13-6.まあ、こんなこともあるよなって


「おう、大丈夫か?」


「あぁ、すっかり」


「いやあ、おまえが風邪ひいたと思ったら、今度は主任かあ。流行ってんのかな。おれも気をつけとこ」


「ハハ……」


 岸本の言葉に、おれは曖昧にうなずいた。


 主任のデスクを見る。

 彼女がいないオフィスはどこかいつもと違っていて――。


「牧野くん、あの会議はどうなってるね!?」


「えっと、それは午後二時からのミーティングで……」


「牧野さん、黒木主任に頼んでいた資料がきてなくて!」


「それならデスクの裏の引き出しに入ってると思う!」


「牧野、黒木主任に電話だって言ってんだろ!」


「こ、こっちに回して!」


 マジくそ忙しいな。

 たったひとり休んだだけで、まるで戦場だ。


 ……あのひと、いつもこんな仕事こなしてんのかよ。

 この完璧さを何割かでもハントに回してくれたらずいぶん楽なんだけど。


「……今度から、少しくらい優しくしてやるか」


 地獄のような業務を終え、なんとか定時帰宅を死守した。

 おれはくたくたの身体を引きずってアパートに戻る。


「…………」


 まだいた。


 ベッドの上では、主任が気持ちよさそうな寝息を立てている。

 今朝、「気分よくなったら帰るから」ということで、おれの部屋で休んでもらっていた。


 まさか、ずっと寝ていたのか?


 今朝、用意していたおかゆと薬は空になっているようだ。

 おれはベッドわきに椅子を持ってきて座る。


「あの、主任……」


 いや、起こすのは可哀想か。

 寝てるってことは、よくなってるってことだろうからな。


 熱のほうはどうだ?


「……ン」


 びくっ。


 いや、なんでびびってるんだ。

 おれは再び、彼女の額に手のひらをあてた。


 うーん。

 まだ少し熱っぽいか。


 しかし、どうしようか。

 下手してこのまま放っておいて、明日までいられたら困るしな。

 というか、年ごろの女性が独り身の男の部屋なんかにいたらダメだろ。


 ……あれ。そういえば主任って一人暮らしなのかな。


 と、思っていると……。


「牧野……」


 どきり。


「は、はい。なんでしょうか」


 やましいことはないが、つい緊張してしまう。

 と、おれの手が取られた。


「え、主任?」


「んー……」


 そのまま再び寝息を立て始める。


「……寝言か」


 え、この手、どうすんの?


 おれはどぎまぎしながら、その熱い指を感じていた。


「…………」


 まあ手をつなぐのって、なんか安心するからな。

 昨日の借りもあるし、しばらくこのままにしておくか。

 ……役得だとか思ってないぞ。


「…………」


 ていうか、主任。

 やっぱ美人だよなあ。


 モンスターハントばっかりやってるから忘れがちだけど、ほんとに浮いた話のひとつもないのかな。


 まあ、仮にあったとしたら、おれの命が危ないわけだけど。


 あれ。

 なんか目のところに汚れが。


 あぁ、これほくろか。

 泣きぼくろなんてあるんだな。

 けっこう長くいっしょに活動してるけど、意識したことなかっ……。


 ――ぱちっ。


「あ……」


 主任の目が開いて、じっとおれを見つめている。


「……ええっと、その」


「…………」


 主任はしばらく、ぼんやりとおれを見つめていた。


「――――っ!?」


 がばっとベッドから飛び起きると、彼女はふらふらと歩きだした。


「ご、ごごご、ごめんなさい。寝すぎたわ。すぐ帰るから……」


「あ、主任、ちょ、手……」


 ぐいっと引っ張られて、彼女がバランスを崩す。


 ――ドサッ。


 そのままベッドに押し倒す形で、おれたちはもつれて倒れた。

 時間が止まったような気がした。


「…………」


「…………」


 彼女の端正な顔立ちが、これ以上ないくらい近くにある。

 乱れた襟元から、滑らかな鎖骨が覗いていた。


 彼女の吐く息が熱っぽい。

 おれが少し腕の力を緩めるだけで、その鼻先が触れるような気がする。


「あの……」


「…………」


 彼女はなにも言わずに、そっと視線を逸らし――。



 ――ピリリリ。



 突然、主任の携帯が鳴り出した。


 おれは弾かれるように飛びのいた。

 主任も慌ててバッグを漁ると、携帯を取り出す。


「は、はい!」


『――――ッ!』


「あ、ごめんなさい。ちょっと、友だちの家にいて……」


『――ッ! ――――ッ!?』


「ご、ごめんってば!」


 通話を切ると、彼女はなぜか申し訳なさそうに言った。


「……えっと、か、帰るわね。休ませてくれてありがとう」


「は、はい」


 バッグを持つと、いそいそと出て行ってしまった。


「…………」


 ばくばく鳴る心臓を抑えながら、ベッドに顔を押しつけた。


 ……うううわあぁぁぁああ。

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