39-完.先輩の……威厳?


 休憩室で缶コーヒーを飲んでいると、岸本が外回りから戻ってきた。


「おつかれさーん」


「おつかれー」


「やあ、まだ寒いねえ」


「そうなあ」


「去年だったら、もう暖かくなっててよくない?」


「おまえ、去年も同じこと言ってなかった?」


「そうだっけ?」


 あははは、とお決まりの会話をやる。

 やつも缶コーヒーを飲みながら、窓の外を見ていた。


「…………」


「…………」


 微妙な沈黙の中、やつは小さく鼻をすすった。


「……どうなってんの?」


「さ、さあねえ」


 それがなにを指すのかはわかっている。

 でも、おれもそれからは目をそらしたいのだ。


「もう男連中の間で、すごい噂たってんだけど」


「マジで?」


「ていうか、部長から真相を聞いて来いって言われてさ。どうなの?」


「な、なにもないって。本当にさ」


「いやでもさ、この前の企画からでしょ。おまえ、本当になにを……」


 そこへ、第三の人物が。


「あら。お疲れ」


「あ、主任。お疲れさまです」


 彼女も缶コーヒーを買うと、こちらのテーブルに腰掛けた。


「なに楽しそうに話してたの?」


「いや、笹森ちゃんの件ですよ」


「あー、それね」


 主任が苦笑した。


「まさか笹森から、牧野と正式にチーム組みたいって言い出すなんてねえ」


「ほんと、おれもびっくりっていうか。この前の企画、なにがあったんですか?」


「さあ。牧野の監督不行き届きの案件を、牧野が尻拭いしただけだけど」


 ――ぐさっ。


 いやまあ、その通りなんだけど!


「まあ、でもいいんじゃないかしら。後輩に慕われるっていうのは、いい社員の証よ」


「は、はあ」


 その台詞、仕事はできないってけど、って枕詞があるような気がするなあ。


 まあ、いっか。

 主任も、もう怒ってなさそうだし。


 まあ、ちょっと苦手なのは変わらないけど、笹森ちゃんも真面目でいい子だし……。


「牧野さん!」


 ん?

 噂をすればなんとやら。


 笹森ちゃんがこっちに走ってくる。


「こちらにいらっしゃったんですか」


「あ、うん。どうしたの?」


「あの、この件なんですけど……」


「あー、これは、これこれが、それそれで……」


「あ、なるほど。わかりました! ありがとうございます!」


「…………」


「どうしました?」


 おれはふと、気になった。


「この件、前にもやらなかったっけ?」


「あ、そうですね。でも、ちょっと思い出せなくて」


「ふうん」


 ……なぜか最近、こんなのがすごく多いんだけど。


 彼女にしては珍しいけど、まあ、そんなこともあるだろう。

 こんなのにいちいち目くじら立ててたら、こっちが疲れるよな。


 するとなぜか、彼女はにこりと笑った。


「わからないこと、聞いていいんですよね?」


「う、うん。もちろん」


 そう言って、なぜかうれしそうにオフィスに戻ろうとする。


 と、彼女が振り返った。


「あ、そういえば、牧野さん」


「なに?」


「この前のこと、お礼がまだでしたよね?」


「え?」


 この前って、渡辺さんの一件か?


「いや、そんな大したことじゃないよ」


 ていうか、おれのせいだし。


「いえ、ここはきっちりさせてください。それで、今度、ご飯、行きませんか?」


「え、ご飯?」


 ま、まあ、おごってくれるというなら、それを無理に断るのもまずいよな。


「まあ、そう言うなら……」


「ありがとうございます! それじゃあ、楽しみにしてますね!」


 そう言って、彼女は今度こそ行ってしまった。


「……はあ。こんな棚ぼた、先輩としていいのかなあ」


 すると岸本が、からから笑った。


「いや、大丈夫だろ。あれ、先輩として誘われてないし」


「は?」


 どういうこと?


「いやあ、おれも部長にいい土産話ができたわ」


 そう言って肩を叩くと、岸本が行ってしまった。


「……どうしたんですかねえ」


 主任に聞くと、なぜか彼女が無言でこちらを睨んでいる。


「え。な、なんですか?」


「なんでもないわ!」


 ぎゅむっと、テーブルの下で足を踏まれる。


「あいたっ!」


 フンッ、と鼻を鳴らすと、彼女は休憩室を出て行ってしまった。


「……なんだ?」


 それから主任の機嫌を直してもらうのに、丸々一週間はかかりました。


 うーん。

 なんで怒ってたんだろう。

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