主任、新種のダンジョンに潜りましょう

9-1.ダンジョンは突然に


 あー。今日も眠い。

 特に月曜日の出社は億劫だ。

 なぜ神は一週間の半分を休みにしてくれなかったのか。


 まあ、言ってみたところでどうしようもないんだけど。


 ……うん?

 なんだかビルの前が騒がしいな。

 テレビの取材らしき一団もいる。


 なにか事件でも起こったのか?


 と、人だかりの中に同僚がいた。


「おはよう。なんの騒ぎ?」


「あ、おはようさん。なんか今朝、うちのオフィスのトイレにダンジョンできたらしいぜ」


「マジで?」


 へえ。

 日本では久しぶりだなあ。


 でもよりにもよって、うちのオフィスのトイレかあ。

 こりゃ主任が喜ぶだろうな。


「こういう場合って、どうなるんだろうなあ」


「えーっと。協会から依頼を受けたプロハンターの調査団が来るまでトイレ閉鎖かな」


「え。なんか詳しくね?」


「い、いや。前にテレビで言ってた……」


 危ない、危ない。

 うっかりぼろを出すところだった。


 しかし、調査団かあ。


 ……あいつらじゃなければいいけど。



 …………

 ……

 …



 もちろんオフィスでは、ダンジョンの話題で持ちきりだった。


「なんか普通に仕事してるけど、モンスターが出てきたりはしないのかね?」


「いや、それはない……、らしい、よ?」


 こちらの世界は、向こうに比べて極端に魔素マナが薄い。

 人間で言うと酸素がないようなものだ。

 わざわざ、そんなところに来るモンスターはいない。

 ちなみにハンターがダンジョンでしかスキルを使えないのは、その辺が関係しているらしい。


「ちぇー。休めると思ったのになあ」


「どんまい。そんなことより、さっさと仕事を済ませないと主任が恐いぞ」


「そうなあ」


 ちらと主任の様子を見る。

 彼女は一見、いつも通りに仕事をしているようだった。


 ……さすが立派な社会人だ。

 こんなことで動揺したりはしないか。


 と、そうこうしているうちに昼を回った。


「チーム集合」


 おっと。

 おれは慌てて会議室に入る。


 ちょうど、トイレの横にあるブースだ。

 外から様子をうかがうけど、モンスターが出てくるような気配はない。


 主任もテーブルについていた。

 落ち着いた顔で資料に目を落としている。


「それで、A社とB社の検討なんですけど……」


 ちら。


「全体の予算から照らし合わせると、もうちょっと抑えてもいいんじゃないかと……」


 ちら。


「……あの、黒木主任?」


「あ、え、なにかしら?」


「いえ。この予算のことですけど」


「あ、あぁ。そうね。どちらも、一から洗ってみましょう」


 めっちゃ動揺している。

 このひと、さっきからトイレのほうすげえチラ見している。


 ……ハア。

 まったく、こんなんで大丈夫なのか?


「……おい、牧野!」


「は、はい!」


 気がつけば、チーム全体がおれのことを見ていた。


「おいおい、いくら主任が美人だからって見惚れてんなよ」


「ち、違いますよ!」


 どっと笑いが起こった。

 おれは慌てて資料に目を落としたのだった。



 …………

 ……

 …



 やれやれ。

 おれは自販機の横にある椅子に座って、ちょっと休憩していた。


 しかし、ダンジョンができても社会に大した変化はない。

 最初のころは新しいのができるたびにテレビで特集が組まれていたものだけど、ずいぶんと慣れたものだ。


「お疲れ」


 声に振り返ると、主任がカップのコーヒーを買っていた。


「あ、お疲れさまです」


「今日は大変だったわね」


「そうですね」


「あのダンジョン、どうなるの?」


 おれは周囲を見回した。

 他にひとはいない。


「……いま、こちらの世界とダンジョンをつないでいるのは『エレメンタル』と呼ばれるダンジョン核です。その魔力が漏れ出して、こちらのトイレとつながりました」


 なんだか言葉にしていて間抜けだな。


「……まあ、天然の転移装置があると思ってください。そのエレメンタルをプロハンターの調査団が鑑定し、こちらの任意の場所に波長の合う転移装置をつくります。そうすれば、ここのトイレも使えるようになりますよ」


 あのダンジョンの所有権は、このビルの持ち主にある。

 その気があれば経営するし、手に負えなければ売りに出されるだろう。


「その調査団が来るまで、どのくらい?」


「協会がどのパーティに依頼するかによりますけど、少なくとも日本には協会に登録したハンターはいないと思います。だから海外からやってくるには早くても五日。あるいは一週間以上、あのままになりますね」


「五日……」


「まあ、いまのところエレメンタルが暴走する気配はありませんし。もしなにかあっても、川島さんやその知り合いのハンターがすでに近くで待機しているはずです。安心してください」


「ふうん」


 彼女はトイレのほうを見ながらうなずいた。


「あ、そうだ。今週はおそらく『KAWASHIMA』も営業を停止していると思います。なので、水曜のダンジョンはお休みになりますよ」


「わかった。じゃあ、オフィスに戻るわ」


 うん?

 やけにあっさり引き下がるな。


 おれはその背中を、ぼんやりと見ていた。



 …………

 ……

 …



 その次の水曜日のことだった。

 昼過ぎ、主任にデスクへと呼ばれた。


「牧野」


「なんでしょう?」


「今日はちょっと、先方から荷物が届くことになってるの。遅くなるかもしれないけど、待っていられるかしら」


「えぇ、構いませんけど」


 面倒だけど、こう言われて「いや帰ります」なんて言えないしなあ。


「あれ。でも、どんな荷物ですか? おれ、なにも聞いてませんけど……」


 すると主任が、にこりと笑った。


「とーっても、大事な荷物よ」


「……はあ」


 なんだ?


 そうこうしているうちに就業時間は過ぎ、オフィスには誰もいなくなった。

 ぽつりと居残りをしながら、おれは伸びをする。


「……腹減ったなあ。でも、なんの荷物だろうなあ」


 と、そこへドアが開いた。


「あら。ちゃんと残ってるようね。感心、感心」


「え、主任!?」


 もう帰ったんじゃなかったのか?


「忘れ物しちゃったの。あ、あったわ」


 そう言ってバッグに書類を入れる。


「へえ。わざわざ取りに来たんすか?」


「えぇ。大事なものだからね」


 ふうん。

 と、そこへオフィスのドアが叩かれた。


「あ、来たみたいですね。はーいはい」


 おれはドアを開けて――固まった。


「どうもー。お荷物、お届けに参りましたー。あ、こちらにサインをお願いしまーす」


「…………」


「あっれー。どうしたのかな、マキ兄。まるですごく可憐な『KAWASHIMA』の看板娘、美雪ちゃんが登場したみたいだゾ☆」


「なにやってんの?」


 美雪ちゃんは大きな、それは大きな段ボール箱を下ろした。

 箱の中身が、ガシャンと金属性の音を鳴らす。


「そりゃ決まってるじゃん」


「そうよ。あんたも早く着替えなさい」


 見ると、主任がいそいそと荷物を開けていた。


 その中から、彼女の大剣がこんにちはする。


「……まさか」


「そのまさかよ」


 主任はぐっとこぶしを握り締めた。


「調査団が来る前に、わたしたちでこのダンジョンに一番乗りよ!」


「いえーい!」


 おれはがっくりと肩を落とした。

 いや、そんな予感はしていたけどね。

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