11-完.瀬戸際にて


 おれはどうなったのか。

 そう思いながら、右手を動かそうと試みる。


 動かない。

 ウルトの反動のせいか。


 いや、違うな。

 おれは身体を覆う違和感に気づく。


 腕も足もめちゃくちゃだ。

 やっぱり、さすがに無理があったか。


 まあ、意識があるだけマシともいえる。

 苦しいけど、最後になにも思い出せないよりはいい。


「…………」


 おれは死ぬんだろうか。


 参ったな。

 こんなことなら、引継ぎをしておけばよかった。


 そもそも、おれの遺体は見つかるんだろうか。

 いや、無理だろうな。


 家族はなんというだろう。

 母親は優しいひとだ、きっと泣くだろう。

 父親はずっとハンターに反対だったし、かんかんに怒るだろう。

 妹はそろそろ結婚するとか言っていたし、式に出れないのは悲しいな。


 いや、それよりも……。


 ……主任、なんて言うかなあ。


 こんなことなら、もうちょっと彼女と話しておけばよかった。

 あれで部下思いな一面もあるし、きっと辛い思いをさせるだろう。


 まあ、しょうがない。

 ハンターになった以上、こうなることは覚悟していた。


 ただ、できればもう少しあとのほうがよかった。


 ……そうだな。

 主任がプロ免許でも取るところは、ちょっと見たかったかもしれないな。



『クルル……』



 視線だけを向けると、グリフォンがいた。

 さすがレジェンド・モンスター。

 あんなところから落ちてもへっちゃらか。


 これはいよいよ、遺体は見つからないだろう。


 その巨大な嘴が、ゆっくりと近づいてきた。

 生温かい鼻息がおれを包む。

 嘴が開いて、真っ赤な舌がおれを転がそうと伸びてきた。



「――やめい」



 幻聴か?

 いま、ひとの声がしたような……。


 と、なぜかグリフォンが止まった。

 名残惜しそうに、おれから離れていく。


 その足元に、小さな影があった。


「なんや騒がしいと思ったら、異界人デリ・ヒューマンがここまで来たのかえ。この棲み処も、そろそろ潮時じゃな」


 その姿を見て、おれは驚いた。


 人型のモンスター。

 両腕が鳥の翼のようになっている。


 おれの知識で、それに限りなく近い名称をつけるとしたら。



 ――ハーピィ。



 別名、鳥人と呼ばれるモンスターだ。

 でも、それはダンジョンの発現した現代でも空想の産物とされていた。


 これまで人型の――しかも、現代の言葉を話すモンスターが発見されたなんて聞いたことがない。


 ハーピィはおれのそばまで歩み寄って、しげしげと眺めてきた。


「これは、えぐいのう……」


 そう言って、上空を見上げた。


「ここを落ちてこの程度か……。異界人もいい使い手が育っておるわ」


 そしてなにかを気づいたように、もう一度、おれの顔を見た。


「ん?」


 そうして、うむむ、と唸る。


「なんじゃ。よく見たら、またおまえさんか……」


 また?


 彼女はやれやれと肩をすくめる。


「……トライライト・ドラゴンのときといい、つくづく無茶が好きじゃな」


 おれのことを知っている?

