第7話
どこから手をつければいいのか、オムホロスにはわかっていた。自分に必要なのは、精液から男性体の本来の持ち主を調べる魔法だった。
何万冊とある書物からわずか十数冊を抜きだし、目のまえにならべた。
シャーレに乾いてへばりついた精液を慎重にピンセットではがし、ビーカーに満たした精製水のなかに沈ませた。魔法使いがいれば触れさせてももらえない器具や器械類を、みようみまねで動かしていった。
錬金術にわずかな魔法を組み合わせ、精液にこめられた感情の片鱗をさぐった。明確な意志としては現われず、最後の手段として世界地図を机上にひろげた。
ビーカーによどむ精液をスポイトで吸いとり、小さな魔法陣の四方に四滴たらし、四大精霊の洗礼をほどこした。
心臓に赤いルビー、肝臓に赤めのう、腎臓に豆、肉に粘土、骨に石灰の棒、男性器に種を。
呪文を唱えながら、それらで小さな人形をつくった。
むっくりと人形は起きあがり、命じられたとおり、ふらふらと自分に属する生体の居所へ案内していった。
北へ北へとよろめいていくと、ケラファーンの国境沿いで壁にぶちあたりでもしたのか、ばたりと仰向けにたおれ、ぼそりと朽ちて崩れた。
探査は失敗した。しかし、ケラファーンのどこかであるということがわかった。
ケラファーンのイイオルーン・マイオーン神は干渉されるのをひどく厭う神だ。独占欲が強く、排他的でもある。多分、この領域に関するどのような介入も決して許しはしないだろう。これ以上はあきらめねばならないのか。
オムホロスは崩れてぼろぼろになった人形を、両手でかき集めながら考えあぐねた。
それでも、生体がケラファーンからでていくことがあれば……ケラファーンの男ならば、冬至の日にカリブーの群れを追って、北半球をとおり緯度をくだり、ぐるりと戻ってくる移牧にかならずついていくだろう。
双神の遮蔽もなく、生体とのコンタクトをとるには、ケラファーンの冬至がおとずれるまで待たねばなるまい。
オムホロスは素早くネクアグアとケラファーンの季節のずれを算出した。ネクアグアはいまは雨期の冬だが、ケラファーンは夏の盛りにさしかかったばかりだ。こちらが乾期にはいるころ、ケラファーンには氷に閉ざされる季節がやってくる。
はっと我に返ると、研究室の入り口でゴドウが狂ったように騒いでいるではないか。みると、水かさがゴドウの上体の腹にまでおよび、はいってくるなという命令を忠実に守るあまりに、濁流に押し流されそうになっている。
「ゴドウ!」
オムホロスはあわてて駆け寄り、ゴドウの腕をむんずとつかむと、力いっぱい研究室のなかへ引きいれた。
「ゴドウ、これでオムホロスたちは一カ月もここに閉じ込められてしまうよ。食べ物はあるけど、おまえには退屈かも知れないな」
オムホロスはゴドウの羊の背をなでつけながらいった。
ゴドウはオムホロスの言葉よりも、自分の身体に一滴でも水滴がついていないかどうかのほうが気になるらしく、くまなく自分の身体を点検している。
気持ち悪いくらいにぬれたゴドウの体を、拒水の呪文が、入り口に引き込まれるさいに気持ち良く乾かしてくれた。
ゴドウにとっては二度目の雨期だった。仔羊のころはオムホロスの腕に守られて、水におびえながら過ごした。いまだに水には嫌悪を感じているようだが、昔のように恐れてはいない。
黒いひづめをかつかつと鳴らして、ゴドウはひさびさの研究室を物珍しげに闊歩した。
魔法使いの研究机のわきにある水槽をのぞき、警戒するように身を引いた。以後、にたような水槽は用心してさけて通り、研究室の奥へと突き進んでいった。
オムホロスは無言でキメラのうしろをついて歩いた。ゴドウのむかう先になにがあるのか知っていたが、ゴドウの好きなようにさせておくつもりだった。
おそろしく広大なこのフロアには、モロ神を祭る間もあり、オムホロスでさえめったにはいらない場所だった。何本か円柱をくぐると、研究室のこうこうとした照明も届かぬ薄暗い空間につきあたる。
その間は石殿の構造を無視するように天井が高く、足元の床の低みをのぞくと、薄ら寒い深い溝が奈落まで落ちこんでいた。
どこからか水が流れこんでいるのか、底のほうで滝のしぶく音がひびいてくる。
両腕でだきしめてもなお太い柱の列が高い天井をささえ、その奥にモロ神の石像が青黒く浮かびあがっていた。
つややかに研磨された青銅のモロ神像。目玉をむきだした馬の頭部がしゃがみこみ開いた股のあいだにたれ、目玉だけが正面をにらみつけている。
頭身の半分が馬の首であり、筋肉が誇張された体は矮小なほど歪に曲げられている。体の造詣は人の形をかたどっているが、トロルのような異質な種族にしか思えない。
たくましく筋ばった両手が曲げられた両ひざのうえにのせられ、馬の首は長々と下をうつむいているため、眠っているだれかをのぞきこんでいるようにもとれた。
馬の頭に隠れて目につきにくいが、恐ろしく誇張された腕ほどもある男根がモロの腹のほうへそり返り、その生殖神たる由縁をみせつけている。
好んで処女の夢枕にたち、性交をもとめる神。性を伴う夢をもたらす夢馬にして、同時に淫靡な行為を求める夢魔。あらゆる生物、果ては無生物にまで自分の種を植えつけ、畸型した生物を生みだす。それゆえ、生産、生成の神であり、子づくりの神でもある。実際、多くの石女がひそかにその男根神を崇拝した。
神であるインキュバスは沈黙を守り、暗闇にうずくまっている。ゴドウは何度もそのまえを往復したあと、オムホロスのそばへ寄っていった。ゴドウの顔つきはあいかわらずうっそりとし、おだやかで隠者めいていた。
オムホロスは薄闇のなかで、その沈んだ褐色の好もしいおもてをしばしみつめた。キメラの手を引き、自分には用のない神前から遠ざかった。
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