11-3.嵐のあとに


「うがあ――――! なんだ、あの女! 相変わらずむかつくやつだな!」


 寧々が吠えた。


「おい、ちょっと落ち着いてくれ。近所迷惑だろ」


「これが落ち着いてられるかよ!」


 おれの部屋にある漫画雑誌を掴むと、それを壁にぶつけた。


 あー、あー。

 勘弁してくれよ。


 と、寧々がどこからか一升瓶を取り出している。


「もう飲む! こうなったら飲むからな!」


「いや、おまえ実はもう飲んでるだろ……」


「もっと飲むの!」


 ひとの制止も聞かずに、ぐびぐびとラッパ飲みする。

 それをぐいっと差し出してきた。


「おまえも飲め!」


「いや、おれは明日もあるし……」


「いいから!」


「……じゃあ、ちょっとだけな」


 おれはそれをグラスに注いだ。


「主任は?」


 きょろきょろと部屋を見回していた彼女が、びくっとこちらを向いた。


「な、な、なに?」


「いや、飲みますか?」


「え、えぇ。いただくわ」


 彼女にグラスを渡して、酒を注いだ。


「今日は、寧々と?」


「えぇ。『KAWASHIMA』の前でばったり会ってね。午後から『ガリバー』に行って、装備を見ていたわ」


「休日にすみません。こいつ、迷惑かけませんでした?」


「そんなことはないわよ。わたしも楽しかったわ」


 そう言って、彼女はそっとグラスに口をつけた。


「……なんか、あれですね」


「なに?」


「主任、なんか今日は静かですね?」


 彼女の顔がぎくりと強張る。


「ど、どういう意味かしら」


「いや、さっきからなんか緊張してるっていうか……」


「言いがかりはやめてちょうだい。わたしだって、男のひとの部屋に上がったことくらいあるわ」


「え。男の部屋だからって緊張してるんですか?」


「ぶふっ」


 なんか噴き出した。


 ……てっきりアレックスに絡まれたことを引きずってると思ったんだけど。


「えっと、その……」


 主任はきょろきょろと視線を忙しなくさまよわせた。

 そしてなにかを決意すると、ぐっとグラスを煽る。


 ぐいー。


 ぷはあ、とグラスを置く。

 どこか据わった目で、彼女はおれを睨んだ。


「あのね、わたしはこれでもあなたより年上なの」


「えぇ、知ってますけど」


「あなたがわたしの知らない一面を持っているように、わたしにもあなたの知らない過去があるわ」


「そりゃそうですけど……」


 ……このひと、なにが言いたいんだ?


「いいわね。わたしでも男子の家にあがったことはあるわ。あれはそうね。中学生のころ、親友だった優香ちゃんが好きな男の子の家に遊びに行くということで、その付き添いでついて行ったわ。彼の部屋にはたくさんのゲームがあって、それを彼はたいそう自慢げに話していたの。わたしとしては、格闘ゲームにはこれっぽっちも……」


「は、はあ」


「あ、ちょっと待って。こんな話がしたいんじゃないの。そうね。あとはほら、小学生のころにお兄ちゃんの友だちの正博くんがパーティゲームを買ったけど人数が足りなくてつまらないと言ったらしく、その人数合わせに引っ張られて……」


「そ、それは大変ですね」


 ――バンッ!


「だから違うのよ!」


「なんですか!?」


 なんか今日、すごく情緒不安定だな。


 と、ゆらりと彼女の背後に影が立ち上がった。


 寧々がすごい顔で、一升瓶を主任の頭上で傾ける。


「いちゃついてんじゃねえよ、くそがあ――――!」


「きゃあ――――!?」


 彼女はたちまちびしょ濡れになった。


「な、なにするんですか!」


「ハッ! うだうだうるせえんだよ! 言いたいことがあるなら、はっきり言え!」


「寧々さんには関係ないでしょう!」


「あるね! そもそも、おまえが牧野に話があるって言うから連れてきてやったんだろうが!」


 おれは慌てて止めに入った。


「寧々、やめろ! うわ、床がびちゃびちゃじゃねえか。主任、ちょっと立ってください」


 その前に主任は着替え……、いや、あるわけねえか。

 おれは引き出しからタオルを取り出して、寧々に投げつける。


「寧々、これで床を拭け」


「えー」


「おまえのせいだろ!」


 あと主任には……。


「主任。ちょっとこれ着ててください」


 おれはジャージを渡した。

 大学のころのお古だけど、このままよりはマシだろ。


「え、えぇ」


 主任はそれを、恐る恐るといった様子で受け取った。

 と、なぜか上目遣いにおれを見る。


「あの……」


「なんですか?」


「お風呂、借りてもいい?」


「え……」


「だって、このままじゃ着替えても気持ち悪いわ」


 いや、まあ。

 それはそうだけど。


 いいのか?

 いや、本人が言ってるんだからいいんだろうけど。


「ど、どうぞ」


「ありがと」


 すると彼女は、いそいそとバスルームに入っていった。


「…………」


 おれが呆然としていると、寧々がつまらなさそうに言った。


「覗くんじゃねえぞ」


「の、覗かねえよ。それより拭き終わったのか」


「終わった、終わった。これでいいだろ?」


 そう言って、彼女はどさっとベッドに転がった。

 そうして、部屋の一点をじっと見つめる。


「……おまえ。まだその写真、飾ってるんだな」


「え?」


 それはタンスの上にあるものだった。

 大学時代、おれたちが初めてパーティを組んでダンジョンに潜ったときのものだ。


 ピーターは髭なんて蓄えてなかったし、おれもだいぶ若いような気がする。

 寧々なんかは、いまも大して変わってないけど。


 そして、彼女は――。


「……おまえさ。まだアレックスのこと好きなの?」


 寧々が言った。


「…………」


 おれはなにも答えられずに、ただその写真を見つめていた。


「あいつと行く気か?」


「さあね。あんなこと、いきなり言われても困るし」


「ふうん」


 寧々はつぶやくと、小さな欠伸をした。


「……寝る。なんか疲れた」


「え、あ、おい……」


 肩を揺するが、すでに寝息を立てていた。

 こいつ、本当に寝つくの早いな。


 ……ていうか、おれはどこで寝ればいいんだよ。


 バスルームから、シャワーの音がする。


「…………」


 おれは慌てて首を振ると、その写真を見た。


 ――そもそもの始まりは、アレックスの一言だった。

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