第4話

 ケセオデールが凍えた足を部屋の暖炉にかざしているあいだに、窓のそとが騒々しい声でさんざめきはじめた。


 城の女たちが春の色の服をきて、男たちを出迎える準備をはじめたのだ。楽しげな嬌声にまじって、どらや太鼓の音がひびいてくる。


 扉がたたかれ、世話女がせかすように準備はととのっているかとたずねてきた。


「まだよ」


 ケセオデールはそっけなくこたえた。


 もえぎ色のドレスは無造作に脱ぎ捨てられ、ベッドにみだれてひろがっている。それに一瞥をくれて、あの不快感を思い出した。


 従兄が嫌いなわけではない。結婚に抵抗を感じているわけでもない。ただなんとなくしっくりといかないのだ。


 なにかがちがう、待て、と。


 またも扉のそとから世話女が声を張りあげた。しまいにはどんどんとたたきはじめた。


「先にいってて」


 ケセオデールは大声でこたえると、ため息をついて、ベッドのうえのドレスを手にとった。


 なめらかな腰の曲線をみていると、わけのわからない理不尽さを覚えてしまう。ケセオデールは頭をふって、そんなうろんな心の声を払いのけた。


 毛皮の下履きを履き、首と頭をすっぽりとおおう毛織りのケープをまいた。


 ふんわりと浮きだつ前髪が、幼げにケープからはみでて、王女の顔をあどけなくみせた。鏡をのぞき、その姿になぜかほっとする。


 ケープにくるまれたまだ未熟な少女の顔が、性別のない印象を与えていた。


 そとがますます騒々しくなってきた。


 ケラファーンの森のほうから異様な狼の吠えたてる声が連続して聞こえてくる。あれは一族の男たちのデモンストレーションなのだ。狼の声をまねて、ケラファーンの森へ数頭の雄のカリブーを追いこみ、女たちがつくりあげた迷路のような仕切りへ閉じこめてしまおうとしているのだ。


 儀式はすでにはじまっていた。


 ケセオデールはとたんにあわてだし、部屋のあちこちを見回して、忘れているものはないかどうか確認した。


 外庭にでてみると、女王が待ちくたびれたようすで行列の先頭で待っていてくれた。


 女王は白いウサギの毛でふちどった毛織りのマントにくるまっていた。長いマントのすそから鮮やかなエメラルドグリーンのドレスがのぞいている。


 女王にかぎらず、いまやあたりは春の萌えいずる緑色の衣にうめつくされ、ひと足早い春色に色めきだっていた。


 先陣はケラファーンの森にもうついているのだと告げられ、ケセオデールはしょんぼりとして遅れたことをわびた。


「王を一番にお出迎えするのはわたくしたちなのよ、別の娘に先を越されてはいけないわ。カリブーに見慣れて、妻と娘の顔も見分けられなくなってるかもしれないでしょうから」


 女王の明るい声にケセオデールはくすりと笑った。


 そして、一同は足早にケラファーンの森へといそいだ。





‡‡‡






 赤ら顔の男たちが、異様な雄叫びをあげ、おびえて逃げ惑うカリブーを追い回した。本物の狼たちは西へむかうカリブーを追っていったあとだった。


 三方から声をかけあい、仕切りのある一方へとカリブーを追いつめていく。数頭が勢いこんで仕切りのなかにはいりこむと、どっと男たちは駆け寄って柵を閉じた。じりじりと迷路にそって柵を押していき、カリブーをせまい出口へ押しやっていった。


 カリブーはあとずさりながら、迫りくる柵におびえて、足踏みをしては不安そうな白目をむきだした。あきらめたようにくるりと一頭が通路を先へ進みはじめると、残りのカリブーもそれにつられた。


 祭壇のまえの仕切りの出口にたつ、ケラファーンの王はのろのろとやってきたカリブーをみとめ、何度も研ぎ澄ませ切れ味を確かめた剣を手にとった。


 深いしわがきざみこまれた眉間を寄せ、カリブーを見据えた。その顔は鷲のように鋭く、厳しかった。油断のない目がカリブーをとらえる。


 一頭のカリブーが仲間から仕切られ、首をせまい出口からにょっきりと突きだしたのを見計らうと、寸分の狂いもなく首を一刀両断した。


 すたんと軽い音とともに大地に切っ先がめりこんだ。カリブーの首がくるくるとはじけ飛び、台座にぶつかった。鮮血がぶち模様の大地に赤い花を咲かせた。


 ケラファーンの王の姿を神の台座のそばから女たちは見守っていた。女たちは次々と首を撥ねられるカリブーのあっけない最期を見届けては、春の足踏みを聞いたかのように喜びの声をあげた。


 ふいに空がかげった。台座のうえに影を落として、イイオルーン・マイオーン神が音もなく舞いおりた。


 氷の色をした神だった。


 二神は夫婦神とも兄弟神とも言われている。その姿は太陽のごとく光に包まれている。氷のような透き通った色のように見えるが、その実その体は灼熱の炎のごとき熱を込めていた。まさしく太陽がそのまま翼を持つ姿に凝縮されているようだった。


 燦々とのぼる太陽に照らされる御おもては驚くほどととのっている。


 二神の髪は腰に届くほど長く、髪をかたどる粒子の裾が陽炎のようにゆらゆらと景色に溶け込んでいる。

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