第4話
少年の顔がこの言葉にこわばり、すっと土人形から目をそらして前方をむいてしまった。長い沈黙のあと、「あたしは魔法使いというものをまだみたことはないけれど、あなたがそうなの?」
「おそらくそうでしょう。ところであなたの名前は?」
「名前くらいわかっていると思っていたけど」
「万能ではないのです」
「ケセオデールよ、ほかにはなにを知っているの?」
「なにも」
オムホロスにとって少年について知りえることはなにひとつなかった。いまでさえ、相手の話からでないと詳しい情報すらえられない。ケセオデールにはそれはおかまいのないことらしく、自分の心の奥底の疑問に引っかかる言葉に反応して、みずからいろいろと話しはじめた。
そのことからあるていどのことがわかり、オムホロスは少年にひさぎ女とおなじような性の混乱が生じたことを理解した。いまここで、その保持者は自分であると名乗ってしまうと、おそらく少年はいうことを聞いてくれなくなるだろう。それはおおいにありえた。
しかし、それでは困るのだ。なんとしても、ひさぎ女のもとまで少年にはいってもらわねばならない。しかも半年以内に。
それはすべてオムホロスの飢えて焦らされた女性体のため、取り憑かれ解放を願って苦悶するゴドウのためであった。
「もうすぐ国境ですよ」
オムホロスは地図上のケセオデールの幻影を目で追いながら告げた。
‡‡‡
ケセオデールはそう教えられ、なにげなく空をあおいだ。
オーロラが北の天穹のはしでわなないている。どんよりと重たい灰色の雲の間隙を、黒い塊が移動していく。天上に双神が浮かびあがり、強風をあおりつつ、そりからかなり離れた林に舞いおりた。
暗い空のしたで、双神の肌は鈍く沈み、さざなみだつなめらかな皮膚が宝石めいた光沢をはなっていた。イイオルーン・マイオーン神は完璧な裸身を冬の夜のしじまにさらし、背の巨大な青い翼をたたんで、じっとケセオデールたちを見下ろした。
イイオルーン神がなにやらつぶやいた。氷河のひび割れる音ににていた。人間の理解できる音域から、とてつもなくかけ離れた言語。
しかし、土人形のオムホロスにはわかったらしく、精いっぱいにせた言葉で両性具有神にこたえた。
マイオーン神が身振りをくわえて、吹きすさぶ風ににた声でいった。嵐の声だった。
オムホロスはそよ風のようなおだやかな風でこたえ、双神に事情を説明した。
「さぁ、次はあなたの番です」
ケセオデールは呆然と双神の姿を見上げていたが、ふるえる声で叫んだ。
「あなたの民です、イイオルーン・マイオーン神。いけにえをささげました、いまはもっておりませんが。でも、どうかあたしの願いをお聞き届けください」
イイオルーン・マイオーン神は物珍しげな表情を浮かべた。ケセオデールは双神の無邪気な反応をみて安堵した。
「あたしは男のファルスを奪われた女です。あたしのファルスがいまどこにあるのか知りたいのです。できればそこにいって、とり戻したいのです。どうかその場所をお教えください」
イイオルーン神は自分の小さき民のために音域をさげ、「知らぬ。しかし、カタルガのツァカタンなら知っておろう」とこたえた。
「カタルガとはどこです?」
マイオーン神が南を指した。つられてケセオデールは南をみつめた。
「感謝いたします。さっそく南へむかいます」
一陣の風が吹き起こり、ケセオデールは顔を風からかばった。顔を起こしたときには、イイオルーン・マイオーン神はすでに紺色の空へ飛びたち、けし粒のように小さくなって消えた。
ケセオデールはかけ声とともに犬ぞりを景気よく走らせた。気がはやり、発作的に行動に移っていた。やみくもにそりを駆りたてていると、「ちょっとお待ちなさい。あなたはカタルガがどこにあるのか知っているのですか?」と、土人形がといかけてきた。
「知らないわ」
「それなら、そのまえにもっと重装備をなさい。そんななりではカタルガにつくまえに飢え死にするか凍死してしまいます」
「そうね……」
ケセオデールは犬をひっぱたくつなをゆるめ、考えた。
「でも、城には戻りたくないの……戻らずにすむ方法を考えなくては」
犬は忠実にそりを走らせ、きた道を戻っていった。
昨晩は雪がふらなかった。
暗い楓と松の林の近くでおこなわれた狼の狩り跡が、いまだに残っていた。食い散らかされた肉片があちこちに散乱し、凍りついて雪のうえに突き刺さっていた。何頭かの狼も死んでいるが、こちらは手つかずのままだった。
犬たちはそりを引くのをやめ、同類の肉片をかまわず口に含み、はぐはぐと食いはじめた。
ケセオデールはそりをおり、老従者の残骸のそばにたたずんだ。土人形がケセオデールのうしろから声をかけた。
「ケセオデール、その服をきて、狼の皮をはぎなさい。それしかありませんよ」
ケセオデールは長いこと考えこみ、しかたなくうなずいた。
死体の衣服は恐ろしく冷たく、雪にぬれ、凍りついていた。
狼の牙によって穴があいていたが、たいしたものではなかった。だが、このまま着込むのはためらわれた。
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