30-2.ある夏の出来事
「――という依頼なんだけど」
クエストの詳細を話し終わったピーターが、首を傾げた。
「……あれ。意外な反応だね」
その視線の先。
姫乃さんが青い顔でガタガタ震えている。
「あー。えーっと……」
おれは夏のことを思い出していた。
…………
……
…
あれはおれたちがつき合いだして間もないころだった。
おれの部屋でぼんやりテレビを見ていた姫乃さんが、ふと肩を叩いてきた。
「ねえ、牧野くん」
資料制作をしていたパソコンから顔を上げた。
「なんですか?」
「あの染み、人の顔に見えない?」
彼女が指さしたのは、キッチン横の壁の汚れだった。
テレビに目を向けると、『日本の怪奇特集!』という特番が流れていた。
「あー……」
おれは少し考えて、姫乃さんの言葉にうなずいた。
「そうですよ」
「え?」
彼女の顔が固まった。
「この部屋、十年前に殺人事件があったんですよ。だから契約するとき、見えるひとには見えるって言われましたね。あ、気をつけてください。それが見えたひと、一週間後に事故に遭うらしいですから」
「……じょ、冗談よね?」
「いえ、本当ですよ。そういえば何日か前、寝てるときに枕元に女のひとが立っていたような。ほら、ちょうど主任が座ってる辺りに……」
「いやああああああああああああああああ」
姫乃さんは悲鳴を上げると、そのまま部屋の隅に逃げてしまった。
「……あれ?」
おれはぽかんとしながら、ガタガタ震える彼女を眺めていた。
「……あの、主任。冗談ですよ?」
「え?」
彼女が振り返った。
おれはその汚れをタオルで拭った。
確か昨日、醤油が跳ねたんだよなあ。
「…………」
「…………」
――ぶちっ。
姫乃さんの何かがぶちギレたような音がした。
「あ、あ、あんたね……」
「え、いや、だって、そもそも主任が……」
「言っていい冗談と悪い冗談があるでしょうがあああああああああああ」
ほんの冗談じゃないですかあああああああああああああ!
…………
……
…
「というわけで、このひと心霊とかホラーとか、そういうの苦手なんだよね」
「……じゃあ、どうしてホラーのテレビなんか見てたんだい?」
「いや、作り物ならオッケーっていうか。でも実際に同じ空間にあるかもってのはダメらしい」
その基準は、正直おれにもよくわからないけど。
「ふーむ。じゃあ、どうしようかな」
「姫乃さんがいっしょじゃなきゃダメなわけ?」
「いや、そんなことはないよ。ただ、クロキチャンはあそこには潜ったことはないだろうと思ってね」
「どこ?」
「ほら、あそこさ」
ピーターがもったいぶって告げる。
「『シームーン・アイランド』さ」
「あー……」
姫乃さんが眉を寄せる。
「そこ、どこ?」
「まあ、いわゆる水中ダンジョンですよ。モンスターも弱いし、ダイビングスポットとして有名ですね」
デートに行きたいダンジョン世界トップ5のひとつ。
その幻想的な風景は、この世のものとは思えないらしい。
「まあ、姫乃さんはまた今度、連れていきますんで」
「……行く」
「え。でも、今回のクエストは……」
「もう、行くったら行くの!」
なんか参ったことになったぞ。
そう思いながらピーターに目を向けるが、彼はまるで想定通りとばかりに笑って見せるだけだった。
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