0-5.このときすでに
おれの一撃を受けたミミックは、黒木さんを吐き出して洞窟の向こうへと逃げていった。
あの脚が生えて逃げてくの、何度、見ても気持ち悪いよなあ。
「ぐす、えぐ……」
ミミックの唾液みたいなものでべとべとになった黒木さんが、ぐすぐすと泣いている。
一般人には、なかなかショッキングな体験だろうな。
「不審なものには触るなって言ったじゃないですか」
「で、でも宝箱があるんですよ!? 普通、開けてみるじゃないですか!」
「それはトラップだって言ったでしょ!」
彼女はむっとすると、腕を組んでぷいっと顔を背けた。
「ちゃ、ちゃんと剣で突いてみました!」
「だからミミックが起きたんですよ! あぁ、くそ、先に注意しなかったおれも悪いですけど……」
美雪ちゃんから預かっていたバッグから、タオルを差し出した。
「とりあえず、これを使ってください」
「ど、どうも……」
彼女は受け取ると、いそいそと髪を拭き始めた。
「ていうか、上層の宝箱が取られ尽くしてるのは常識じゃないですか。経験者なら知ってることでしょう?」
「え。わたし、初心者ですけど……」
「は?」
おれは呆けた。
「じゃ、じゃあ、どうしてあんな剣を?」
「だ、だって、格好いいと思って、通販で……」
「…………」
わなわなと手が震える。
「美雪ちゃん!!」
「わ、なんですか!」
「い、いえ、なんでも……」
つい、ここにいない彼女に怒鳴ってしまった。
そもそも、大人のおれがあんな妄言に惑わされるのが悪いのだけど。
「すみません。こっちの手違いで、あなたを経験者だと思っていました。まだ動けますか? もしその気があるなら、マルガタ鉱石を採集して戻ろうと思うんですけど……」
とはいえ、だ。
あんなことのあとじゃ、もうやりたくないと思うのが普通だろう。
転移装置からそれほど離れているわけじゃないけど、安全優先で〈緊急退避〉を……。
「で、できます!」
彼女は、はっきりと言った。
そうして、ぎゅっとスカートのすそを握る。
「……わたし、まだダンジョンの楽しいところ、知りません」
「…………」
ため息が出た。
まあ、無理にストップをかける状況でもない。
お金をもらっている以上、彼女の意志を優先させるべきか。
「とはいっても、そこの石を拾って帰るだけなんですけど」
「えっ!?」
黒木さんがずいっと身体を近づけてきた。
うわ、なんか甘い香りがする……、と思ったけど、これミミック臭か。
「モンスターと戦わないんですか!?」
「た、戦いませんよ。これはあくまでお試しクエストなんですから。ほら、ここの隅に落ちてる石です」
おれは足元に落ちているマルガタ鉱石を拾った。
「これを受付に持って行けば終了です。モンスターと遭遇したら危ないので、〈緊急退避〉で戻りますよ」
「むぅー……」
なにかふて腐れている。
なんだ、そんなにモンスターと戦いたかったのか?
……よくわかんないひとだなあ。
まあ、いい。
とにかく、さっさとスキルを発動して、と……。
と、黒木さんがうるうるした瞳を向けてくる。
「あの、一匹だけ……」
「だ、ダメですよ。さっきもミミックだからよかったものを、もし好戦的なモンスターだったら危なかったんですよ」
「……ミミックって、危なくないんですか?」
「このダンジョンでいちばん臆病なモンスターですからね。さっきみたいにこちらから手を出さなければ襲ってくることもありません。仮に襲ってきたとしても、さっきみたいに威嚇されるだけで命を取られることもありませんし……」
「あ、なるほど……」
「ただまあ、ミミックは逃げるときになにかを奪っていくことがあるので、持ち物には注意していてくださいね。もし財布とか盗られたら、大変なことに……」
黒木さんが、慌ててポケットなどを探った。
「……いえ。大丈夫です」
「よかった。それじゃあ、〈緊急退避〉で……」
――ん?
おれはふと、黒木さんの格好に違和感を覚える。
長い黒髪。スーツ姿。そして巨乳。
いや、特に変わったところはないと思うんだけど……。
「あっ」
おれはふと、それに思い至った。
「ど、どうしたんですか?」
「黒木さん、あなたの剣は?」
「え?」
彼女はふと、剣を吊っていたはずの腰を叩いた。
しかしそこにはなにもない。
見回すが、やはりそんなものは落ちていなかった。
「……と、盗られました」
あーあ。
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