第2話
春が間近にせまりつつある。
凍えきった空気をふいに突き崩す、氷のわれる音を耳にする。
ケセオデールは許婚の帰国が近いことを知った。
ラベンダー色の空に雲がどんよりとたちこめ、暗い地平線にたゆたう。北へとのびるケラファーンの森が冬の夜の闇に黒く横たわり、まるでもじゃもじゃと生えた獣毛のようだった。
ケセオデールはテラスから、北の果てを望んだ。
空をあおぐ王女の口から白い息がたちのぼり、かすんで消えていった。はだけそうになるカリブーの毛のローブを胸のまえでかきあわせ、かじかみはじめた鼻を冷たい手でおおった。
ケセオデールはこれまでに何度も女王の口癖について考えてた。それはちょうどいいひまつぶしにもなった。
退屈でたまらないとき、甘い砂糖菓子をつまむように、男である自分の空想にひたった。
父王と従兄とともに追い狩りにでかけられる。
暗い城に、女だからといって閉じ込められることもない。
結婚をして子供を産むのだと、口やかましい一族の女たちに毎日つきまとわれることもない。
しかし、まぎれもなく自分は女だった。
悶々と空想にふけるくらいなら、すぐにでも従兄の手で力づくで愛のかなたにさらわれてしまいたかった。
空想のなかの自分自身に溺れてしまうまえに……
耳に聞くだけの愛の行為に身をまかせ、わけのわからない不安にかられるまえに子供でも産んでしまえば、きっといそがしさにありえない空想など忘れ去られることだろう。
かなたから、ばりばりと氷河がへし折れる轟音がひびいた。
鳥のように双神が飛び去っていく。巨大な体がけし粒ほどにみえた。
‡‡‡
そんなある日、女王と王女が部屋でくつろいでいると、星見の司がきて、あと数日で春がおとずれると告げた。
春の祭典の準備のために、ケラファーンの森の聖地へ城や近隣の村から女子供がかりだされ、カリブーを追いこむための仕切りを組みたてはじめた。迷路になっている仕切りの狭い出口を聖地の巨大な岩の台座のほうにむけ、祭壇のまえに一頭ずつ誘いだせるように組みたてられた。
二日ほどで単純な作業を終え、城や村の女たちは自分の住まいを鮮やかなもえぎ色に飾りたてはじめた。
それからまた二日もたたないうちに空気の重さがかわり、薄暗い明け方のわずかな太陽の光に氷河のへし折れる音がさらに激しくなった。西のかなたから、渡り鳥の群れが飛来してくるのがみえはじめた。ふりつもっていた雪の背丈が一段と低くなった。なかったはずの小川があちこちにできあがり、真っ白い世界がまだらのぶち模様になっていった。
冬の最後の夜になり、ケラファーンの民は眠らずに、長い夜が半年ぶりの日の出で明けてしまうのを、目で確かめ、肌で感じるために待った。その目は窓にむけられ、その耳は何らかの兆しに用心深くかたむけられた。
ケセオデールは、閉じられたビオリナのクリスタルのガラスを通して、暗いそとをながめた。一瞥を送ると、つまらなそうにまた窓から離れた。それを何度も繰り返した。
暖炉のそばでゆりいすをゆらしながら、せっせと刺しゅう針を動かしていた女王が、「もうすこし落ち着いたら?」と、うわの空でつぶやいた。
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