11-5.決戦前夜


 夜風が冷たかった。

 おれは窓際に座って、ぼんやりと昔のことを思い出していた。


「あら。寧々さん、寝ちゃったの?」


 背後から、主任の声がする。


「そうですね」


 おれは振り返って、ぎょっとした。


 主任がよれよれのジャージを着ている。

 いや、おれが渡したんだから当然だ。


 でも、こう、なんだ。


 もちろんおれのほうが体格はいい。

 となると、やっぱり主任にはそれがサイズが大きすぎる。


 すると余計に身体のラインなんかが浮きだって、妙に色っぽいというか、なんというか。

 彼女が髪の毛を拭こうとするたびに、腰なんかがくねっと動いて目の毒だ。


 いや、だってしょうがないだろ。

 他に女性に着せるものなんてないよ。


「どうしたの?」


「いえ。なにも……」


 おれは慌てて視線を逸らした。

 すると彼女は、おれの隣に座った。


「明日も潜るの?」


「はい。明日でクエストの完了を目指します」


「できそうなの?」


「ちょっと、難しいですね」


「ピーターさんたち、強いんでしょう?」


「はい。でも相手がレジェンドなので……」


 主任が眉を寄せる。


「どういうこと?」


 あ、しまった。


 おれは慌てて口をふさいだ。

 しかしそれが逆効果だった。


 主任が立ち上がると、おれの顔を覗き込んでくる。


「どういうことなの?」


「あ、いや、その……」


「言いなさい!」


 その真剣な表情に、おれは思わずたじろいだ。


「えっと、中層のエレメンタルにたどり着くために、まずグリフォンを無力化します。そのために、一回は戦わなきゃいけなくて……」


「…………」


 おれはそのことを、黙っていようと思っていた。


 主任のことだから「じゃあ、わたしも行くわ!」なんて言うに決まってる。

 さすがにそれは了承できない。


 でも言ってしまった以上、勝手についてくるのを止めることはできない。


 寧々に監視についてもらおうか。

 でもあいつは単純な性格してるから、言いくるめられる可能性もあるしなあ。


 他に頼めそうなやつもいない。

 美雪ちゃんなんか論外だ。


 ハア。

 面倒なことになったな。


 おれがそう思っていると、主任の言葉は予想とは大きく違っていた。


「……ねえ」


「はい?」


「それ、あんたも行かなきゃダメなの?」


「は?」


 おれは首を傾げた。


「ど、どうしてですか?」


「だって、危険なんでしょう?」


「えぇ。まあ」


 狙うは翼の片方だけ。

 とはいえ相手はレジェンドクラス。


 どんな予想外の攻撃をしてくるかわからない。


「でも、おれが行かないと……」


「あんたが行かないと、なんなの?」


「いや、だって、回復役が……」


「そんなの、カンガルーがあるじゃない」


「でも、それだと足りない可能性もあって……」


 主任がなぜか苦しそうに唇を噛んでいる。


 なんだ?

 おれはいま、なにを言われているんだ?


 いつもなら「あんたばかりずるいわ」とか言われるから、「それでもダメなものはダメです」ってたしなめとけばいいんだろ。



 なんでこのひと、泣きそうな顔してるんだよ。



「……あんたの『全治癒』っていうの、どんなのか聞いたわ。でも、使うとしばらく動けないんでしょ」


「まあ、はい」


「その間に、あんたが狙われる可能性もあるじゃない」


「でも、それはピーターたちがなんとか……」


 主任がキッと睨んだ。


「本当に、してくれるの?」


「え?」


 それはあまりにも虚をつく言葉だった。


「いや、主任。なにを言って……」


「あのひとたちが、本当にあんたを助けてくれるのかって聞いてるのよ」


「……主任。それはさすがに、怒りますよ」


 おれはタンスの上にある写真に目を向けた。

 おれたちは、あのころからまったく変わってはいない。


「あいつらはちゃんとおれの仲間です。わかるでしょ?」


 しかし彼女は首を振った。


「……わからないわよ。わたしは、あのひとたちがどんなひとなのか知らない。ちょっと陽気なお兄さんと、変な日本語のクールな女のひとと、髭の立派な寡黙なひとと、あんたの彼女気取りの女。そうでしょ? 違う?」


「いや、あいつらはおれのかけがえのない友人で……」


「かけがえのない?」


 主任がおれの襟を掴んだ。

 そうして、ぐいっと引き寄せる。


「あんたが腐ってるとき、あのひとたちはあんたから逃げてたじゃない」


「…………」


 おれは黙った。

 言い返そうとした。

 しかし、口をついたのは逃げの言葉だった。


「……なんで、そんなこと言うんですか?」


「わからないわよ。わたしだって、どうしてこんなこと言ってるのかわからない……」


 彼女の手の力が緩んだ。


「でもなんで、あのひとたちはあんたの昔のことしか話さないの? いまのことを知ろうとしないの? あんたがプレゼンの資料ミスって課長に恥かかせたこととか、あんたが打ち合わせの時間を先方に伝え忘れて大騒動になったこととか、あんたが初めて月間の営業成績一位を取って褒められたこととか、どうして知ろうとしないのよ……」


「だってそれは、あいつらには関係のないことで……」


「関係がない? それがあんたじゃないの。それがいまの牧野祐介じゃない。なんであんたは、そんなひとたちのために命を賭けようとするの?」


「それは……」


「あのアレックスっていう女のため?」


「いや、違……」


 違わない。

 おれはいまだに、彼女との過去に縛られている。


「……主任には関係ない」


「そうね。関係ないわ。どう転んでも、わたしはその話を聞くしかないんだもの。わたしの知るあんたの過去なんて、ぜんぶただの情報よ」


「…………」


「でも、変なの。どうしてなの? あのひとたちの話を聞いてると、胸がざわつくの。わたしの知らないことを知ってるあのひとたちを見てると、なんか悔しい。そして、そのことでへらへら笑ってるあんたを見てるのが、それ以上に悔しい……」


 彼女は手を放すと、よろよろとバッグに自分の服を詰め込んだ。

 立ち上がると、くるりとこちらを振り返る。


「……あの女といっしょに行くなとは言わないわ。だって、それを決めるのはあんただもの。でも、これだけは覚えておいて」


 そう言って、彼女は泣きそうな顔で笑った。


「わたしは、あんたといっしょにダンジョンに潜るのがすごく楽しいわ」


 あの日、『ガリバー』で電車に乗るときに聞いた言葉の返事。

 まさか、あんなこと覚えているとは思わなかった。


「……気をつけてね」


 そう言うと、彼女は部屋を出て行った。

 彼女を乗せたタクシーが、その姿を消すまでおれは見ていた。


「…………」


 あー、もう。

 なんなんだよ。


 ほんと勝手だよな。

 言いたいことばっかり言ってさ。

 いつも危ないことしてるのはあっちだろ。



 なんでこんなに、苦しいんだよ。



 もう寝よう。

 とにかく、明日は遅れるわけにはいかない。


 なんか、寝れる気はしないけど……。


 おれは支度を済ませると、ベッドに座った。


「ぐぎゃ!?」


 途端、踏んづけたなにかが悲鳴を上げる。



 ……あ、ついでに寧々を持って帰ってもらうの忘れてた。

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