主任、今回は別行動でお願いします

18-1.ダンジョンが死ぬ日


「そちらの資料にありますように、今期のリピーター率は……」


 ある日の予算会議。

 主任の言葉に、部長が眉を寄せた。


「資料?」


 そう言って、手元の書類をめくっている。

 おれの背筋に悪寒が走った。

 慌てて手元の資料を確認すると、用意していたはずの書類がごっそりと抜け落ちている。


 やばい!


 おれは慌てて主任の横顔を覗く。

 しかし彼女はなんでもないように微笑んでいた。


「失礼いたしました。それでは新規の獲得は前年の1.02%、そのうちリピーター率は71%で……」


 つらつらとよどみなく説明は続く。

 もしかして、内容ぜんぶ覚えてるの?



 …………

 ……

 …



 会議が終わり、おれは課長にお呼ばれする。


「……牧野くん」


「す、すみません」


「黒木くんのおかげで会議は無事に済んだが、危うく予算が下りないところだった。ただでさえ、今年は経理部も財布の紐が固いんだから……」


「以後、このようなことがないようにいたします」


「頼むよ。では、行っていい」


 おれは頭を下げると、自分の机に戻る。

 メールフォルダの確認をしていたとき、ふと手元の内線が鳴った。


「はい」


『牧野さん。〇×販売から電話が入ってますけど』


「え?」


 なんかあったか?


 電話を代わった瞬間、怒声が飛んできた。


『――――ッ!』


「……あっ」


 やっべえ!

 慌てて保留に切り替え、データを確認する。


 隣の岸本が、眉を寄せて覗き込んできた。


「どうしたの?」


「いや、えっと……」


 おれは事情を手短に説明する。


「商品の手配を忘れてたあ!?」


 あまりの大声に、オフィスの視線がこちらに集中する。

 主任が即座にデスクから駆け寄ってきた。


「なに。どれ?」


「こ、これです」


「…………」


 彼女は商品を確認すると、険しい表情で言った。


「すぐ謝罪に行くわよ。アポ取んなさい」


「は、はい」



 …………

 ……

 …



「失礼いたしました」


 取引先を辞退して、おれたちは電車に乗った。


 帰ったら課長に報告。

 今日は始末書で残業決定。

 いや、それで済めば御の字か……。


「すみません」


「…………」


 主任はずっと黙っていた。


 怒っている。

 そりゃそうだ。

 いつもなにかと迷惑をかけているが、今回のはとびきりだった。


 やがて彼女は、小さくため息をついた。


「……なにかあったの?」


「え?」


「最近、ずっとその調子じゃない」


「…………」


「言えないの?」


「……いえ。ちょっと、私事なんで」


「内容によっては力になるわよ」


「……すみません」


 彼女は少し寂しそうに、窓の外へ視線を移した。


「そ」


「…………」


 迷惑をかけた上に、黙って済ませるなんて虫のいい話だ。

 でも、これだけは言えなかった。



 …………

 ……

 …



 そのクレーム処理や上への報告などに奔走し、やっとのことで確保した日曜日。

 おれはアパートを出ると、いつも『KAWASHIMA』へ向かうのとは反対の電車に乗る。


『もうすぐ着く』


『わかった』


 携帯をしまうと、窓の外を見る。

 快晴だった。

 どうしてか、その太陽の光がいつもより眩しく感じた。


「…………」


 始まりは、二週間前。

 ハンター専用アプリに流れた、ひとつの情報だった。


 ――ダンジョン『マテリアル・フォレスト』の消滅日が確定されました。


 ダンジョンが死ぬ。

 エレメンタルは発生から10年ほどで寿命を迎える。

 魔素マナが枯渇し、現代とをつなぐ『ルート』が消滅するのだ。


 そして、東京にある『マテリアル・フォレスト』は、発生から12年。

 とうとう、その寿命を全うする。


 そうなると、やはり各地からハンターがやってくる。

 主にそのダンジョンに思い入れがある人間ばかりだ。


 そのダンジョンでハントをしていたやつ。

 特定のモンスターのファン。


 とはいえ、思い入れと言ってもすべてがいい意味ではない。

 そのダンジョンに、悲しい思い出を持つものもいる。


 ――そして、彼女もそのひとりだった。


 駅に着くと、妙に華やぐ空間があった。

 人目を引くブロンドの美女が、所在なさげに立っている。


「アレックス」


 彼女は振り返った。


「ユースケ」


「待った?」


「ううん。いま着いたとこよ」


 おれたちはどちらともなく並んで歩きだした。


「日本へは?」


「昨日。本当はもう少し早めに来る予定だったんだけど、どうしても外せない仕事があって」


「仕事は順調?」


「それなりに。でも、最近はダンジョンに潜る仕事も増えて、ちょっと大変」


 その目が、なにかを言いたそうにおれを見る。

 それに気づいていながらも、あえて触れないように会話を続けた。


「……そういえば、ピーターも来たがってたな。でも、取材でどうしても無理だって言ってた」


「ふふ。あのひとはヒーローだからね」


 そうして、おれたちは『マテリアル・フォレスト』へ向かった。


 ダンジョンが死ぬ日。

 おれたちは、あるモンスターに出会う。


 ――その少女の名を、カンテラといった。



 …………

 ……

 …



「あ……」


「え……」


 おれたちが『マテリアル・フォレスト』にやってきたとき。

 ふと見知った顔を見つけて、固まる。


「しゅ、主任……」


「牧野……」


 しかし彼女の視線は、おれじゃなくて隣のアレックスに固定されている。


「…………」


「…………」


 なぜかふたりは睨み合い、微動だにしない。

 いや、確かに彼女もこのダンジョンの消滅日ことは知っていた。

 でも主任だけじゃダンジョンには潜れな……。


「おーい。素人女。登録終わったから、さっさと着替えて――、あ」


 ――カランッ。


 振り返ると、寧々が缶ジュースを落とした。


 おれは雲行きが怪しくなるような、そんな嫌な予感を覚えていた。

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