主任、敵はモンスターだけではありませんよ

7-1.ゆうべはおたのしみでしたね


 ……あれ。もう朝か。


 おれは身体を起こした。

 ふわふわの羽毛布団に包まれている。


 ……こんないい布団、持ってたっけ。


「ていうか、おれの部屋じゃないな」


 あ、そうだった。

 確か出張のついでに、寧々のところに泊めてもらったんだった。


 いつ寝たんだっけ。

 うわ、頭が重い。

 どんだけ飲んだんだよ。


「って、主任!」


 そうだった。

 なんかノリと勢いでほったらかしにしちゃったけど、これよく考えたらやばいな。


 うっわあ、どうしよ。

 とにかく、すぐに行って謝らなきゃな。


 もう起きてるといいけど……。


「おはよ」


「あ、おはようございます。主任、もう起きてますかね」


「とっくにね。朝食も行ってきたし、支度も済んでるわ」


「マジっすか。あっちゃあ、怒ってるかなあ」


「そうでもないわよ」


「そうだといいけど……」


 おれは、ふうっと息をついた。


「……なんでいるんすか?」


 主任がテーブルについてお茶を飲んでいた。

 すでに出立の準備は整っているようだ。


「そりゃ、あんたを迎えに来たのよ」


「いや、鍵かかってたでしょ」


 寧々が開けたのか?

 そういえば、あいつの姿が見えないな。


「仲居さんに言って鍵を開けてもらったわ」


 あぁ、なるほど……。


「いま何時ですか?」


「10時を回ったところ。朝食バイキング、もう終わっちゃったわよ」


「あぁ、それはちょっと残念……」


 ここの食事は、ダンジョンで採れた食材を使っているという。

 昨日の夕飯もうまかったし、けっこう楽しみにしていたんだけど。

 まあ、また今度でもいいか。


 ……とか言ってる場合じゃねえよ。

 おれは慌てて布団の上に正座した。


「それより、昨日はすみません」


「いいのよ。積もる話もあったでしょ」


 にこ。


「…………」


 なんだ?

 いや、主任は笑っている。

 なのに、なぜこんなにも背筋が寒い。


 いや、待て。

 気のせいかもしれない。

 だって主任は、機嫌が悪いとすぐ怒鳴り散らすタイプだろ。


 でも、一応は伺いを立ててみよう。


「……主任、怒ってます?」


「なにが?」


「いや、寧々が追い出しちゃったこと……」


「いいえ。だって、しょうがないわよ。あの子からしたら、わたしが来るなんて思ってなかったんでしょう?」


「まあ、そうなんですけど……」


 あれ、おかしいな。

 主任の言葉は、これ以上ないくらいに優しい。


 それなのに、おれに向ける視線は極寒の冷たさだ。

 蛇に睨まれた蛙の気分とは、まさにこのことだろう。


「……えっと、おれの顔に、なにか?」


 すると彼女は、すっと人差し指を向けてきた。

 正確には、おれの布団に向かって。


「昨夜は、ずいぶんとお楽しみだったようで」


 は?


 おれが身体を動かそうとしたとき、ふとそれが止められた。

 なにかがおれの腰に巻きついて、がっしりと固定してくる。


「……ン」


 その甘い吐息に、脳内でガンガンと警鐘が鳴り響いた。


 寧々が、おれの布団で眠っていた。

 どうしてか着物の帯がほどけて、その白い肩が露わになっている。


 彼女の絹のように白い肌は、こうして見るとやはり女らしい。

 主任がいないなら、それに触れたいという衝動を抑えられる自信もないだろう。


 そしていま、半裸の寧々がおれの腰に手を回して添い寝をしている。

 くすぐったいと思ったら、彼女の手のひらがさわさわとおれの腹をなでていた。


 ……こいつが「熱い、きつい!」と言いながら帯を解いていたところまでは記憶があるんだけど。


 主任のほうを見られない。

 身体中から、冷たい汗がだらだら流れている。


「ごめんねえ。彼女に会いに来たんなら、そう言ってくれればよかったのに。あ、察してあげられなかったわたしが悪いわね」


 うふふふ、という笑い声が、悪魔のささやきのようだった。


「あ、いや。これは、違うんです」


「なにが?」


「こいつとは、その、いい友だちっていうか。大学時代も、ほら、パーティのやつらと、こうやってよく飲んでたんで、そのときのくせで……」


「あら、そうなの?」


「そうなんですよ。こいつ、いつも酒瓶抱いて寝てたんです。おれのこと、酒瓶と間違えちゃったかなあ、なんて……」


 そうだ、なにもやましいことはない。

 主任はちゃんと説明すれば理解してくれるって、おれは知って……。


「いい友だちでも、男女のことだもの。そういうこともあるわよね?」


 伝わってないね?

 これ、ぜったい誤解が深まってるね?


「……あの、ちょっとタイムいいですか?」


「いいわよ。いくらでも聞いてあげる。だって、誰とどうしようとあなたの自由だもの。わたしたちはパーティメンバーであって、そういうことを詮索するような関係じゃないわ」


 まあ、それはそうなんだけど。


「ね?」


「……はい」


 おれは、ぐいっと寧々の腕を解いた。

 仰向けになった拍子にはらりと着物が滑り落ちて、彼女の細い肢体が眼前にさらされる。


 おれは慌てて着物の襟を閉じながら、そのあられもない姿から視線を逸らした。


「あの、いまのはわざとじゃ……」


「ずいぶんと気安く女友だちの衣服に触れるのね?」


「あ、いや、その、これも、昔の……」


「昔の? なに? わたしはべつに説明なんて求めていないけど?」


「…………」


 だったら、どうしてそんなに睨むんですかあ!



 …………

 ……

 …



「よーし。じゃあ、さっさと潜っちまうか。帰りは何時だ?」


「えーっと、ここを夜の七時に出れば間に合うな」


 もともと主任、そのつもりで新幹線を取ってたしな。


 おれたちは『小池屋』のロビーで装備の点検を行っていた。

 奥の通路を行けば、『KAWASHIMA』と同じように転移の間がある。


 やはり人気のダンジョンだ。

 ちらほらと、同じ目的のハンターたちもいる。


 その中でも、やはり主任の装備はぴか一だ。

 新調したばかりのARIELの防具は、他のハンターたちの目を引いた。


 寧々がおれに耳打ちする。


「なあ。あの女、あの装備でここ潜るつもりか?」


 ……あ、そうだった。


「あの、主任……」


 ぷい。


「その防具は、ここでは……」


 ぷい。


 主任はおれの言葉を無視すると、さっさと転移の間に入っていってしまった。


 寧々が首をかしげる。


「……なんか、機嫌悪くねえ?」


「…………」


「あ、おい。なんか言えよ」


 おれはがっくりと肩を落としながら、主任のあとについていった。

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