6-4.ここはカッコーの巣


 ……思いのほか、長湯してしまった。


 風呂を浴びて戻ってくると、浴衣姿の主任が窓辺の椅子に座っていた。

 うしろでまとめられた髪が、しっとりと濡れて甘い香りを漂わせている。

 頬がほんのりと上気しているせいか、その瞳もうるんでいるような気がした。


「…………」


 いかん。

 変な気を起こすなよ、おれ。


「……お疲れさまです」


「お、お疲れ」


 主任の向かい側に座り、窓から夜に浮かぶ熱海の海を眺めた。

 その沈黙が、喉を絞めつけるような気がした。


 ……あれ。おれ、いつも主任となにを話してたんだっけ。


「……いい天気ですね」


「え。あ、そうね。夜だけど」


「…………」


「…………」


 いや、違うだろ。

 おれは小さく咳をした。


「……いい風呂でしたね」


「そ、そうね。気持ちよかったわ」


「…………」


「…………」


 あぁ、もう。

 なにを緊張しているんだ。


 おれは会話を諦めた。

 こういうときは、変に気負うほうがおかしくなってしまうんだ。


 ……しかし、いい旅館だな。

 風呂も控えめに言って最高だった。

 風呂に行っている間にテーブルには料理が並んでいて、それもまたテレビで見るような豪勢なものだ。

 とても平社員のおれが、おいそれと泊まれるレベルじゃない。


 大学でモンスターハントを始めた寧々は、卒業のころにはすでにプロとして活動の幅を広げていた。

 卒業後は海外のプロチームに入るとばかり思っていたから、こうして拠点を構えたのに驚いたものだ。


 いつかの年賀状に、


『場所もいいし、ダンジョン経営の傍らに温泉宿をやってみることにした』


 とか書いていたけど、とてもそんな規模じゃない。

 いまではハンター以外のお客さんも絶えないという。

 おれも雑誌などで知ってはいたが、あいつに連絡を取ることはなかった。


 ……ダンジョンに潜れなかったおれがあいつに会っても、きっと嫉妬で気が狂いそうになるだけだった。


 と、そこへドアがノックされた。


「はい」


 呼びかけると、向こうから開く。


 すると、そこに立っていたのは赤い柄の着物をまとった寧々だった。

 彼女は静々と部屋に上がると、畳の上に三つ指をついて頭を下げる。


「このたびは当宿をご利用いただきまして、まことにありがとうございます」


「あ、はい」


 思わず敬語で答えてしまった。


 じっと見つめていると、顔を上げた彼女が恥ずかしそうに視線を逸らした。


「な、なんだよ?」


「いや、なんつーか……」


 おれは改めてその姿を見回す。


「……座敷童って感じだな」


 ぐわっ!


 寧々の目が吊り上がった。

 その瞬間、その場から一足飛びでおれの眼前に着地する。

 ふわりと着物の裾が舞ったかと思うと、その右足が鋭い蹴りを放った。


 うわ、危ねえ!


 寧々の足は、おれの脇腹をかすった。

 ぐるるる、と肉食獣よろしく唸り声をあげる。


「おまえも相変わらず、ひとのことをガキ扱いしやがるなあ!」


「いや、だってしょうがないだろ。おまえ、ちっとも変ってないんだから」


 ほんと、おれと同い年とは思えない若さだよ。

 まだ美雪ちゃんのほうが年上に見えるもんな。


 寧々は鼻を鳴らした。


「まあ、いいよ。おまえがそのつもりなら、わたしも素で行くから」


 そう言うと、彼女はじろりと主任を睨んだ。


「ていうかさあ。おまえ、なにくつろいでんだよ?」


「え?」


 すると、寧々がくいっと親指を立てた。


「おまえの部屋、あっち」


「うん?」


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