃいけないなぁ」


 女は眉を険しく寄せて、「うるさいね! あたしはそんなことひとことだっていっちゃいないよ! 酔っ払い! あっちへいっちゃいな!」


「どういうことなんだ?」


 ルーは女の耳元でささやいた。

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