主任、夏イベントはスキップです

24-1.北の大地に立つ


 どうも。

 牧野です。


 あの『マテリアル・フォレスト』の消滅から三か月後。

 世間的には夏休みが終わったくらいの時期です。



 ――おれはいま、遠い北海道の地にいます。



 美しい海。

 情緒あふれる街並み。

 そして、美味しい海の幸。


 いやあ、最高だなあ。

 ただ残念ながら、今日の天気は曇り空。

 目の前に広がる小樽の海は、ざぶんざぶんと荒れ狂っています。



 人間ひとり消えても、誰も気づかないかなって。



 ……死にたい。

 いや、割とマジで。



 と、そこへ携帯が震えた。


「はい」


『あ、そろそろ着いた?』


「えーっと。いま、タクシー探してるんですけど……」


 もう、かれこれ30分以上……。

 目的地へ向かって歩いているけど、これそのまま着くんじゃないか?


『時間は?』


「あ、はい。今日は顔見せだけなんで、時間はいつでもいいらしいです。それ終わったらホテルにチェックインします」


『じゃあ、業務は明日からね』


「そうですね」


『まあ、頑張るのよ』


「……はい」


 おれは電話口に聞こえないように、小さなため息をついた。

 肩に担いだ荷物が、それはもう重く感じる。


 いま立っているのは、北海道の大地。


 わたくしこと牧野祐介。


 ……転属になりました。



 …………

 ……

 …



 それは二か月ほど前のこと。

 ダンジョン帰りに『KAWASHIMA』の酒場で飲んでいると、ふとその話題が上った。


「え。北海道に営業所ですか?」


「小さいもんだけどね。契約自体はこっちでやるから、そのアフターサポートのために構えるんだって」


「ふうん。うちの会社、そういうとこだけやけに大胆っていうか……」


「ゆくゆくは東北のほうに新しい支社を建てたいらしいわ」


「へえ。まあ、おれたちには関係ないですけどねえ」


「そうね。あんたはサポートしてもらうほど契約とれないからね」


「うぐ……」


 言葉に詰まって、誤魔化すようにビールを飲んだ。


「まあ、いいですよ。おれはどうせ仕事できる男じゃないんで。ところで、主任。ちょっと岸本から聞いたんですけど……」


「…………」


 じろり。


 主任が鋭い視線を投げてくる。


「……え、えっと」


 そのまなざしの訴えるものを察し、おれはつい口ごもった。


「……あー。ひ、姫乃、さん」


「…………」


 彼女はふいと視線を逸らすと、わざとらしく咳をした。


「こ、コホン。な、なにかしら。……ゆ、祐介くん」


 その頬が、微かに赤く染まっている。


「……あ、あー。なんか、ど忘れしちゃいましたねえ」


「そ、そうなの? も、もう、しっかりしてよね」


 あはははは。


 おれたちが笑っていると、ふと厨房から何かが飛んできた。



 ――ドスッ!



 びーん……、とテーブルに突き立った包丁が震えている。


「あ、ごめんごめん! マキ兄、怪我なかった?」


 にこにこ笑いながら、そっちから美雪ちゃんが走ってくる。


「み、美雪ちゃん。いまのは……?」


「アハハー。ちょっと、手が滑っちゃった☆」


「そ、そうなの? き、気をつけてね」


「そうそう。気をつけないとね」


 包丁を抜くと、彼女は冷たい声で言った。


「……あんまりうざいと、次はどこかに当たっちゃうかもしれないからさ」


 その刃がぎらりと輝いた。


「き、気をつけます」


「よろしい。あ、これお詫びの唐揚げね。じゃあ、ごゆっくりー」


 包丁を器用にくるくる回しながら、彼女は厨房に戻って行ってしまった。

 その姿を見送り、おれは首をかしげる。


「……なんか最近、美雪ちゃんの様子が変なんですよねえ」


 おれ、なんかしたっけなあ。


「…………」


 するとなぜか、主任が小さなため息をついたのだった。



 …………

 ……

 …



 ――そんなことがあった翌日のことだった。


 会社のオフィスで、おれは呆然とつぶやいた。


「……え?」


 すると課長が、いまの言葉を繰り返す。


「例の北海道の営業所だが、軌道に乗るまで臨時の増員が決まった。本社からも行くが、うちからも一人、サポートに出す」


「……それが、おれですか?」


「あぁ。向こうの要望で、営業経験者がいいとなってな。きみは独身だし、適任だと推したのだが……」


「え、あ、えーっと、独身なら、岸本も……」


「……悪いが、こっちと連携を取れる人間であれば誰でもいいと言われていてね」


「あー……」


 まあ、なるほどね。

 おれよりも、あいつのほうが成績いいもんね。


 ちらと姫乃さんを見る。

 彼女は苦い顔で首を振った。


 ……どうやら、すでに拒否できる段階ではないらしい。


「……わかりました」


 こうしておれは、遠い北海道の大地を踏んだのだった。


 ……もうほんと、勘弁してほしい。


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