10-3.もうひとりの女


 結局、酒場を出たのは終電もなくなったころだった。


「タクシーを呼ぼう。ぼくに任せて」


「え、でも……」


 主任が申し訳なさそうにこちらを見る。


「大丈夫ですよ。この飲み代とか、ぜんぶ協会に押しつける気ですから」


「い、いいの!?」


「今回みたいに協会が依頼したクエストだと、けっこう融通が利きますんで」


 人数分のタクシーが来たところで、ふとピーターが耳打ちする。


「マキノ」


「なんだ?」


「ふたりで飲み直さないか? 協会がいいホテルを手配してくれた。きっと気に入るはずだ」


「……その言い方は、ちょっと」


「なに?」


「あぁ、いや。いい。……わかった」


 おれは周囲を見回した。


「……あれ。主任は?」


「あぁ、きみのパートナーなら、もう帰ったよ」


「え。もう?」


 なんだ。

 声くらいかけてくれればいいのに。


 そういえば、飲みの間も最後のほうはずっと黙っていたな。

 もっと騒ぐと思ったのに、具合でも悪かったのか?


 ピーターはにこりと笑った。


「じゃあ、行こうか」


 ため息が出た。

 ……またこいつのペースか。



 …………

 ……

 …



「……本当にいいところだな」


 都心の一等地にある、国際ホテル。


 寧々の旅館もいいところだったけど、これは文字通り桁違いだ。

 こんなの逆立ちしたって泊まれる気がしない。


 周りは上等な服を着た紳士淑女ばかり。

 とてもじゃないが、おれたちの姿は浮いている。


「……あれ。キャロルは?」


「彼女はひとりで飲みたいってさ」


「あぁ、なるほど」


 彼女は異国に来ると、必ずバーかどこかで男をひっかける癖があった。


「おまえたち、本当に相変わらずだな」


「マキノが変わりすぎただけさ」


 ……そう見えるだろうか。

 まあ、いいけど。


 フロントで鍵を受け取って来たピーターが、ふと上着のポケットを叩いた。


「おっと、いけない。タクシーに忘れものだ」


「おい、大丈夫なのか?」


大丈夫ノー・プロブレム。大したものじゃない。悪いけど先に部屋で待っててくれないか?」


「それはいいけど、どう行けば……」


 見回すが、広すぎてどこがどこだかわかったものじゃない。


 ピーターは苦笑しながら、向こうの通路を指さした。


「あっちのエレベーターを11階だ」


「わかったよ。早く来いよ」


 こんなところでひとりとか、落ち着かない。


 ピーターを見送って、おれは言われた通りにエレベーターを上がった。

 そのフロアの部屋番号を確認しながら、花の香りがする廊下を歩いていく。


 しかし、すげえな。

 ゲスト・ラウンジに、フィットネス・ルームか。

 個室サウナも完備されているようだ。


 ……おれも使っていいだろうか。


 こんなところ、主任を連れてきたら喜ぶだろうな。

 まあ、連れてきてどうするって話だけど。


「……いやいや。なに考えてんだ」


 酒のせいで思考がおかしいな。


 ――っと、ここだ。


『1011』


 おれはカードキーの番号を確認すると、その部屋のドアを開けた。


 あれ?


 見ると、女物の赤い靴が置いてあった。

 ベッド・ルームには、それらしい荷物なども置いてある。


 バス・ルームから、シャワーの音がしていた。


「おいおい……」


 あぁ、くそ。

 ピーターのやつ、相手がいるならそう言えよ。


 どうしようか。

 いや、廊下に出て待ってたほうがいいに決まってる。


 おれはドアノブに手をかけようとした。


 ――ガチャリ。


 しかし間が悪い。

 ちょうど背後で、バス・ルームのドアが開いた。


 やばい!


 おれは慌てて両腕で顔を隠す。


「ご、誤解しないでくれ! おれはピーターの友人で、やつにここで待っているように言われただけだ! もちろんすぐ出ていく! お願いだから叫んだりはしないでくれ!」


 おれの脳裏に、最悪の結末が浮かぶ。

 明日の朝刊の片隅。


『都内勤務の会社員(25)、ホテルに忍び込み女性に暴行未遂……』


『本人は友人に騙されたと証言しており……』


『ハンター協会からの要請により、最高裁は無期懲役の……』


『会社はもちろんクビ』


 心臓の音が、これ以上ないくらいにバクバクと聞こえる。


 神さま、どうか!


「――ユースケ?」


 おれはその声に、思わず顔を上げた。


 え?


 そこにはバスタオルで身体を隠した、金髪の美女が立っていた。

 彼女はしっとりと濡れる髪をタオルで拭く体勢のまま、目を見開いている。


 おれはその女性の名前を、思わずつぶやいていた。


「……アレックス」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る