ツァカタン

第1話

 ケセオデールは運が悪かった。


 イイオルーン・マイオーン神を追いかけると決心したその日から、ケラファーンは一寸さきも見通せない吹雪に見舞われたのだ。天を呪おうにも天さえみえず、目深にフードをかぶらなければ、瞳の水晶体さえも凍りついてしまいそうだった。


 「王女さま、これはもう動かずに穴を掘って吹雪がやむまで待ちましょう。このままだとわしらはのたれ死んでしまいます」

 「わかりました」


 ケセオデールは、粉雪のベールに隠れてみえぬ、犬ぞりをあやつる老従者の言葉に従った。


 体を動かしていないと、そのまま氷になってしまいそうだったので、ケセオデールも老兵とともに穴を掘った。さいわいそりの敷板が役にたってくれた。ようやっと簡易なほら穴ができあがった。


 突き刺さってくる雪の槍をさけ、はいれるかぎりの犬とともにほら穴のなかでちぢこまった。


 犬たちは自分たちの場所を確保するために、前足をつかって穴をひろげだした。


 獣臭さと、体温の熱気が徐々にほら穴にこもりはじめたが、雪の穴は石のようにとけもしなかった。


 王女がせわしなく手足をこすっているのをみて、老従者がふところから数個の唐辛子をとりだして手渡した。


 「それを肌着にすりつぶしてみられてください。あたたまります。地肌にはつけないように」


 王女が老従者の目を気にしていると、「こんなじじいにそんな元気なんてもうありませんて。どうぞお脱ぎになってください」といって笑った。大きく開けた口には歯が数本しか残っていなかった。


 ケセオデールはフードをはぐり、胸元を開いてコットンの肌着に真っ赤な唐辛子をこすりつけた。


 近くにうずくまっていた犬が小鼻にしわを寄せてそっぽをむいた。


 ケセオデールは犬のようすをおもしろげにみながら、胸元をしっかりととめた。しだいにぬくもりが胸元からひろがってきた。


 老従者のいうとおりだったとさとり、ぶ厚いカリブーの毛のブーツを脱ぎ、幾重にもまいた布をはぎとった。その布に唐辛子をもみこすり、足にまき直した。酒に酔ったような熱感が胸元と足先からひろがっていった。


 「そいつぁ、追い狩りのときに若い時分覚えた習慣です。いまでも孫に頼んでとってきてもらっとるんですよ。酒がないときや切れたときはそれをこすりつけるか、そのまま食べるかすると、まったくおなじ具合になるんです。あたしゃ年寄りですから、手足が女より冷えきるんです。だから、こうしてふところに何十個と持ち歩くことにしとるんです」


 これといって話題もなく、ケセオデールは窮屈に背を丸めて、老従者のえんえんと続けられる昔話に聞きいった。


 いつのまにやら寝入ったのだろうか、老人がいなくなっていた。犬も数頭、穴からでていってしまっている。穴の入り口は昨夜吹雪でうまってしまっていたが、ふたたびそれが開かれていた。


 ケセオデールは穴から顔をだし、薄暗いそとの空気を吸った。ひんやりとして乾いた空気が肺のなかでちりちりと痛んだ。


 吹雪はやんで、あたりは遠くまで澄みきってみえた。周辺は小高い楓と背の低い松の林に囲まれ、あの吹雪のなかでよく衝突しなかったと、ケセオデールはひやりと背筋をふるわせた。


 老人は小さな丘になった雪山を掘り、見当をつけた場所から犬ぞりを引きだしていた。落胆した老人の声にケセオデールは驚きたずねた。


 「年をとるっちゅうのは嫌なもんですなぁ、昨夜はあわてて穴にもぐりこんじまったんで、そりに布を張るのを忘れとったんですよ」

 「それで?」

 「食いもんがあらかた飛んでいっちまいましたよ。このあたりならまだ兎やらリスやらいますがね……犬が食わえてもってきてくれたらいいんだが……」

 そういって振りむけた目は、離れた林で遊びに興じている犬たちの姿を追っていた。

 「ここはどのあたりなの?」


 老人がそりを雪から掘りだして引っ張るのを手伝いながら、ケセオデールはいった。


 「んああ? たぶん……ビオリナの近くでしょうなぁ。犬はたいていこっちのほうに走るようしつけられとりますから」


 犬ぞりには一、二度しか乗ったことのない、しかもケラファーンの森までがせいぜいのケセオデールにとって、そのいいわけはまゆつばものに聞こえた。いぶかしげに眉をひそめる王女の顔をみて、老人はにやにやと笑った。


 「女どもはなぁんも知らんと、いつでも我れ知恵の女神っちゅう顔をしますが、いままさに王女さまはそんなお顔ですよ」

 「なんとでもおっしゃい。自分の目で確かめたわけでもないのに、そんなこと信じられるもんですか」

 「いやいや、人間は信用なりませんが、獣は信用できますよ。獣は嘘をつけません。いわれたことをやるだけです」


 「では、あたしたちは、あの犬たちに命を預けているというの?」といって、狂ったように跳びはねている犬を指さした。


 「そうですよ、馬鹿のようにみえてもね」にこりと微笑み、「あいつらをひと冬中信じて、あたしらは北半球を巡ったんです。それもだれひとり迷子にならずにね。まぁ、たまには馬鹿っ正直にクレバスに突っこみはしましたがね」

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