第8話
閉じこめられて二、三日が過ぎた。マスターはまだ帰ってこない。錬金術師でもある気難しい魔法使いもまた、うっとおしい雨期を嫌っていた。もしかするとこの留守は故意のものなのかも知れない。
あいかわらずオムホロスは単調な日課をこなし、一日の大半を読書でついやした。
ゴドウは歩き回るか、寝ているかのどちらか。肝試しでもしているのか、ちょくちょくモロ神像をおとずれているようだった。あの直線的な床を、ひづめの音も高らかに走り回っているのが聞こえてくる。
同種の雄羊よりも巨大な体には力がありあまっているのかも知れない。いつまでも一か所に閉じこめられ、いらついているのだろうか。
閉じこめられてからずっとゴドウには干果を与えていたが、しだいに食が細くなってきたようだった。日ごろ外部にあまり神経をつかわないオムホロスでさえ、ゴドウの落ち着きのなさと食欲の減退が気にかかりはじめた。
黒いつややかなたてがみが栄養不良とストレスで色褪せ、その知性的な額に始終しわを寄せている。得体の知れぬ興奮に白目が充血し、発汗もおびただしい。目つきは険悪に据わり、肩をいからせ、石壁にしばしば体あたりしている。
そのようすを観察しながら、オムホロスは眠るために部屋のすみに横たわった。沈みがちなまぶたをけんめいに開き、オムホロスはゴドウの挙動を、孔雀色の瞳でつぶさに追いかけた。
そして、夢に片足を突っこみながら、ゴドウが発情期にはいってしまったのだと確信した。このままだと自分の身が危ないと知りつつも、眠りの呪縛には勝てなかった。
夢のなかで何度もゴドウがことこととひづめを鳴らして、自分のまわりを巡るのを聞いた。雄キメラの端正な顔が焦慮にゆがみ、ぐっと耐え忍ぶようすでオムホロスの寝姿を見下ろしていた。ふっきるようにキメラは走り去り、その夢はそこで終わった。
半月も過ぎたころ、何度目かのゴドウの奇妙な夢をみつつ、そのかたわらに馬頭人身のキメラがうずくまっているのに気付いた。
そのキメラは青黒い毛並みでどんよりとした瞳をしていた。その表情に知性はなく、獣性に支配されていた。
ゴドウはときおり馬頭のキメラを振り返り、ねじれた角をゆらして威嚇した。しかし、すぐに気弱に身震いすると、そのキメラを無視して飽くことなくオムホロスをながめた。
オムホロスは何度もその夢をみつつ、発情した雄羊の声を聞いたように思った。
目覚めて活動しているあいだ、ゴドウは奥に引っこみ、姿をオムホロスのまえにあらわさなくなっていた。ゴドウの存在は、モロ神の間から聞こえてくる雄羊の鳴き声で知れた。
夢に常にあらわれるようになった馬頭のキメラは、日をかけてすこしずつオムホロスに接近してきた。雨期も終わりにさしかかったころ、とうとう手をのばせばオムホロスに触れられる位置にうずくまり、なめるような目つきでオムホロスの全身をみつめていた。
ゴドウが心配げにそのまわりをうろつき、頼りない声でなにかを訴えている。
馬頭のキメラが筋ばった手をそろそろとのばし、オムホロスの脇腹にのせた。
ぞくりと寒気が走った。キメラの手は金属のように冷えきり、堅かった。いままでみえなかったキメラの股間のものが頭をもたげ、隆々とキメラの腹をつついていた。
オムホロスは青冷めたキメラの正体をさとった。
続いて、モロ神の片手がオムホロスの太ももにのせられた。そのことが衝撃とともにオムホロスを夢の淵からうつつへと引っ張りあげてくれた。
目覚めてモロ神のいた位置にいそいで目をやると、ゴドウがそこにいた。もはやオムホロスがみていると気付いても手を引っこめる気配すらない。
ゴドウは両腕でオムホロスをかかえあげ、モロ神の間へ駆け足でむかった。
ゴドウはモロ神に取り憑かれてこのような所業におよんだのだ。この半月以上はゴドウのモロ神に対する精いっぱいの抵抗だったのだ。
オムホロスはそこでさとった。
ゴドウには人の知性や理性があると。それを獣性にはばまれて、ゴドウはオムホロスに胸中を訴えることができなかったのでは? これもまた魔法使いの残忍な性質のなせるわざなのか。
モロ神の足元にオムホロスをおろし、ゴドウは羊の前足を段差になったへりにかけた。オムホロスは段差に腰掛け、ふだんは体内にしまいこまれて隠されている雄キメラの陰茎をまじまじとながめた。
オムホロスの体をふたたび軽々とゴドウはもちあげ、その両脚をひろげにかかった。哀願するようにゴドウはうなった。
オムホロスはいちかばちか、モロ神に話しかけた。
「モロ、モロよ! ゴドウを苦しめるのはやめてくれ。おまえの種を植えつけるのをもうすこし待ってくれないか? オムホロスのこの性体は、まだオムホロスのものじゃない。オムホロスが検体をみつけだすまで、待ってくれないか。もしも、この性体の検体をみつけられなかったなら、そのときはこのオムホロスの子宮をモロの種のために貸そう。そのかわりみつかったときはオムホロスを媒体にして、その生体におまえの畸型の種を宿らせてやろう。だけど、いまはまだだめだ」
ゴドウのなかのモロはわずかな知性でその申し出を考えた。ゴドウの口を通し、さびついた声がもれでた。
「待テン。オマエハ宿シ、オマエハ産ム」
オムホロスは額にうっすらと冷や汗をかきながら、神々が契約というものに弱いことを逆手にとった。
「それならこれは契約だ。一年だ、一年たってもみつからないときはオムホロスが産む」
「一年……一年。ワカッタ……」
ゴドウは身を引いた。苦悩に頭を振り、ねじれた角で太い円柱に頭突きした。心もとない足取りで切なげな声をもらしながら、オムホロスの視線をさけるように遠ざかっていった。
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