39-11.先輩の威厳?


 ――あと一時間。


 おれは走りながら、オフィスに飛び込んだ。


「笹森さん!」


 机で肩を落としていた彼女が、弾かれたように立ち上がった。


「ま、牧野さん!」


「これ、契約書!」


 それを受け取ると、彼女は目を見開いた。


「どうやって? もしかして、勝手に書いたんじゃ……」


「社名の印鑑もある! それに代筆が渡辺さんに通じるわけないだろ! 向こうの責任者に確認をとってくれ!」


「い、いえ。すみません……」


 つい声が大きくなってしまう。


「ご、ごめん。でも、時間がないんだ。すぐに渡辺さんのところに行こう」


「は、はい!」


 会社を出ると、慌ててタクシーを拾う。


「でも、どうやって? それに、なんだか、スーツがボロボロに……」


「い、いや、ちょうど、はやく到着できる新幹線があってね。スーツは、ほら、ちょっとかなり走ったから」


「…………」


 うまくごまかせたとは思えない。

 でも、彼女もここは黙ってくれた。



 …………

 ……

 …



 そして会社に到着すると、渡辺さんに面会した。


「「申し訳ございませんでした!」」


 笹森ちゃんと、深く頭を下げる。

 彼はしばらく、契約書とこちらと見比べるようにしていた。


 ……やがて、彼は小さくため息をついた。


「では、週明けから予定通り、工事に入ります」


 おれたちは顔を上げた。


「あ、ありがとうございます!」


「とは言っても、今回の件を水に流すというわけではありませんよ。そちらが約束を守ったのだから、こちらも守るのは当然です」


 それでも十分だ。

 笹森ちゃんに向かって、彼は優しく微笑む。


「これからもお付き合いはあると思いますが、その中で誠意を見せてもらいましょう」


「は、はい! よろしくお願いいたします」


 諸々の手続きを終え、応接室をあとにしようとしたとき。


「――牧野さん。ちょっといいですか?」


「…………」


 笹森ちゃんに、先に戻っているように指示を出す。


 おれは再び応接室に入ると、ソファに座った。

 すると渡辺さんが、契約書を眺めながら言う。


「まさか、本当にサインをもらってくるとは思いませんでした。ぎりぎり、絶対に間に合わない時間を指定したのに」


「……お疑いにならないんですね」


「ああ、代筆ですか? しないでしょう。あっちの会社とは、あなたがたよりも、うちのほうがつながりが強い。そんなことをすれば、すぐにわかりますからね」


「……そうですね」


 すると彼は、懐かしそうに目を細める。


「あのときのことを思い出しますねえ」


「あのとき?」


「二年前のことですよ。あのときも、あなたは前触れもなく、あのミスを帳消しにした。まるで魔法のようだった」


「……あの、そのことは、笹森には」


「ハッハッハ。先輩というのは、なかなか大変でしょう?」


 年長者のプライドというよりは、単純にダンジョンのことを知られたくないだけだけど。


「まったく、あなたには驚かされますなあ。できれば、その能力を先に出していてほしいところですが」


「……面目ありません」


 うーん。

 なかなかズケズケ言ってくるよなあ。


 まあ、それでもひとの仕事を正直に褒めてくれるのはありがたいよな。


「また、いずれ仕事ができる機会を楽しみにしていますよ」


「……ありがとうございます」


 ――とにかく、これでトラブルは無事に(?)解決したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る