32-3.ヒステリックモンスター
その男――稲葉利根は、高笑いをした。
「どうした? おれの登場がよほど予想外だったと見えるなあ! その呆けたマヌケ面、おれには愉快極まるぞ!」
「あ、うん。久しぶりだな。元気だったか?」
「普通の返事をしてるんじゃなーい!」
――バンバンッ! とカウンターを叩く。
なんだ、なにが気に入らなかったんだ?
「いいか、おれは舞い戻ってきたのだ! センパイに与えられた屈辱を晴らすため、この辛酸を舐めさせられた日々を清算するため! おれは来月のトーナメントで、あなたを叩き潰す!」
「え。おまえもトーナメントに出るのか?」
「そうだ! フッ、恐ろしくて声も出まい! 所詮は研鑽を忘れ、ぬるま湯に浸かった日々を過ごす過去の遺物よ! 新しいムーブメントを走るおれの前に、なす術もなくひれ伏すことになるぞ!」
「へえ。いやあ、またすごいことになりそうだな。もし当たったら手加減してくれよ」
「そうじゃないだろうがあ――――!」
急にヒステリックに怒り出す。
うーん、なんか変なこと言ったろうか。
「いいか! おれはあなたを倒すと言ったんだ! そこはセンパイは、こう熱い感じで……」
「その前に降りろ」
突然、利根のコートの裾がぐいっと引っ張られる。
ずるんっとお尻を滑らせた利根が、ずでんっと落下する。
「ちょ、美雪ちゃん!」
「カウンターに座らないでくれる? 利根さん、ほんと常識がないよねえ」
うっわ、誰にでもだいたい人当たりがいい美雪ちゃんが汚物を見るような目で……。
そういえば、昔からこのふたり、仲悪かったよなあ。
顔面を打った利根が起き上がった。
「な、なにをする、このゴリラ!」
「はあ? チンパンジーが喧嘩売ってるつもりかな?」
「き、きさまあ……!」
待て待て。
「それより利根、大丈夫か。鼻血が……」
――バシッと手を弾かれる。
「さ、触るな! いいか、おれは敵からの情けは……」
そうして、ハッと動きが止まる。
その視線は、ある一か所に釘づけだった。
「…………」
「な、なに?」
姫乃さんがたじろぐ。
「……おい、利根?」
「う、美しい……」
はい?
ハッと我に返る。
その頬を赤く染めると、おれに掴みかかってきた。
「ま、牧野センパイ! この女性は……っ!?」
「おい、鼻血、鼻血が……」
すると美雪ちゃんが冷たく言った。
「マキ兄のいまのパートナーで、彼女だよ」
「なあ……っ!?」
ががーん。
って感じで片膝をつく。
おい、下向くと鼻血がやばいぞ大丈夫か。
「ふ、ふふ、ふ……」
「と、利根?」
「フハハハハッ! あなたはいつもそうだ! おれからすべてを奪っていく!」
頼むから会話をしてくれ。
「この恨み、おれは忘れないぞ! せいぜい、いまだけの幸福を噛みしめるがいい!」
そう言って、利根は鼻血も拭かないまま出て行ってしまった。
嵐のあとの静けさの中、姫乃さんが呆然とつぶやく。
「……祐介くん。あの方、なんなの?」
「えーっと。おれの昔のパーティメンバーで、利根っていうんですけど……」
……なんか、面倒なことになりそうだなあ。
おれはぼんやりとそう思った。
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