19-完.開戦


 目を覚ましたとき、すでに周囲は暗くなっていた。

 森の気配を確認するが、まだ異変らしきものはない。


 おれが伸びをすると、うしろから声をかけられた。


「……起きられましたか?」


 振り返ると、マイロがこちらを見ていた。


「あ、はい。寝床をお借りしました。ありがとうございます」


「いいえ。むしろ礼を言うのはわたくしのほうです。この老いた身体では、このくらいしかできませんので……」


「そんなにかしこまらないでください。おれたちだって、それぞれ目的があります」


「……あの女性のため、ですか?」


「……確かにそれもあります。アレックスは、兄の眠るこの地を守るために戦います。おれも、そんな彼女のために戦うというのは嘘じゃありません」


「あなたには、他にも目的があるんですか?」


「……はい。おれにとっても、これは必要な戦いです」


 おれはそれ以上は答えずに、新しい双剣を手にした。

 その点検をしていると、ふとマイロが言った。


「……あの子は、まだ幼すぎます」


「カンテラのことですか?」


「はい。あの子は、この森で生まれ、そして森とともに成長してきました。まだ外を見たことがないあの子にとって、この戦いは辛いものになるでしょう」


「……おれも、できる限り彼女を守ります」


「ありがとうございます」


 防具を装着して、準備を整える。

 新しい剣は、思ったよりも軽くて動きやすかった。


「……そういえば、アレックスとカンテラは?」


「カンテラはテンペスのところに。あの女性は、湖のほうへ行くと」


「わかりました。おれも様子を見てきます」


 そう言って、家を出た。

 湖のほうへと歩いていくにつれて、空気が澄んでいくような気がする。


 ――パシャッ


 ふと、水の跳ねる音が耳に届いた。

 月明かりに、女性の影が湖に浸かっているのが見えた。


 おれは慌てて視線を逸らして、近くの木に背中を預けて座った。


「……ユースケ?」


 アレックスの声がうしろから聞こえた。


「あぁ。いま起きた」


「そう。カンテラは?」


「モノケロースのところだ。そろそろ、やつらが動き出す時間だとマイロさんが言っていた」


「わかった。すぐ準備する」


 とは言いながら、彼女はいつまでも湖から出ないようだった。


「……変わってないな」


「なに?」


「アレックス。不安なときは、いつも風呂に入りたがってたろ」


「……そうね。確かに緊張しているかもしれない」


「どうしてここに? あの家のほうには……」


「カンテラたちは、お風呂には入らないらしいの」


「あぁ、なるほど。でも、そろそろ上がってくれないか? 一応、最後の点検をしておきたい」


「そうね。ごめんなさい」


 バシャバシャと、彼女が湖から上がる音がする。

 おれはホッとすると、空を見上げた。

 木々の隙間から見える星空は、向こうの世界と大きくは変わらない。


 ――しかし、その満月だけは真っ赤だった。


「……なあ、アレックス」


 彼女からの返事はなかった。


「おれたちが二人で最初にこのダンジョンに来たときのこと、覚えてるか?」


「……えぇ。覚えてるわ」


 その声の、あまりの近さに驚いた。

 振り返った瞬間、うしろから細い腕がおれの首を抱きしめる。


「あ、アレックス……?」


 彼女は一糸まとわぬ姿のままだった。

 その手のひらが、おれの後頭部をなでまわす。


 その身体は、小さく震えていた。


「……ユースケ。黙って聞いてほしいの」


「…………」


「もし向こうに帰ることができたら、わたしと――」



 ――キイィィィィィンッ



 おれたちはハッとして、その音のほうに目を向けた。

 慌てて離れると、彼女に指示を飛ばす。


「おれは先に行く! アレックスは準備が整い次第、身を潜めてくれ!」


「わ、わかった!」


 おれは音のほうへと駆け出した。

 しばらくして、ドオンッっと爆発音が森に響き渡った。


 赤々とした灯りが、向こうに見える。

 そこにたどり着いて、おれは舌打ちをした。


 ――森が灼熱の炎によって燃えていた。


 そして、その中心にいるモンスター。


 三つ首を持つ、巨大なハウンド。

 龍の尾、蛇のタテガミ、そして炎をまとう鋭い牙。


 ――ケルベロス・フレイム


 火属性のエピックモンスター。

 本来、そいつはこの場所にはいないはずだ。


 そしてもうひとつ、木の上から声がした。


『アハハ。なに、うそ。変な気配が混ざってると思ったら、へえー。マジでびっくりー』


 見上げて、おれは目を見張った。


 ――ラミア


 それは大蛇の半身を持つ、人型モンスター。

 真っ赤な髪を両腕でかき上げながら、それはにやにやとこちらを見下ろしていた。

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