21-完.ケア


 オフィスのドアを開けると、主任が机に突っ伏していた。


「え、主任!?」


 その肩を揺すると、彼女はもぞもぞと動き出した。


「……ふあ?」


 主任はおれを見て、目をぱちくりさせる。


「あんた。どうしているの?」


「いや、寧々から聞いたんですよ。主任が今日、終電確定とか言ってたって……」


「……言った、かも」


 おれはため息をついて、自分の机のパソコンを起動させる。


「どうして言わないんですか。手伝うって言ったでしょ」


「だ、だって、あんた、寧々さんと……」


「そんなの、いつだってできるじゃないですか」


 まあ、あっちの用事も終わらせてから来たんだけど。


 すると主任が、どこか申し訳なさそうにもじもじと手を組んだ。


「……寧々さんと、大事な話、あったんじゃないの?」


「…………」


 ぴた、と一瞬だけ手が止まる。


「はあ? べつに、なにもありませんでしたよ」


「そ、そう、なの?」


「なに吹き込まれたか知りませんけど、さっさと終わらせて帰りましょう」


「う、うん……」


 主任のデータを分割して、簡単なほうをおれが処理していく。

 まったく、こんなのひとりで終わるわけないだろ。


「…………」


「…………」


 しばらく、カタカタとキーを打つ音だけが鳴っていた。

 終わるとは思えない作業でも、やはり時間をかければ終わりは見えてくるものだ。


 あとはこのデータを反映させて、と。


「……ハア。完成ね」


「そうですね」


 あー、終わった。

 なんとか、終電には間に合いそうだな。


「……あ、主任。ひとつ、いいですか?」


「なに?」


 彼女が振り返ったとき、おれは寧々の言葉を思い出していた。



 ――おまえさ、たぶん振られてねえよ。


 ――わたしが魔法の言葉をくれてやるから、これ言ってみ?



 おれは体中が痺れるような感覚に見舞われながら、その言葉を口にした。


「――――」



 …………

 ……

 …



 二階のダンジョン酒場『KAWASHIMA』のカウンター席で飲んでいた。

 隣には仕事上がりの美雪が座っている。


「……寧々さん、いいの?」


「んー?」


 わたしはタバコの煙を吐いた。


「なにが?」


 美雪が変な顔になった。


「いや、だって。寧々さん、マキ兄のこと本当に好きだったでしょ」


「うん」


「な、なんかあっさりしすぎじゃない?」


「そう?」


「ま、まあ。見てるほうとしては」


「そんなつもりねえけどなあ」


 タバコを灰皿に押しつけた。

 あー、久々に吸うと、やっぱり不味いな。


「……前にアレックスが牧野のアパートに来たっての、覚えてる?」


「えーっと。ピーターさんたちとグリフォン狩ろうとしたとき?」


「そう、それな。あのとき、あいつらが話してるの聞いちゃったんだよねえ」


「なにを?」


「あの素人女がさ、牧野に言ったんだよ。どうしてあんなひとたちのために戦うのよってさ。まあ、あれは命がけのクエストだったからな」


「…………」


「あのひとたち、昔のあんたばかり見てるじゃない、どうしていまのあんたを見ようとしないの、だっけか。牧野はまあ、忘れちまったらしいんだけど」


 起きるタイミングは逃すし。

 イチャつくの見せつけられるし。

 ていうか踏まれるし、あれは最悪だったな。


 でも、あの言葉に思い知らされたような気がする。

 牧野をああやってダンジョンに潜れるようにしてくれたのは、いったい誰なのか。


 ――誰が、その隣にいるのがふさわしいのか。


「結局のところさ。わたしら、みんなうしろ向いてるんだよなあ。アレックスは兄貴のこと。牧野はみんなを巻き込んだって罪悪感。ピーターだってそうだよ。あいつがレジェンド・モンスターのハントにこだわるのは、あのときの無力感を拭いたいからさ」


「……寧々さんも?」


「そうだよ。わたしはアレックスを言い訳にして、あのときの牧野と正面から向き合うのから逃げていた。でも、いつの間にかあいつは前を向いていた。背中合わせで立ってるんだから、そりゃ目に映らないわけだよなあ」


「……ふうん」


 美雪はつまらなさそうに料理の皿を突いている。


「じゃあ、これで寧々さんも前を向けるってことだね」


「そうだといいけどなあ」


 自嘲気味に言うが、美雪はにこりともしなかった。

 代わりに、ふと疑問をぶつけてくる。


「で、その魔法の言葉ってなに?」


「え? 好きですつき合ってください、って」


「…………」


「変に気取るからややこしいことになるんだよ」


「……そうだねえ」


 美雪はうんざりしたようなため息を漏らした。


「ほんと、面倒くさいひとだよねえ」


「ま、これで本当に振られたらわたしがもらってやるよ」


「ひゅー。かっこいー」


 わたしたちは笑いながら、グラスをカチンと合わせた。

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