キメラの島

藍上央理

ネクアグア

第1話

 熱帯の巨大な葉が跳ね返り、鮮やかなるり色の羽根をひるがえしてコノハドリが数羽、雨垂れのように転がり飛んでいった。その羽音の連鎖に近く遠くの葉陰にひそむ南国の鳥たちが、花のように乱舞して木陰に散っていった。覚えたての恋歌をだれに聴かすのか、姿のみえない恋人にむかってつらつらと訴えている。


 折りかさなるようにして頭上をおおう照葉樹のひろい葉。ざわざわとゆれ、警戒に満ちた声で鳥たちが先導を引きうけ、そのあとを大きな獣が枝から枝へと移りゆく。


 蒸しかえる緑としめり気をおびた茶系の群生。銀色の陽のきらめきが斜に切断し、奥へと空間をつくりあげた。


 突如、森の緑の垂れ幕がわれた。


 日に焼けたことのない黄色味のある肌があらわれ、少年の顔がのぞいた。明るいくじゃく色の目がせわしなくあたりをうかがった。


 うしろにかきあげた砂色の長い髪が汗にしめり、額と首回りにへばりついて、くすんだ金鎖をつらねている。


 少年は上半身をさらして、貫頭衣を腰もとでまるめてくくり、たすきがけにふくろを担っていた。


 長身の少年は片手になたをもち、熱帯の森のなかを突き進んでいった。


 少年は研究の対象となりうる材料を採取している途中だった。できうるならば生きたままとらえ、父でもありマスターでもある魔法使いにそれをもっていこうと。


 しかし、みつかるのは昆虫ばかりで、魔法使いであり錬金術師でもあるマスターをよろこばせる代物はみつからなかった。


 三、四日みつからないのはあたりまえのこと。少年は気にも病まず、すでに二回往復した島の周辺をもう一度見回ってみることにした。


 島は赤道直下の群島のひとつで、少年と魔法使い以外、人間と呼べるものはただのひとりも住んでいない。このネクアグアに魔法使いがきて以来、近在の島民たちはネクアグアを呪われた島といって近寄らなくなった。


 魔法使いの研究がその発端であろう。魔法使いは、キメラや無から生命を生みだす錬金術に魅せられていた。島にはその失敗作や神々しいばかりに美しい傑作が徘徊している。


 少年・オムホロスは前腕でぐいと顔の汗を払い飛ばした。たしかこの近くにわき水があるはずだった。そろそろ水を飲みたくなってきた。塩からい唇をぺろりとなめ、片手にもったなたで茂みを無造作に振り払った。


 形ある風のようにコトドリがみごとな尾羽根をひらつかせて視界を横切っていった。


 先客がいたようだ。


 一匹のキメラが水を飲んでいた。


 馬の首をもつ、女の体のセントール。巨大なはげたかの翼をたたみ、オムホロスの出現に警戒しているようだった。


 オムホロスは雌キメラに優しく話しかけながら、泉のほとりにひざまずいた。

 しかし、畸型したセントールは飛べもしない翼を羽ばたかせ、走り去っていった。


 オムホロスは冷たいわき水に両手をさしいれ、水を汲みとった。音をたててうなじから頭までびしょぬれにし、上半身のほてりを冷やした。かすかなふくらみをもつ胸を流線形にしずくがたれおちていく。


 筋肉で引き締まった脚を十分に冷やし、オムホロスはたちあがった。


 ふくろのなかでごそごそと昆虫がうごめいている。握りこぶし大のカブトムシや、手のひらよりも大きな蛾がふくろのなかにひしめいている。これをえさにしてべつの生き物をおびき寄せてもよかった。


 しかし、思い直す。キメラがきてしまうだろう。やはり純血種をさがさねば。

 オムホロスがぼんやりと水辺で考えこんでいると、性質のおとなしいキメラが集ってきた。


 クジャクとキツネザルのキメラ。人と犬と蛇のキメラ。蝶とハチドリとトカゲのキメラ。


 オムホロスを恐れない、ひとなつこいキメラたちが、水辺でたわむれはじめた。


 人の体をもつ雌キメラがオムホロスにしなだれかかってくる。オムホロスは雌キメラのなめらかな蛇の尾をなでさすってやった。


 ネクアグアの繁殖期はまださきのことだった。


 オムホロスとて、その時期は石殿から一歩もそとにでられない。


 あやうく交尾の相手にさせられそうになったのも一度や二度のことではなかった。


 人の頭部をもつキメラたちの生殖器を、魔法使いはユーモアのつもりなのか、歪めてつくりあげていた。


 発情したキメラどうしが、血まみれになりながらつがっている場面を幾度となく目にしてきた。


 キメラたちが生物的に正しい行為がゆえに滅んでいく姿をみて、オムホロスは複雑な気持ちになった。


 マスターの研究に疑問をもたないわけではなかったが、生命体をいじくることに関しては否定的ではなかった。


 オムホロスが歩きだすと、キメラたちは方々に散っていった。


 前方の茂みを、猿をとらえた女の顔をもつ虎が走り抜けていった。チンパンジーの四肢を使って、器用に樹木のこずえをのぼっていった。


 太陽が水平線にかしぎ、森にひんやりとした空気がただよいはじめると、黒々とした葉陰から、女の声ににた獣の泣き声があちこちでこだました。人としての最後の記憶なのか、物悲しい言葉が、恨みごとのつぶやきとなって、風にのって吹き抜けていく。


 オムホロスは暗黒の森のなか、火も焚かず、ひろい葉の茂みを踏み固めて葉の布団をこしらえると、そこに丸まって寝た。

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