24-2.いやいやちゃんと仕事してますよ


「牧野さん。この案件は?」


「あぁ、これは取引先の……」


 小ぢんまりとした営業所の中では、今日も忙しい日々が続いている。

 なにせ構成員の七割が新入社員なのだから当然だ。

 マニュアルでもあればいいが、生憎とそんなに都合のいいものは存在しない。


 そのくせ、本社やうちの支社などからは次々に案件が舞い込んでくる。

 その処理に追われて、昼食の時間もまともに確保できない。


 東京に戻るまで、あと二か月。

 それまで身体が持つといいけど。


「だあー! 終わったあー!」


 六時を過ぎたところで、定時退社の時刻となる。 

 さすがにこの状態での残業勤務は危険だということで、営業所全体がこの時間で閉まるようになっていた。


 荷物をまとめていると、ふと隣の席に座る女性社員がこちらを見ていた。

 中途採用で入社した、四月に大学を卒業したばかりのOLさんだ。


「あの、牧野さん」


「うん?」


「このあと、お時間ありますか?」


「あれ。なにか、わからない案件ある?」


「い、いえ。そういうことじゃなくて……」


 彼女はどこか緊張した様子で言った。


「……よかったら、お食事でもどうですか」


「え?」


 これは、まさか……。


 おごり事案か!


「え、いいの!?」


「はい。この一週間、お世話になってるし、ごちそうさせてください」


「やった。こっち来て、北海道っぽいもの食べてなくてさ」


「あ、じゃあ、いいお店、知ってますよ」


「よっしゃ。じゃあ、すぐに準備するよ」


 そのとき携帯が震えた。


「あ、ごめん。ちょっと待って」


 おれは慌てて通話ボタンを押した。


「お、お疲れさまです」


『……なんか他人行儀ねえ』


 姫乃さんだった。


「あ、いや。つい癖で……」


『ま、いいわ。ところで、そっちの調子はどう?』


「いや、どうって、昨日の夜も電話したばっかじゃないですか」


『い、いいじゃないの。それともなに、迷惑なの?』


「そ、そんなことないですけど……」


 なんだろう。

 すごく恥ずかしいぞ。


「まあ、大変ですけど、うまくやれてますよ」


『そ。ならいいわ』


「あ、すみません。ちょっと同僚を待たせているんで。また帰ってかけ直します」


『はいはい。ほどほどにね』


 電話を切って、OLさんに向く。


「ごめんね。お待たせ」


「…………」


 すると彼女は、どこか疑わしげなまなざしを向けていた。


「あの、いまのは……?」


「あぁ、東京のほうの上司」


「上司、ですか? なんか、仲いいんですね?」


「え。どうして?」


「毎日、電話するって……」


「あー……」


 おれは頬をかいた。


「じ、実はつき合っててさ。まあ、会社では内緒にしてるんだけど」


「え……」


「それより、行こうか。その店ってここから……」


 すると彼女は、急に大声で言った。


「す、すみません! その話、また今度で!」


「え?」


「あ、えっと。わたし、用事を思い出して……」


「そ、そう」


「お疲れさまです!」


 彼女はばたばた支度を済ませると、さっさと営業所を出て行ってしまった。


「……なんだ?」


 まあ、いいけど。

 おれは荷物を抱えると、電気を消して営業所の鍵をかけた。


 北海道とは言っても、この時期はそれほど寒くはない。

 おれはぼんやりと社宅までの道を歩いていく。


 賑わう商店街の街並みに、どこかノスタルジックな感傷に浸る。


 うーん。

 しかしこうなると、無性に海の幸とか食べたくなってくるな。

 いつもは適当にスーパーの総菜とかで済ませるけど、今日はちょっと冒険してみようか。


 そう思いながら、店を見回していく。

 狭い路地のほうを覗いてみるが、さすがにひとりでこういう店に入るガラじゃないしな。


 あ、海鮮丼かあ。

 悪くないなあ。


 そう思いながら、店頭でメニュー表を眺めているときだった。


「……牧野?」


 その声に、聞き覚えがあった。

 驚いて振り返ると、そこにいたのは予想通りのひとだった。


 それは、背の高い眼鏡の女性だった。

 ぼさぼさの髪に、まるで他人の目を意識してなさそうな部屋着姿。

 彼女はぺたぺたとサンダルを鳴らしながら、くわえた煙草の煙をくゆらせた。


「……源さん?」

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