第2話
ケセオデールの目に、老人の顔と夫の顔がかさなった。
老人と夫のもつ雰囲気が、どことなくにていたせいかも知れない。
さいわいその日は吹雪かず、天候のかわるようすもなかったので、老人は犬を連れて狩りにでていった。
ひとり残されたケセオデールは、老従者が戻ってくるまであたりをぶらぶら散策した。
つもった雪のなかでは体が思うように動かなかった。
近くの楓の木を手折り、たれてくる甘い樹液をなめながら、火がつくかどうかためしてみた。結局火はつかず、小枝を幾度も折ってしゃぶっていた。
まもなく老人が兎を二匹手にぶらさげて戻ってきた。一匹は喉元からかみちぎられていたので、犬がとらえたのかとたずねたら、「いやいや、狐が食わえとったのを犬をけしかけて失敬したんですわ。たまにはそういうこともあるんだとね」
老人を取り巻く犬たちが哀れっぽい鼻声でねだっていたが、ふたりが食べ終わるまでははらわたにさえありつけなかった。
乾いた小枝をぱちぱちいわせて、火花がはぜている。とっくに夜は更けているのか、夕暮れ色の空ではうかがい知ることもできなかった。
「王女さま、食べ物がなけりゃ、あたしら、これ以上さきに進めません。観念なさってお城に戻りましょう」
ケセオデールは老従者の忠告を渋ってみせた。ケセオデールもこの探索に無理があることを認めざるを得なかったが、うわさと女の巣窟のことを考えると戻る気がとたんに失せた。
老従者にはあからさまにうんざりした顔をされてしまったが、ケセオデールは頑としてうけつけなかった。
犬とともにまた穴に戻り、明日は狩るまえにさきに進もうと告げて、眠ることにした。
寝入りばな、犬とは異なるうなり声に、ケセオデールは目を覚ました。
犬はすでに起きていて、硬毛を逆立て、穴の外をうかがっている。老人は腰の剣の柄に手をあて、なにかととおうとした王女を「シッ」と制した。
穴のそとをひたひたとうろついている獣がいる。はっはっと息を荒くつぎ、遠吠えが風にのって吹きこんできた。
犬たちはじりじりと腰を浮かせて、機をうかがっている。
穴のそばを灰色がかった狼の四本足が、かすかすと雪を蹴りながら、いったりきたりしている。ついにそのうちの一頭が穴に前足を突っこみ、掘りはじめた。
待ち伏せていた犬が、すかさずその足に食らいついた。
けたたましい悲鳴が夜のしじまにひびき、そとの狼が荒々しい声とともに駆け寄ってきて、穴に鼻づらを突っこんだ。
野獣の金色の鋭い虹彩が、暗闇のなかからでもみてとれた。吠え狂うあぎとをひらいて、穴に体をねじいれようとくねらせた。犬がその鼻づらに噛みつき、狼は悪態をつきながら引っこんだ。
四方からいっせいに前足で穴を掘る音が聞こえだした。
犬たちはびくつき、警戒し、気をたたせて、うなり続けている。
いままで岩の城に守られ、こんな危険など考えたことすらなかったケセオデールは、蒼白となってフードのふちを握り締めていた。
老人の顔色すら土気色にくすみ、懸念に目元がくもっている。
ぼすっという音とともに老人の背後に穴があき、狼が鼻をつっこんできた。
老従者はあっとさがり、王女を振りむいた。ふところから火つけ用の小枝をとりだして火をつけた。それを王女に手渡し、「そのフードに火をつけて犬ぞりで逃げなさい。犬の二、三頭もいれば充分でしょう。あたしがつなげてあげます。狼は……数さえすくなけりゃ、犬が蹴散らしてくれましょう。このままこうしているのは、狼に皿にのっけたディナーをさしだすのとおなじことですから」
「火のついたフードなんてもってられないわ」
「かぶってなさい。フードは燃え尽きやしません。外側のやわらかい毛だけ燃えて、なかまで焦げつきやしませんから」といいざまに、頭まで突っこんできた狼の目に、ナイフを突きたてた。
「むこうみずなのが飛びついてきたら、そのお腰のでっかいナイフでぶちのめしておやんなさい。したたかぶっちまえば、狼は引っこみますから」
ケセオデールは血のふきだす狼の頭を、呆然とみつめながらうなずいた。
「王女さまは胆力のある娘さんですなぁ、ジオドルクさまがみられたら、きっと、誇りに思われなすったろう……」
老従者はケラファーンの王の名をつぶやいて、二匹の犬の首根っこのつなをつかむと、穴からでていった。それを合図に、なかにいた犬たちもたて続けに飛びだしていき、そとは騒乱に沸き返った。
「王女さま!」
老従者の声にケセオデールはフードに火をつけ、つまずきながらそとへ転がりでた。火の粉が舞いきらめき、あたりが火に照らされてよく見渡せた。
老従者は手足から血を流し、暴れる犬を押さえつけ、じっとケセオデールを待っていた。
ケセオデールは走り、犬ぞりに飛びのった。老人を見上げ、その背に狼が飛びつくのを目のあたりにしたとき、老人の手からつなが手放され、犬は吠えたてながら疾走した。
ケセオデールは振り返ることすらできなかった。むせかえる火の粉につつまれ、恐ろしげにフードの内側をつかんでいた手を、うっかりと離してしまった。赤い鳥が背後へとばさばさ羽ばたき、輝きながら雪原に転がっていった。
数頭の狼が、四つ足で雪煙を蹴りあげて、疾駆してくる。
ケセオデールは肉を切るような冷風をさけることもできず、歯の根をがちがちと噛み合わせつつ、犬ぞりのつなをつかんだ。死に物狂いで掛け声をかけ、うしろを振り返る勇気すらなかった。
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