0-完.序章
「え。ミミックを倒したの!?」
美雪ちゃんが声を上げる。
「……マキ兄。ちゃんとインストラクターの仕事してよねえ」
「ほ、本人がしたいって聞かなかったんだよ」
「ふうん。……マキ兄だし、心配はしてないけどさ」
彼女はエントランスの隅っこを見た。
そこに、泥だらけの黒木さんがうずくまっている。
ずーん、と重い空気がのしかかっていた。
「……どうしたの?」
「さっきの剣、なんかパチモンだったらしくてミミックの中で折れてたんだよ」
「あっちゃあ。オフィシャルの通販を使わなかったの?」
「オークションに安く出てたから、よく見ずに買っちゃったんだってさ」
「まあ、よくあるよねえ」
美雪ちゃんが彼女に声をかけた。
「とにかく、黒木さん。向こうにシャワールームあるんで、使ってください」
「は、はい」
彼女は着替えのジャージを受け取ると、いそいそと行ってしまった。
それを見送ると、美雪ちゃんがこちらに顔を向ける。
「……で?」
「な、なに?」
「黒木さんとパーティ組むんだって?」
「……まあ、成り行きでそんな感じに」
じとー……。
「な、なんだよ」
「マキ兄。わたしがいくら頼んでもいっしょにダンジョン潜ってくれないくせに。男って本当、おっぱい好きだよねえ」
「ち、違うって! あのひと、こっちに越してきたばかりで友だちいないらしくてさ。だから、ひとりで潜れるようになるまで面倒を見てあげるだけ」
「……ほんとにぃー? 美人だから格好いいとこ見せてやろうとか思ってるんじゃない?」
「そ、そんなことないって。彼女に他にパーティメンバーができたら、おれはやめるし」
彼女の視線はまだ疑わしげだ。
どうしてそんなこと突いてくるのかなあ。
「それに、おれはもうダンジョンには潜りたくないんだよ」
「どうして?」
「……あいつらに、悪いしさ」
「…………」
美雪ちゃんが、悲しそうな顔でおれを見る。
その視線に耐えられなくて、おれは顔を背けた。
「じゃあ、おれは帰るから」
「ちょ、マキ兄!」
施設のドアを開けた。
外はすっかり暗くなっている。
あぁ、くそ。
これから面倒なことになりそうだな。
†
一週間後のことだった。
出社したときに、エレベーターで岸本と鉢合わせた。
「なあ、牧野。あのこと、聞いた?」
「なに?」
「例の怪物くん」
あー、あの本社から来たすごいやつか。
「どうしたの?」
「また武勇伝が増えたらしいぜ」
「今度はなにしたの?」
「関西のほうに超大手の取引相手あるだろ?」
「知ってるけど、それが?」
「あそこと契約取ってきたって」
「……嘘だろ」
あっちにはうちの本社があるはずなのに、どうしてわざわざこっちと?
「なんか怪物くんがこっちに移ったから、契約自体もこっちに移動したいって向こうが言ってきたらしいよ」
「え。それアリなの?」
「まあ、普通はねえよ」
「本社が黙ってないんじゃ……」
「それが、怪物くんだから特例で許可ってさ」
「……やばいな」
どんだけ目をかけられてるんだよ。
おれなんか、いまだに支社長から顔も覚えてもらってる自信ないぞ。
「で、さらにびっくり」
「まだ続くのか……」
それも、いい知らせじゃなさそうだ。
「なんとその怪物くん、今度からうちのチームの主任だってさ」
「……え。マジで?」
岸本は、真剣な顔でうなずいた。
どうやら出まかせというわけじゃないらしい。
「…………」
とうとう、二歳も年下の人間の部下か。
それ自体はいいのだが、それに合わせてチーム全体の動向が逐一、上にチェックされるのは勘弁願いたい。
特におれみたいな凡人には、そんな人間の補佐なんて荷が勝ちすぎる。
「……これから忙しくなりそうだなあ」
「おれはもうちょっと、のんびりやりたいんだけど」
「岸本、おまえはサボりたいだけだろ」
「はっはっは。バレた?」
ここ最近で、いちばんでかいため息が漏れた。
「ほんと、おれたちには雲の上の存在だよなあ」
確か、通り名は『鬼の黒木』だっけ?
……なんか、どこかで聞いたことがあるような。
まあ、気のせいか。
エレベーターを降りて、オフィスに向かう途中。
向こうから課長が歩いてきた。
「お疲れさまです!」
「おう、お疲れさま」
すると、彼はうしろに若い女性を連れていた。
岸本がそれに目ざとく気づく。
「課長、その方は?」
「あぁ、そうだ。きみたちに紹介しておこう」
そう言って、その女性を紹介する。
「もしかしたら聞いているかもしれないが、今期からこの黒木くんがきみたちのチームをまとめることになった」
――え?
「…………」
おれは、呆然とその女性を見つめていた。
課長から促され、そっと前に出る。
「黒木です。今期からこちらでお世話になります」
その艶やかな黒髪。
すらりとした脚を包むストッキング。
悩ましげな泣きぼくろ。
そしてなにより、おっぱいでっけえ。
「……う、うそだろ」
そのとき、ふと黒木さんと目が合った。
彼女も驚いたように、その目を大きく見開いた。
「あ、あなたは……」
「……えっと」
おれが言葉を迷っていると、彼女がパッと顔を輝かせた。
「槇原さん!」
「……牧野です」
――こうして、おれたちのダンジョンアタックは本当に幕を開けたのだった。
†
――ダンジョン『KAWASHIMA』。
その最果ての階層。
プロですら容易に踏み入れないその場所を、血だらけのモンスターが足を引きずっていた。
ぼたぼたと血のあふれる傷口から、生命の源たる魔素が噴出している。
満身創痍のそれは、しきりにうしろを気にしていた。
『ギ、ギギ……』
―――ザザッと、なにか素早いものの気配がした。
その気配に再び背後を見て、モンスターは目を剥く。
音もなく背後に迫った黒い靄が、その身体を一瞬にして包み込んでしまった。
『グ、ギャアアアアアアアアアアアアアッ!』
そのモンスターの悲鳴が木霊し、やがて消える。
静けさを取り戻したその空間に、巨大ななにかが、身じろぎするように動いた。
――双角の隻眼龍が、その黄金色の瞳を開いた。
『美人上司とダンジョンに潜るのは残業ですか?』第一章へ続く――…
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