 しかもこの言い方、まるであのときのことも――。


「あ、そういえば記憶をもらっておった。まあよい。わしのことを覚えておいて利などないからの」


 そう言って、彼女は右腕の翼でおれの身体をなでた。


「ほれ。いつかの恩を返してやろう。ただし、次はないぞえ」


 それは妙に安心のできる温かさだった。

 身体の奥から、抗いがたい睡魔が襲ってくる。


 これは、いよいよ死ぬのか――。


「ではの。できれば、二度と会わぬことを祈る」


 そう言って、ハーピィはグリフォンとともに洞窟の奥へと消えていった。


 おれは目をつむると、そのまま意識の闇へと落ちた。



 …………

 ……

 …



 ピーター率いる調査団が無事にエレメントの解析に成功し、その転移装置は近くの施設に設置された。

 近々、グリフォンの探索部隊が入り、その結果によってダンジョンが売りに出されるという。


 調査団の四名はすでに帰国し、オフィスのトイレも無事に使用できるようになっている。


 おれは退院して、会社に出たのが水曜。

 特に体調も悪くなかったし、おれから主任を誘っていつものように『KAWASHIMA』を訪れていた。

 そしていくつかモンスターを狩ったあと、酒場のほうで打ち上げをしていたのだが……。


「うーん……」


「浮かない顔ねえ。もっと飲みなさいよ。あんたの快気祝いよ」


「いや、なんか、記憶が曖昧というか」


「曖昧?」


「おれって本当に、調査団といっしょにダンジョンに潜ってたんですか?」


 なんでもグリフォンに引きずられて穴に落ち、なぜか中層のフロアで発見されたという。

 おれが目を覚ましたときは、すでに病院のベッドの上だった。


「それ、曖昧っていうか完全に抜け落ちてるわね。ちゃんと検査してもらったの?」


「ぜんぜん異常なしだそうです」


「あぁ、そう」


 すると主任は、どこか緊張した様子で聞いてきた。


「……本当に、なにも覚えてないの?」


「はい。初日にピーターたちと飲んだのは覚えてるんですけど、それ以降はぷっつりと……」


「じゃあ、その、アレックスさんのことは?」


「え。あぁ、確かにびっくりしましたけど。あいつ、ピーターのパーティでもないのに、どうして来たんだろうな」


 帰り際に、すごく微妙な顔をしてたけど。

 おれも身体が辛くて、ろくに話もできなかった。


 ……まあ連絡を取り合う約束はしたし、そのうち話す機会もあるだろ。


 と、主任がグラスを置いた。


「……ねえ、もしもの話だけどね」


「はい?」


「アレックスさんが、あんたをパーティに引き入れたいって言ったらどうするの?」


「はあ?」


 いきなり、なにを言ってるんだ?


「そんなの無理に決まってるでしょ。おれ仕事あるんですよ?」


「…………」


 おや。

 主任もすごく微妙な顔でおれを見ている。


 これはあれだな。

 アレックスと同じ顔だ。


 なんか、変なこと言った?


「そ、そうよね。仕事は大事だものね」


 主任はコホンと咳をすると、ぐいーっとグラスを空ける。


 なんか、急に機嫌がよくなったな。

 もしかして、土日になにかあったのか?


 ――あ。


「あー。そういえば、主任……」


 おれはそのことを思い出して、ふと彼女にたずねる。


「なに?」


「えっと、その……」


 しかし、どう切り出したものやら。

 これは選択をミスったら、確実に痛い目を見るやつだ。


「もし違ったらすみません。本当に、悪気はないんです」


「なによ。やけに勿体つけるわね」


「えーっと、その……」


 おれは遠回しに確認する。


「土日、おれん家に来たりしました?」


「え?」


「いや、その、なんつーか。なぜか、なんですけど。おれん家に、ちょっと忘れ物があって……」


「忘れ物? なに?」


「あーっと。その……」


 なんと言うべきか。


「こう、なんていうんですか。女性としては、なくちゃならないもの?」


「はあ? はっきり言いなさいよ」


「い、いいんですか?」


「当たり前よ。いつも言ってるでしょ。報告は要点を簡潔に、よ」


「……じゃあ、わかりました」


 ――スッ。


 おれは、そっと両手を自分の胸にあてた。


「はあ? あんた、それってなんの……」


 主任はそのジェスチャーの意味に首をかしげていたが、やがて口に含んでいたサワーをブッと吹き出す。


「あ、あ……」


「最初は、寧々のやつかなあって思ったんですけど、あいつにしてはサイズが、ね? それで、あいつに聞いたら、なんか主任を連れて来たって……」


 主任がわなわなと震えている。

 おれは脂汗を浮かべながら、彼女の次の行動を待っていた。


「……それは、どこにあるの?」


「う、うちにあります。ちゃんと乾かして用意していますから、いつでも持って来れますよ」


「はあ!?」


 ――ダンッ!


 あ、やべ。


「ひとの下着、なに勝手に洗濯してるのよ!」


「最初から洗濯機に入ってたんですよ!」


「じゃあ、乾かしたってなによ!」


「だって、しょうがないじゃないですか! いきなり洗濯機から出てきたら『じゃあ、とりあえず干すか』って思うでしょ!」


「思わないわよ!」


「いや、そもそも主任が忘れるのが悪いんじゃないですか!」


「だ、だって、あのときは、その……」


 彼女の顔が、かあっと赤くなる。


「え。あ、え……?」


 おれはその反応の意味を、ふと考える。


「主任。もしかして、おれたち……?」


「ない、ないわ! それはない! 断じてないの!」


「そ、そうですか……」


 そんなに全力で否定されるのも、男としては微妙な気持ちだ。


「……で、どうします?」


「捨てなさい。できるだけ見ちゃダメよ」


「は、はい」


 その剣幕に押され、こくこくとうなずく。


 ていうか、どうして主任はおれの部屋なんかにいたんだろうな。

 寧々も教えてくれなかったし、なんだかもやもやする。


「……ま、いっか」


 おれはメニュー表を取ると、主任に言った。


「今日の日替わり皿を頼みますけど、飲み物どうします?」


「あ、わたしスライムティアーがいいわ」


「主任、ほんとこれ好きですよね」


「いいじゃない。美味しいもの」


 ――そうして、妙に長く感じる週末は幕を下ろした。

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