第3話

「夜が明けるのが待ち遠しいのです」


 ケセオデールはいいわけがましくいった。


「あら、従兄殿のことではなかったの?」


 女王は顔もあげずに手を動かしつづけた。


「母上、結婚すれば、なにもかもよくなるのでしょうか?」


 ふと、女王は王女をみつめた。その瞳が思案げにゆれ、「なにが不安なの?」


「いいえ」


 そう答えたケセオデールはいつもとかわらないようにみえた。


「あの子がきらいなの?」


 女王はわざとうがってたずねてみた。


 ケセオデールがあわてて首をふるのをみて、声をたてて笑った。笑いながらたちあがり、つつと王女のかたわらに寄り添うと、その肩を抱き寄せた。


 王女はすらりとして背が高かった。女王は頭を王女の肩にあずけた。


 クリスタルのガラスにうっすらとふたりの姿が映る。


「なにかがかわるというわけではないわ。ただ毎日突き合わせる顔が、まえとは違ってくるというだけよ」

「そういうことではないのです」


 女王の冗談めかした言葉を、ケセオデールは真顔でうけとめた。腕を取る女王の手に自分の手を重ね、いっそのこといってしまおうか、唇をかみしめた。


「どういうことなの?」

「母上?」


 ケセオデールは女王をみおろし、にこりと微笑みかけた。


「イイオルーン・マイオーン神はあたしのようなものの声でも聞き届けてくださるかしら?」


 女王はさぐるような目つきで王女の表情をみつめた。


「わたくしの故郷ビオリナの神シルフィンは、融通のきく神だったわね」

「融通?」

「神官しだいだったのよ。神官がよしとすれば、なんでも聞いてくれていたわ」


 女王はなにかたずねたそうに王女の顔をのぞきこんだが、ケセオデールははでな音をたてて、女王の頬に口づけると背後へまわった。


「夜が明けますわ」


 王女の言葉に、女王は窓をみやった。東の空が淡い色に染まりはじめている。


 耳をすました。狼の遠吠えがとぎれとぎれに聞こえてきた。


 女王の注意が自分からそれたのを確認すると、ケセオデールは扉をひらいて廊下へ走りでた。


 女王はしばらくそとをながめ、何度もみてきた連夜の夜明けの感動にひたった。





‡‡‡






 部屋に戻り、ケセオデールはそっと扉を閉じた。


 暁の光は王女の部屋の窓からもうかがえた。


 夜明けをながめる自分の心に、甘酸っぱいようなほろ苦いような思いがあふれてくる。


 その感情が、従兄を待ち焦がれて生まれてくるものなのか、それとも従兄によってもたらされるなにかによるものなのか、図りかねた。


 結婚をひかえた少女によくある憂鬱な気分なのだ、そんなふうにもとれる。


 ケセオデールは物思いにふけり、部屋をうろうろと歩き回った。カリブーの毛布をかけたベッドを横切り、春の祭典のために縫い続けてきた、もえぎ色のドレスのまえにたちどまった。


 目をそのすそに走らせて、ひと針ひと針に熟練した一族独特の模様を確かめた。


 しかし、漠とした不安感は消え去らなかった。


 ぼんやりとしているケセオデールの耳に、しだいに狼の遠吠えが近づいてくる。


 ケセオデールは小走りに窓に駆け寄り、ケラファーンの森のむこうをながめた。


 白と黒のぶち模様の大地に、わらわらと黒いけし粒が寄りかたまっては離れるのがみてとれた。


 カリブーの群れにまじって、ケセオデールの一族がそりを駆ってくる。


 女どうしの秘密めかした男女のはなしを思い出し、ケセオデールは不安になってきた。


 鏡のまえに肌着一枚きりになって、形ばかり女らしくなった体をながめた。友人たちが理想的だとまくしたてる体つきからはほど遠いが、それでもぷっくりとふくれた小さな丸い乳房、ほっそりとした腰。


 落ち着かない気分に胸が悪くなり、ケセオデールはもえぎ色のドレスを張り型からはぎとり、そでにはじめて腕を通した。


 まえでとめられるようにしたボタンをすそから順々にとめていく。


 胸はわざときつくつくったのだ。胸元の深いえりぐりから、小さな乳房があふれんばかりに盛り上げられ、かえって大きくみえた。


 このドレスを縫い続けるあいだ、いっしょに春のドレスを縫っていた友人たちが、こうしろああしろとうるさいくらいにすすめたのだ。


 女らしさを強調した自分をみつめているうちに、胸をかきむしりたいほどの不快感にかられた。恥ずかしさからでなく、なにやら不自然な気がして落ち着かなくなった。


 ケセオデールはそわそわと窓のそとをみやった。


 黒いけし粒がいっそう大きくせまり、あと数刻もしないうちケラファーンの森のすそまでたどりつくのがわかった。


 ケセオデールは窓から離れると、力強く扉を開けはなった。


 冷たい石の欄干に手をかけて階段を駆けおり、中庭から外庭へ飛びだした。


 つっかけた上履きが、とけた雪でぐしゃぐしゃにぬれた。じんと体の芯が急に冷えこみ、ケセオデールは発作的に走りだしてしまったのだとようやく気付いた。


 城の下女が呆れたようすで数人かたまって王女をみている。一族の女のひとりが城の窓からおせっかいな声で、城にはいれとわめきたてていた。


 ケセオデールはぼんやりと自分の姿を見下ろした。マントもコートもはおらず、毛皮の下履きにも履きかえず、真っ白い肌が寒さにうっ血して赤くなっていた。きっと鼻の頭も真っ赤になっているだろう。しだいに恥ずかしさがこみあげ、王女はそそくさと城へ引き返していった。





‡‡‡

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