第6話
「そうよ、あんた以外にだれがいるっていうのさ」
「そうだな」
ルーは肩をすくめて、男にむきなおった。
「だそうだから、出直してこいよ」
酔っ払った男は大声で「あー?」とどなった。
「出直してこいよ!」
「聞こえないなぁ」
そして、男はどんとルーの胸を突き飛ばし、女の腕に手をかけた。
ルーは二、三歩よろけたが、すぐさま男の胸ぐらをつかんだ。
「礼儀がなってないな。阿呆なカリブーより始末に負えないぞ」
「なんだ? 威勢だけはいいが、力が抜けてんじゃないのか?」
男は地についた足を踏み鳴らして、小馬鹿にしたように鼻で笑った。
たしかにもちあげることはできないが、脅すことはできる。ルーは腰にさした大きな剣を抜いた。
「あしたから女のかっこうでもしてくるか、手伝うおうか?」
剣が鋭く青光りして男の股間にあてられた。
男の顔から血の気が引いていき、「なんだい、むきになるなよ、冗談じゃないか」と、ルーの手を振りほどいて、あわてて店からでていった。
一部始終を見物していた酒飲みたちは、陽気に野次を飛ばしていたが、ふたりは一顧だにせず、店をあとにした。
薄暗い通りを身をすり寄せあって歩いた。すこしばかり背の高いルーの腕に、女はしっかと細腕をまきつけて、力まかせに引っ張っていった。
しばらく歩いて、女の家についた。
女の家は立派な門構えをみせる屋敷だった。酒場の女には身分不相応な家屋をみて、ルーは声をひそめてたずねた。
「まさか、先客がいるなんてことはあるまいね」
女はみじかく笑い、「ご勝手に想像してみれば?」と、ルーのたじろぐ体を引っ張った。
どことなく、女のようすがちがってきた。はすっぱな口調ががらりとかわり、堅い感じの町娘の印象が濃くなった。
導かれるままに屋敷の敷居をまたぎ、灯火のない廊下を突き進み、階段をのぼっていった。部屋の扉が開かれ、ルーはそのなかへ放りこまれた。
「灯と食べ物をもってくるわ」
女が去ったあと、青い薄明かりのもれるカーテンを押しひろげた。
青みがかったガラスに傾いた太陽のほのかな光が映り、風景は淡いラベンダーに染まっていた。頼りないオーロラのすそもが空にたなびき、ゆらめいている。
「なにをみているの?」
ものやわらかな口調で女はたずねた。
女の声にルーは振りむいた。
女は髪を長々とたらし、白いローブにきがえ、左手に灯火、右手に皿をもってたっていた。
「お酒がほしければ、棚にデカンタがおいてあるから、勝手にやってて」
女は給仕しなれた物腰で、てきぱきとテーブルに灯火と皿をおいた。クローゼットから男ものの夜着をとりだし、つかつかとルーに寄ってきてぽんと手渡した。
「これをきなさいよ、あなた、すごく臭いのよね」
「あ、ああ」
ルーは、手のひらを返すようにそっけない態度の女に気押されて、あいまいにこたえた。
「お湯は、となりの部屋に暖炉があるからそこでつくって。水は土間の井戸で汲んで。お湯くらい自分でわかせるでしょ」
でていこうとする女に、ルーはあわてて声をかけた。
「やけにそっけないじゃないか? いっしょに酒でも飲まないか?」
女はあからさまに軽蔑の視線をルーに送った。
「お安い女だと思ってるようだけど、人の親切につけこまないで」
ルーはぐっと押し黙り、驚いて女の顔をみつめた。
「さっき、いやな男を追い払ってやったじゃないか。僕は恩人ってことじゃないか。もっと優しくしてほしいな」
「恩着せがましいわね。しようがないじゃない、あのいやな男をつっぱねる理由がほしかったんだから」
ルーは女の困ったようすが手に取るように想像できただけに、親身になってうなずいた。
「まぁ、それはよくわかるよ」
それなのに、女はつんけんと険しく目をとがらせ、「なんにもわからないくせに、わかったふりなんてしなくてもいいのよ」
ルーは女に歩み寄り、小首をかしげて顔を寄せた。
「なにを怒ってる?」
「あなたを紳士だと思ったから、連れてきたのに。ケラファーンの男って、みんな野蛮人ね!」
「紳士な男なんているのか?」
ルーは、女の品のいいローブの刺しゅうに指をすべらせ、「この刺しゅう、ちょっと縫い目が粗いな……あんたがやったの?」
「ち、ちがうわよ。街の仕立て屋に注文したのよ」
急にはなしをそらされ、女は気が抜けたような口ぶりでこたえた。
「国じゃ毎日こういう手習いをやってたんだ。意外に器用なんだ、縫ってやろうか?」
「針子でもしてたの? 女の仕事じゃないの?」
「女のすることもできるんだ、見直した?」
女はルーの無邪気な笑顔に戸惑って黙り込んだ。
「どこがどう悪いのか、教えてやるよ。ほら、ちょっと貸してみて」
そういいつつ、ルーは女のローブのえりに手をかけ、ゆっくりとはだけさせた。
女はルーのはなしが飲みこめず、ぼんやりとなされるがままでいた。
ルーは微笑み、女の戸惑いにつけこんでその白いうなじに唇をあてた。
女はきゃっとばかりに身をこわばらせ、力いっぱいルーの横っつらを張り飛ばした。
「信じられない! なんてやつなの!?」
女はヒステリックに叫び続け、扉も閉めずに廊下をばたばたと駆けていってしまった。
女とは思えない怪力に目の前がくらくらとした。
戸口にしばらくもたれかかり、はじめて拒絶されたことに、ルーは動揺していた。なにがいけなかったのか見当もつかなかった。しかし、冷静になってみると、あそこまで激しくはないが、自分も女であったころなら、強引な性交は断固として拒絶していただろうと、思い出せた。
自分のこっけいさが妙におかしくなって、ルーは肩をゆらして笑った。
いわれたとおり、湯をわかして行水し、体にこびりついた垢を石鹸でこそぎおとした。久しぶりに生身の体臭を嗅いだ。すえた腐敗臭は垢とともに湯に流れ、用意された清潔な夜着に身をくるむと、あたたかい寝床にすべりこんだ。
‡‡‡
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