第6話
ゴドウはいやいやながら雨にぬれそぼり、目をしばたかせて、オムホロスが走ってはひっくりかえるたびに駆け寄っていった。
雨がオムホロスの目にも口にもはいりこみ、吐き出しながらかたわらのゴドウに熱っぽく話しかけた。
「ゴドウ、生きるうえでの本来の目的は”活かされる”ということだ。オムホロスにはこれがない。オムホロスは生物学的に孤独だ。その点ではおまえより孤独なのだ。生命が維持し、保存し、後継していくものをもっていないのだ、ホムンクルスのオムホロスは。
だから、オムホロスは生命の真理からつまはじきにされた存在なのだ。たとえ女性器や男性器がそなわっていようと、子を宿すことも宿らせることもできない。そもそもオムホロスには遺伝子がないのだから。
だけど、オムホロスにはオムホロスという小さな生命環にオリジンをつきとめることができる。オムホロスをオムホロスとなさしめている生体の集合体から。
ゴドウ、オムホロスの喜びはね、ブヨや蚊のそれよりも切実で大きなものなのだよ」
オムホロスは無邪気にひかえめな比喩をつかい、ゴドウにむかってはにかんだ。
ゴドウの褐色の腕がオムホロスの背に回された。オムホロスは笑いながらゴドウに寄りかかり、屠り場の熱い湯の石槽へつれだった。
いつも孤独なオムホロスは笑うことがほとんどなかった。笑みを返してくれる相手もいなかったので、もしかすると笑うという衝動がわかっていなかったのかも知れない。
いまやオムホロスは魂の底からこみあげてくる歓喜に笑みを浮かべていた。自分がどのような表情をしているのかさえ知らなかった。
ゴドウは無表情にじろりとオムホロスをながめ、かまどのまえにどっかと座りこんだ。黒いたてがみをかき分け、顔にしたたる水気を振り払うしぐさはやけに人間臭かった。
ふいてもらいたそうなゴドウの視線に気付き、オムホロスはにやけた顔で、なるだけ乾いた葉を手にして寄っていった。ゴドウの座りこむ唯一水につかっていないかまど口に腰掛け、両足を水にひたらせながら、ゴドウの羊毛の水気を根気よく掃いていった。
「ゴドウ、おまえにその姿同様の知能があれば、オムホロスがなぜこんなにうれしいか、わかるだろうに。おまえが気になるのはいつでも、毛がぬれてるかぬれてないか、腹がすいてるかすいてないか、なのだな」
オムホロスは上機嫌でささやいた。
羊毛の水気は表面だけで、密生した黒毛はふわふわとゴドウの体温ですぐに乾いた。まだぬれそぼっているのは上半身と黒いみごとなたてがみだけ。オムホロスは黒毛の体躯にもたれて、冷えきったゴドウのたてがみの水気をはたき飛ばした。
オムホロスの全身はゴドウよりも冷えきっていた。なかなか乾かないゴドウのたてがみに集中していて、自分のふるえにはまったく無頓着だった。
熱をおびたゴドウの手がオムホロスの氷のような腰に回された。オムホロスは気にもとめなかった。動物はそうやっておたがいに暖をとるものだからだ。
きつく腰を両腕にとられ、やりにくい姿勢でゴドウのたてがみをうしろへかきあげてやった。いつのまにかゴドウの鼻がオムホロスの胸にかさなりあい、雄キメラはオムホロスの小さな乳房をさぐりあてて口に含んでいた。
ゴドウの発情期がおとずれたのか。
オムホロスはじっとようすをうかがいみた。ゴドウは幼獣のように乳首を吸い続けている。母羊と間違えているのだろう。オムホロスはそう判断し、ゴドウのことはほったらかして自分の作業に没頭した。
ようやくたてがみがふわりとたちあがり、オムホロスはゴドウにだきつかれたまま満足のていで見入った。
自分の胸元をみてみると、赤い斑点がそこらじゅうに浮きあがっていて、一瞬我が目をうたがった。両乳首は真っ赤になっており、すぐにゴドウのしわざだとさとった。ゴドウはこんどはオムホロスの肋骨のわきに唇を寄せている。
「ゴドウ、いいかげんによすんだ。みろ、真っ赤にうっ血してるじゃないか。母乳が恋しいんだったら、あとでしぼってきてやるから、オムホロスを母羊のかわりにするんじゃない」
オムホロスの優しげな叱咤に、ゴドウは顔を離し、ゆっくりと腕の束縛をといた。
ゴドウのしつこい抱擁が冷えきったオムホロスをあたたかくほてらせていた。床の水に沈んだ衣服をてきとうに洗い、石の壁のへりに引っかけた。
そして、部屋で乾いた衣服をきると、シャーレをたずさえ、新たな思いで研究室へおもむいた。
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