第5話

 右側に女性的な美しさと双の乳房と男性器をもつイイオルーン神。その左側に男性的な美しさと少年の胸と女性器をもつマイオーン神。二神はその体に一糸まとわず、その美しい肢体を青空に、己の小さき民にさらしている。


 あまりの大きさに人はカリブーよりも小さい芥子粒にしか見えていないことだろう。


 しかし、その動きはそよ風よりもさりげなく、雪の一片が地表に降るよりも静かだった。


 二神は肩を寄せあい、足元に群がる小さな生き物を見下ろし、そのささいな儀式をながめた。


 二神はなにもいわず、ぐぐっと腰をかがめると、その巨大な指でありほどしかないカリブーの胴体をつまみあげ、掌にのせた。


 なまあたたかな血がその手のひらにたまる。氷の肌にふれて血は蒸気をあげて消え去った。みるまにカリブーはとけはじめ、骨さえも粉となって吹き飛んでしまった。


 青い肌は冷たいからでなく、高熱を発しているからであった。


 カリブーが屠られたと知り、ケラファーンの民は安堵した。儀式はうけいれられ、春が無事にケラファーンに到着したのだ。


 春の一陣のような双神の翼の羽ばたきをうけ、ケラファーンの民はフードや帽子を押さえた。つぎに顔をあげ、台座をみたときには、すでにイイオルーン・マイオーン神の姿はなかった。


 王が屠られうけいれられたカリブーの首を剣に突き刺し、高高とかかげ、言葉にならない叫びをあげると、女たちは興奮してめいめいの手にある鳴り物をじゃんじゃんしゃらしゃらと振り回した。


 それが合図となり、仕切りをへだててじっと儀式を見守っていた男たちが、せっかくつくりあげた仕切りをばりばりとへし折り、人々の円陣の中央に小高くつみあげていった。


 太陽は駆け足で西にかたむいたが、なかなか沈まなかった。春分から秋分にかけて夜のこない長い昼の日がはじまったのだ。 あちこちの燈明に火がかけられる。生木のまじった燈明から真っ黒い煤がたちのぼり、ぱちぱちと火花を散らした。


 女たちは待ち焦がれていた男をさがし、男たちも一目散に女のもとに駆け寄っていった。


「ケセオデール、すっかり大人びたな」


 初老にさしかかりはじめた王は、一人娘を愛しげに抱きかかえた。


「お帰りなさいませ、父上」


 娘をおろし、妻と再会の抱擁と軽い接吻を交わしあった。


 ケセオデールは両親から目をそらし、ハルコーンの姿をさがした。


 ハルコーンは肉親とのあいさつをすませ、落ち着き払ってケセオデールに手を振った。そして、わざとらしいくらいにゆっくりと歩み寄ってきて、すこしばかりケセオデールをみつめると、いつになく長い抱擁を交わした。


「お帰りなさいませ、従兄殿」

「久しぶりだね、従妹殿」


 ハルコーンは雪焼けした顔をほころばせ、ケセオデールの頬に口づけた。ケセオデールもぎこちなく口づけを返した。


 ハルコーンはさらに背がのび、以前よりも声が太くなっていた。二歳年上の従兄。体つきもがっしりとし、痩せた少年の体格を偲ばせるところは、もはやどこにもなかった。


 ケセオデールはハルコーンの思いがけない変貌に戸惑い、緊張に身をこわばらせていた。痩せた自分とよくにた体格の幼なじみの従兄が、すっかり男らしくなってしまうとは思ってもいなかった。


「なんだかおとなしいな? やっと女らしくなってくれたのかな?」


 ケセオデールはなんとこたえていいものやら、じっとハルコーンをみつめるのみ。そのうち彼も落ち着かなくなり、ふたりは黙ったまましばらくみつめあっていた。


「うん……女らしくなったなぁ」


 ハルコーンは複雑な笑みを浮かべて、しみじみとつぶやいた。その目は純粋な驚きに満ちていた。


 周囲は騒々しく、薄暮のなか、かがり火をとり囲んで、寄り集った人々はロンドを舞いはじめた。浮かれきった男や女に肩を押されながら、よろよろと若いふたりは神の台座のはしへ押しやられていった。


 ハルコーンの目つきがちがう。ケセオデールはちらちらと彼を盗み見しながら思った。驚きを通り越すと、ケセオデールはすこし不機嫌になった。人ごみからかばうように自分をつつみこむ従兄の腕が憎らしく思えた。今までこんなことをしたこともなかったくせにと、とんとその腕を払いのけ、なにもいわず、すたすたと祭りのただなかへいりまじっていった。


 ハルコーンはあわててあとを追った。ケセオデールがなにをすねたのか、わからなかった。追いつくと、そのわけをたずねた。


 ケセオデールはまるまると目を見開き、眉をしかめた。


「すねてなんかおりません」


 ハルコーンは唇をにいと横にひき、「それじゃあ、もうすこし恋人らしくしよう。半年ぶりに会ったっていうのに、まだほとんどはなしすらしてない」


 ハルコーンはケセオデールの手をとり、まわりにあわせて陽気なステップを踏みはじめた。


 明らかにハルコーンはケセオデールと会えて喜んでいるようだ。ついでに彼の視線のさきがケセオデールの胸元をうろうろしているのもなんとなく察した。ケセオデールは落ち着かぬ気分になり、わざと体の回転を増やして、従兄の目が一点にへばりつかないように苦心した。

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