10-4.かつてのパートナー


 アレックスは、じっとおれを睨みつけていた。


「…………」


「あ、その……」


 と、彼女がこちらへ踏み出した。

 そのとき、はらりとバスタオルが落ちる。


「ちょ、待った」


 アレックスは構わず、おれの前に立った。

 同じ高さにある彼女の瞳が、情けないおれを映している。


 その右腕を振り上げた。


 ――ガツンッ!


 力のこもったこぶしが、おれの左頬をとらえる。


「――……っ」


 おれは黙って、殴られた場所を押さえた。


 熱かった。

 口の中は血の味がする。


 おれの襟が掴まれて、彼女が額を押しつけた。

 その身体が、微かに震えているのに気づく。


「……どうして、会いに来てくれなかったの?」


「…………」


 おれは思わず、その肩に手を伸ばそうと――。



 ――ガチャリ。



「いやあ、このホテル、いいワインがそろってるね! さあて、ふたりとも! 今晩は語り明かそうじゃ……」


 そしてピーターは硬直し――。


「……ぼくが悪かった」


 くるりと踵を返して部屋を出る。

 おれは彼に続いて廊下に飛び出した。


「待て! ひとりにするな!」


「えー。マキノ。まさか、そういう趣味が? ぼくらもいい歳なんだから、もっと誠実な男女関係を築くべきだと……」


「違うだろ! そもそも、なんでアレックスがいるんだ!」


「なんでって、彼女も調査団の一員だ。東京のダンジョンと聞いて、アレックスが志願したんだよ。土地勘もあるし、魔具技師メイカーがいたら便利だろ?」


「いや、そりゃそうだけど……」


 おれたちがもごもごやっていると、ドアが開いた。


「……迷惑よ。ふたりとも、入って」


 どきりとするが、すでに彼女はルームウェアに着替えていた。


「…………」


 おれはピーターを睨んだ。

 彼は肩をすくめると、さっさと部屋に入っていった。



 …………

 ……

 …



 バス・ルームからドライヤーの音がする。

 おれはピーターといっしょに、ワインのグラスを傾けていた。


「……それで、なんのつもりだ?」


「どういう意味?」


「しらばっくれるな。どうしてアレックスに会わせた」


「ひどい言いようだな。かつてのパートナーと友好を温めてほしいと思うのはいけないことかい?」


「…………」


 おれが見ていると、彼が降参というように手を上げた。


冗談ジョークだよ。だから、そんなに恐い顔をしないでくれ」


「べつに恐い顔なんか……」


 いや、していただろう。

 おれは正直、冷静ではない。


「それに、理由か。まあ、いろいろあるさ。ひとつはそう、彼女がいっしょだとわかれば、明日の調査も首を縦に振ってくれるかもって思った」


「……やっぱりな」


「まあ、あとは。うーん。そうだね……」


 ピーターが、ちらとバス・ルームに目をやる。


「彼女、いい女になっただろ?」


「は?」


「そりゃ大学のころも可憐キュートだったけど、ここ数年で大人の女の色香を備えたよね。さっき見えた太ももなんて、艶々しててときめいちゃったよ。きみの女じゃなければ、ぼくだって放っておかなかったさ。あれ、日本ではそう言うよね? 合ってるかな?」


 ふと、さっきの彼女の裸体が脳裏をかすめる。

 豊かな胸の感触もまた、まざまざと思い浮かんだ。


 おれは咳をした。


「お、おれの女じゃない」


「そうだったのかい? ぼくはてっきり……」



 ――ガチャ。



「……なにを話していたの?」


 アレックスが、髪を櫛で梳かしながらこちらに歩み寄った。


「いやなに、マキノがきみの太ももが最高だって言ってただけさ」


「おま……っ!?」


 ――ガンッ!


 アレックスが櫛を投げつけてきた。


「最低」


「いや、それはこいつが……」


 ――バシッ!


 命中した頭を押さえていると、彼女が次は左頬を引っ叩いてきた。


「な、なんだよ!」


「いまのは、さっき裸を見たぶんよ」


「事故だろ!」


 ピーターがけらけら笑っている。


「本当にきみたちは仲がいいね。ぼくも見習わなきゃな」


 まったく言ってくれるものだ。

 と、アレックスがワインのグラスを手に取りながら、おれの肩を押した。


「隣、もう少し向こうに」


「え、そっちのソファが空いてるだろ」


「いいから。向こうに」


「…………」


 観念して空けると、彼女はそこにすとんと収まった。

 おれは彼女のグラスにワインを注いだ。


「……それで、どうして来たんだ? 故郷に工房を構えたって聞いたけど」


「…………」


 彼女はその赤いグラスに自分の顔を映しながら、静かに答えた。


「あなたに会いに来た」


「は?」


 ずいっと顔を近づける。


「ユースケ。ハンターに復帰したって聞いたわ」


「ま、まあ。趣味で、だけど」


「それでもいい。あなた、約束したわ。復帰したら会いに来るって」


「…………」


 おれはピーターを睨んだ。

 彼は慌てて手を振った。


「ぼくじゃないよ。アレックスとは、もう数年ぶりなんだからさ」


 彼女もそれを肯定するようにうなずいた。


「レッド・ウータンのモンスター核が市場に出たわ。その捕獲者の名前が、あなただった」


「…………」


 あちゃあ。

 それは『小池屋』でハントしたゴリラ型モンスターのことだ。


 すでに登録されたものだったが、レアものだったせいで報酬が多かった。

 しかし、まさかアメリカにまで情報が出回っていたとは。


「ユースケ」


「……ごめん。アレックス。きみに会うには、まだ心の整理が必要だった」


 おれは額に手を当てた。

 それは紛れもない本音だった。


 それがたとえ、ただの身勝手な理由だとしても。


「いいえ。わたしが悪いの。あなたのことは信じてる。でも、どうしても会いたくて……」


 彼女はうるんだ瞳を向けてきた。

 おれは気恥ずかしくなり、顔を逸らす。


「それで、いまはどんなひととパーティを組んでいるの?」


「あぁ、会社の上司だよ。そのひとがモンスターハントを始めてさ。しょうがなく、つき合っているんだ」


「楽しい?」


「まあ、ぼちぼちかな。いつも勝手なことばかりして困るよ」


 ピーターが笑いながらクラッカーをつまんだ。


「いやあ、美人だったねえ。アレックスも素敵だけど、彼女も負けてなかったな」



 ――ピキッ。



 空気が固まった。


 彼が、もぐもぐと咀嚼しながら首をかしげる。


「……あれ。まずいことを言っちゃったかな」


「……どうだろうな」


 というかこいつ、確信犯だろ。

 おれはそっと、アレックスの様子を伺った。


 彼女はじっと顔をうつむけ、ワインを揺らしている。


 やがてそれをぐっと傾けると、たちまち空けてしまった。

 そして、鋭い目つきでおれを見る。


「明日。そのひとも呼びましょう」


「…………」


 うええええ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る