第2話

 島の中央から放射線状にひろがるオムホロスだけが知る、罠への道を何度も往復して、やっと純血種の野豚をみいだした。


 野豚に薬を嗅がせ、麻薬ににた効果のある草団子をその口のなかに押しこんだ。


 引き裂くような悲鳴をあげていた豚もしだいにおとなしくなり、人間ぽいいびきをたてながら眠りに落ちた。


 オムホロスほどの体重をもつ野豚を引きずっていくには荷が重く、オムホロスは従順で馴れた雄のキメラを一匹呼び寄せた。


「ゴドウ、おいで!」


 どこにひそんでいたのか、巨大な黒いキメラがのっそりと姿をあらわした。


 上半身は茶褐色の肌をもつ青年、下半身は力強い四つ足の巨大な黒羊。ねじれた角ののぞく黒いたてがみを尾までなびかせた半人半羊のキメラ。


 つくられたときからおとなしく、オムホロスに従順だった。その金目は理性的だったが、言葉はもたず、整った顔を隠者のごとくうつむかせていた。


 オムホロスはそのキメラをゴドウと名づけ、従者か番犬がわりにかたわらにおいた。


「ゴドウ、この豚を先生のところへもっていくから、手伝っておくれ」


 ゴドウは豚を羊の背にかついだ。オムホロスがなわで豚を背に固定するのを待ち、終えるとオムホロスのゆく道の先導をつとめた。


 ゴドウが先にいけば、オムホロスはなたを振り回さずにすんだ。楽な道中を中央の石殿にむかっていそいだ。


 ゴドウの獣の背に手をのせ、歩幅をあわせた。


 まだ成獣になって一年にも満たないというのに、ゴドウの体長はすでにオムホロスよりも大きい。


 ゴドウは魔法使いがオムホロスのためにつくった。親が子供に愛玩物をあてがうのとおなじくらいの気安さで。


 中央の石殿がみえはじめる。以前は島民の築いた神殿。どこから切り拓いたか知れぬ鈍重な岩をつみかさね、地から顔をだした部分は底の大きい四角錐をていし、隠された部分は地下へと深まる錬金術師の巣窟。


 苔蒸した石に、ひづめのたたきつける音がゆるやかに吸収されていく。うつむいた浅黒いゴドウの顔が影に暗くなり、ふたたび暗闇のたいまつに照らされ浮かびあがった。


 黒と白の顔がならび、無言で魔法使いの研究室へとくだっていった。


 幾つもの石室を通り過ぎ、ある石室の口のまえにたちどまり、

「先生、オムホロスです。豚をとらえました。どうしましょう?」

と、おもむろにたずねた。


 研究室の奥から、泡のはじける音、ガラス器具のふれあう音、石うすでなにかをすりつぶす音、紙をめくる音が絶えず聞こえてくる。


「豚……? 夕めしにでもしてしまえ!」


 そっけないかすれた男の声が返ってき、それっきり音沙汰もない。


 オムホロスは素直に、ゴドウを引いて、今度は石殿の裏手にある屠り場へいった。


 オムホロスが豚をなたで屠るあいだ、ゴドウはじっとそれを見守っていた。


 吹きだす血潮が下水溝へ流れていく。桶にためておいた水で石床を洗い、豚の肉はバナナの葉につつんで、焼き石のしたにおいた。


 日常の作業は最初の一度だけ、魔法使いが教えてくれた。オムホロスが幼いころは、身のまわりの世話をする島の女がいたが、オムホロスが魔法使いの世話ができるようになると、女たちはいなくなり、獣の知能しかない雌キメラが増えた。


 石焼きにした豚肉をとりだし、新しいバナナの葉でくるみなおすと、つたでぐるぐると縛りつけ、燻製にするためにかまどのなかにぶらさげた。香木でいぶし続けていれば、夕刻にでも即席のハムができあがっているだろう。


 オムホロスはおもてに出、近くによどむ池へ血で汚れた身体を洗いにいった。


 桶にいれた内臓は茂みのかげにあけた。こうしておけば、キメラや獣たちが夜中にやってきて腹の足しにでもするだろう。 血の斑点を衣服につけたまま、オムホロスは池に身を沈めた。ひんやりとして冷たい。


 水底は水ごけにぬめり、気をつけていないとすべってしまいそうだった。もう何年もこの池で沐浴してきた。


 水底に足がつくと、沈殿したおりが水のなかで舞い、透明だった水が緑色ににごった。


 オムホロスは腰にまいた貫頭衣をとると、自分の体をこすった。


 もうすぐ青年期にはいる微妙な少年の肉体。大胸筋と上腕筋がかすかな発達をみせ、背筋と腹筋は引き締まり、すらりとした逆三角形をつくりあげている。


 その胸に思春期にはいったばかりの小娘のようなふくらみがあった。それははにかむように笑みを浮かべ、ほのかに上向いている。


 しかし、水面すれすれに水につかるのは、砂色の茂みに隠された男性器。


 岸辺にたち、ぬれそぼった体と手にもった衣服をしめった熱気にさらし、オムホロスはゴドウを背後に従え、自室におりていった。


 ゴドウはぴたりとたちどまり、オムホロスの石室の口の手前で、おとなしく待機した。


 オムホロスは自室にはいると、魔法で燃えるたいまつを壁からとり、乾いた服のおいてある棚をさぐった。長いチュニックとズボンを引っ張りだし、たいまつをもとに戻して、衣服をきた。そして、部屋のたいまつを手に、さらに地下へとくだる研究室へむかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る