第5話
凍った衣服をそりのうえにどさりと放り、大胆に老従者の肌着に手を突っこんだ。ぎょっとするほどその胸は硬く、木かあるいは石のような感触だった。
剣と弓をコートのベルトにはさみ、四肢を天へ直立させて死んでいる狼の死体に近づいた。
死体は岩のようだった。剣を突きたてると刃こぼれしそうだった。皮だけが素直にはがれてくれるとは、とうてい思えなかった。途方に暮れていると、オムホロスがいった。
「手伝いましょう」
土人形は死体のまわりをよちよちと巡り、自分の粘土をちぎっては投げしながら、呪文をつぶやいた。死体を支配する四大精霊のひとつが譲歩して去っていった。死体は驚くほど柔軟になり、まさに死んだばかりのようになった。
ケセオデールは苦もなく皮をはぎとり、生皮の面を硬い雪にこすりあわせて、へばりついた肉をこそぎとった。皮をはぎとった狼の体から腐敗臭がただよいはじめ、赤身がどす黒く変色していった。
驚いているケセオデールにオムホロスは説明してやった。
「四大精霊のひとつが死体の腐敗を妨げていたのです」
簡易ななめしの処理をし、こんどはぬれた毛皮の衣服を指さして、「オムホロス、これも乾かしなさい」と、ケセオデールは命じた。
「ご自分でおやりなさい。それはできるはずですから」
オムホロスのそっけない返事に多少むくれて、ケセオデールは枝をさがしに林へ足をむけた。
‡‡‡
かぼそい炎でケセオデールが毛皮を乾かしているあいだ、オムホロスは意識をネクアグアの自分の体に戻した。
ひと息つき、みずから張り巡らせた結界を解くまえに、細かい点検をした。案の定、小さな鼠とりじみた魔術の罠がはさみこまれており、オムホロスは炎の使役霊によって焼き切った。
いまのところ、ちょっとした保身のためにエレメンタルを使役できるていどにはなっていた。だが、そのていどで対抗できるということは、まだ魔法使いが遊びに興じているというだけのこと。いつでもオムホロスを殺せるという魔法使いの自信が、オムホロスを生かしているに過ぎなかった。
魔法使いがホムンクルスだとわかって以来、ゴドウのもとへはおとずれていなかった。あの時間は、オムホロスにとって唯一無防備になるときだからだ。
つぎにゴドウのもとをおとずれるのは、春ひさぎの少女がみつかったとき。
そして、それが最後の逢瀬になるだろう。
ゴドウは助からぬ。それだけははっきりとわかった。
しかし、オムホロスに悲しみはなかった。ホムンクルスの完全体に渇望する本能が、ゴドウに対する執着よりも勝っていたのだ。
気なぐさみでしかなかったが、身代わりの人形を数体つくり、研究室のよくいく場所に隠しておいた。そうすることで、そこでうける魔法使いの攻撃を人形でかわすことができるのだ。
整理することを断念してしまった本の山のすきまを歩き回り、ホムンクルス、またはモロについての文献をさがした。モロについてはかなりのことがわかった。元来、魔法使い自身がモロの司祭であることからして、その情報量はたいしたものだった。
魔法使いはオムホロスが不利になるように、あらゆるホムンクルスについての書物を隠してしまったようだった。
ひたすらオムホロスは魔法使いのいく先々をさぐれるように、みえない糸を張りまくった。魔法使いがそれに引っかかるたびにその映像を呼び寄せ、そこの場所をくまなくさがした。そのことは当然魔法使いには知れていて、そのたびにげらげらと下品な声を投げかけられた。
魔法使いはどうやってマスターを打ち負かしたのだろう。なにかひとつぐらいは手掛かりがあるはずだった。
オムホロスは手頃な守護魔法の本を数冊かかえると、自分の研究机へ戻った。
地図をのぞきみると、ケセオデールはあいかわらず退屈そうに火のまえにうずくまっている。
オムホロスは犬ぞりでのカタルガまでの所要日数をわりだしてみた。半年どころか一年以内でも、とうていたどりつけないとわかった。
「ケセオデール、犬は捨ててかわりのものでカタルガにむかいましょう」
ケセオデールは驚いて、土人形をみた。
「急に話しかけないで。さっきまで単なる土くれだったくせに」
オムホロスはかまわず続けた。
「いまからキメラを送ります。それにおのりなさい」
「ずいぶん親切じゃない」
「はやければ、はやいほどよいでしょう?」
「そうね」
ケセオデールはお姫さま育ちであったせいか、他人のいうことを鵜呑みにしてしまいがちなところがあった。
返事はしたものの、火のまえから動こうとしない王女を見張りながら、オムホロスは手早く粘土でキメラの人形をつくっていった。
なかに風の使役霊をこめ、土人形とおなじようにオムホロスの命令で働くように仕上げた。
それを地図からケセオデールのもとへ送り込んだ。地図の面がさざ波だち、ずぶずぶとキメラ人形は沈んでいった。
‡‡‡
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