24-完.同棲もののお約束だよなって


 ちゅんちゅん。


 カーテンの隙間から、眩しい朝日が射し込んでいる。


「……う」


 おれはぼんやりと目を開けた。


 あぁ、そうだ。

 今日は土曜日だ。


 源さんのクエストを受ける日だ。

 気乗りはしない内容だったが、『風神』を安く譲ってくれた借りもあるしな。


 しかし、いま何時だ?

 おれは携帯を探して、手をもぞもぞと動かした。


 ――むに。


 うん?

 手のひらが、なんか柔らかいものを掴んだ。


 むにむに。


 なんだ、これ。

 それを確かめるために、もう少し丹念に触ってみる。


 むに、むに。


 少なくとも携帯ではない。


 あー……。

 これは、あれだな。


 まずいパターンだな。


 おれも馬鹿じゃない。

 これが人肌だってのはわかっている。


 で、ここにはおれ以外には、ひとりしかいない。


 どうしたものか。


 いや、もちろんすぐに手を離せば問題なかったはずだ。

 ただ、寝ぼけていたのがまずかった。

 いかんせん、けっこう言い訳のしようがないレベルで揉んでしまっている。


 むにむに。


 その男を魅了してやまない謎の感触。

 どうしても手が離れてくれないから不思議なものだ。


「……そうだ」


 というか、前提が間違っていた。

 この数日で学んだことは、ハナは朝が弱いということ。

 つまり、こいつはまだ眠っている可能性が高い。


 となれば、なにも恐れることはない。

 堂々と知らないふりをしていれば――。


「……てめえ、なにしてんだよ」


 ですよねー。


 あー、これはやばいな。

 すごい真正面から目が合ってしまった。

 思わず顔を背けてしまったけど、そりゃもうガチでバレている。


 こういうときは、アレに限るな。


「……ぐー」


「寝たふりしてんじゃねーし!」


 はいダメでしたー。


 バッスンバッスンと枕で側頭部を殴打されている。


「いやほら、おまえの魅了スキルが残ってるみたいでさあ」


「とっくに切れてるっつーの! そもそも、ここスキル使えねえし!」


「おまえがおれのベッドに潜ってんのが悪いんだろ。あの寝床どうした?」


「ふざけんなし! 段ボールなんぞで寝てられっか!」


「え。じゃあ、おまえ、もしかして毎日こっちのベッド潜って……」


「ていうか、いつまで揉んでんだし! さっさと離せえー!」


 ばちーん。



 …………

 ……

 …



 あー。

 目が覚めた。


 結局、いまの時間は昼前だった。

 本当に、泥のように眠ってたな。


 昨日はそんなに飲んだ覚えはなかったんだけどなあ。

 なんか本気で頭がどうかしてんじゃないかって感じだったな。

 まあ、それだけ仕事に疲れてるってことか。


 ……姫乃さんには口が裂けても言えねえ。


「マジ最低えー。鬼畜野郎。ほんと死ねし……」


 ハナはぶつぶつと語彙力の低い呪詛を垂れ流しながら、もそもそコンビニのおにぎりを食べている。


「もー、最悪ぅー。くそ野郎におかされるし、メシはまずいし、マジ帰りてえー。なんであたしがこんなことに……」


「文句あるなら食わなくていいんだぞ」


「食わねーとは言ってねーし。あんたってマジ器が小さいっていうかあー」


 こんな言い草して、ひとの倍は食べるから参る。

 昨日こいつの食った代金は、すべて源さんに回そう。


「おまえ、今日は源さんのクエストだろ。さすがに帰れよ」


「なんかあー。マスターが、あんた連れて来いってえー」


 なんと信用のないことか。

 いやまあ、気が乗らないのは確かなんだけど。


「あー、くそ。マジで最悪。いつか殺す……」


「あー、はいはい。悪かったよ。今度から毛布ぐらい用意してやるから」


 そうしないと、末代まで祟られそうだ。

 もともとヘビなんだし、ありえない話じゃないよな。


「つーか、おまえ魅了スキルの使い手だったんだろ。いまさらあんな事故で動揺するなよ」


「乙女の乳揉んで事故で片付けよーとか! オトコはこれだからマジクズっしょ!」


「いや、だって実際、そんなもんだろ……」


 するとハナは、ビシッと指をさしてきた。


「え、えっちなことは結婚する相手としかやっちゃいけねーんだぞ!」


「は?」


 しーん。


 失言と悟ったのか、ハナの顔がボッとゆでだこみたいになる。


「……おまえ、まさか」


「ち、ちち、違えーし! そんなんじゃねーし! やりまくりだし!」


「いまさらそんな薄っぺらい言葉で取り繕われても……」


 ははあ。

 なんか人型モンスターっていっても、精神年齢は人間と大差ないのかねえ。


「もー、着替えるし!」


「どうぞ」


「こっち向くな!」


「はいはい」


 おれは背中を向けて、おにぎりをもそもそ食べていた。


 そのとき、ピンポーン、とチャイムが鳴った。


 誰だ?

 おれはおにぎり片手に、のそのそと玄関に向かう。


「はーい、はいっと……」


 ガチャ。


「――あ、牧野さん!」


 え?


 目の前には、隣の席のOLさん。

 彼女は可愛らしい私服姿で、近くのスーパーの袋なんて下げている。


 このシチュエーションは、アレだな。

 この前、彼女が申し出てくれたアレだ。


 でも、確か断ったよな?

 なんで……。


「あの、ご迷惑かなって思ったんですけど、やっぱり気になっちゃって。お掃除もできてないって言ってたし、よかったら……」


 いじらしい感じで言う彼女に対して、おれは冷や汗が止まらなかった。


 これは、まずい。

 うまく言い訳して、中に入れないようにしなくては……。


 しかし背後から、空気の読めないやつが顔を出す。


「おい、くそ野郎。ちょっとうしろのチャック下ろし……」


 ばったりと顔を合わせた途端。


 ――ドサッ。


 OLさんの手から、ビニール袋が落ちる。

 中から玉ねぎとか人参が転がり出た。


 わ、わーい、今夜はカレーかなあ。

 そういえば、最近食ってねえなあ。


「えっと、その子は……?」


 その目が、妹さん? でも、単身赴任のはずじゃ……、と訴えかけている。

 なによりも、おれとハナは天地がひっくり返っても肉親には見えないだろう。


「……えっと、これは」


 どう言い訳しようか考えるが、その思惑はハナの言葉によって無残にも散った。


「てめえ、ふざけんなし! ひとの乳揉んだくせに、もう次のオンナとか節操ってもんがねーのかよ!」


「あ、ばか……!」


 その瞬間のOLさんの顔を、おれは生涯、忘れることはないだろう。

 これほどまでに他人に嫌悪の感情を伝える手段があるなど、おれは知りもしなかった。


 彼女の去った方向を眺めながら、おれは打ちひしがれながらビニール袋を拾う。


 ……月曜から、どうしよう

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