21.5-10.懐かしい味ってこんな味
おれは走り出した。
角を曲がったところで、眼鏡ちゃんを見つける。
彼女は手足を蜘蛛の糸にからめとられて宙に浮いていた。
必死に逃げようともがいているけど、糸はからまる一方だ。
「あ、牧野さん!」
「大丈夫!?」
すると彼女は、目を輝かせながら叫んだ。
「奪われた身体の自由! 粘つくモンスターの体液! なんかこれ、エロ漫画みたいでいいですね!」
……この子、本当に状況がわかってるのかな。
「とにかく、その糸を切って……」
――ぐいっ。
あれ?
いやな予感に、左足を見下ろした。
見ると、脚が白い糸に引っかかっていた。
やべえ。
『シャー……』
ふと、モンスターの鳴き声が聞こえる。
見上げると、暗闇に赤い目玉が八個。
それは、巨大な蜘蛛だった。
ギシギシと節足がうごめいている。
まずい!
エスケープで逃げようにも、眼鏡ちゃんを放ってはおけない。
強化スキルを展開して、その攻撃を迎え撃とうとしたとき――。
「スト――――ップ!」
なぜか眼鏡ちゃんが叫んだ。
その声に、ぴたり、と蜘蛛型モンスターが動きを止める。
「牧野さん、足元!」
「え?」
見ると、足元の繭がもこもことうごめいていた。
やがてそれが、びりっと破ける。
その中から繭を食いながら小さな蜘蛛型モンスターがわらわらと出てきた。
うわーお。
これ、もしかして繁殖タイプのモンスターかな。
するとそれらが、わさわさと眼鏡ちゃんのほうへと群がっていった。
「うわ、きゃああああああああああああ」
「ちょ、ま、待った!」
慌てて強化スキルを展開して、足元の糸を無理やり千切った。
しかしすでに子蜘蛛たちは眼鏡ちゃんに群がっている。
「そ、そんな……」
おれが呆然としていると――。
「……わ、わひゃ、やばい、これ、くすぐった」
……あれ?
蜘蛛の群れの中から、眼鏡ちゃんの声がする。
やがて蜘蛛たちが、さわさわと散っていった。
と、そこに眼鏡ちゃんが蜘蛛たちを肩に乗せてわしゃわしゃ撫でていた。
「牧野さん、牧野さん。この子たち、ちょー可愛くないですかあー!」
「…………」
え?
「あ、あの……。大丈夫なの?」
「え。なにがですか?」
「いや、その、きみ、いま捕食されてたんじゃ……」
「いやいや、そんなことないですよー。この子たちが食べてたのは糸のほうで、これって母乳みたいなものらしいですねえ」
え、どういうこと?
いやでも実際、モンスターが懐いているように見えるんだけど……。
「こ、怖くないの?」
「はい。ていうか、さっきからそっちの子が言ってるじゃないですか。うちの子どもたちに気をつけろって」
そっちの子、と言って顔を向けたのは、大蜘蛛のほうだ。
やつは天井に戻って、こちらを見下ろしている。
「牧野さんがいきなり走り出すからびっくりしちゃいましたよー」
いやいやびくりしたのはこっちのほう……、って、ちょっと待て。
いま、モンスターの声が聞こえるって言ったか?
「……きみ、もしかしてビーストテイマーのウルト持ってる?」
「へ? なんですか、それ?」
魔物使い特性。
モンスターと心を通わせて従える、非常に稀有なスキル。
ものすごーく変な感性を持つ人間にだけ発現すると言われるけど、まさか彼女が――。
「……うひゃひゃひゃ。毛がチクチクしてくすぐったいですー。ていうか牧野さん、この糸、なんか甘いですよ。ほら、一口どうぞ?」
子蜘蛛たちを侍らせて、モンスターの糸をためらいなく口にする眼鏡ちゃんを見ながら、おれは思った。
……いや、納得だわ。
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