主任、たまには別のダンジョンに潜りましょう

6-1.大人の公私の優先順位


「ちょっと週末、静岡に行ってほしい」


「静岡ですか?」


 おれは課長の言葉に、首を傾げた。


「あぁ、ちょっと先方でトラブルがあったらしい。大したことはないらしいが、一応、担当者と話してきてくれ」


「わかりました。でも、おれ午前中は会議が……」


「午後からでいい。泊りでいいらしいぞ」


「マジっすか!」


 やった!

 会社の経費で飲み食いできる!


 よし、そうと決まればさっさと仕事を片付けなくちゃな。

 おれが机に戻る途中、ふと主任が呼び止めた。


「ずいぶんご機嫌ね」


 ぎくり。


 いや、別にやましいところはない。

 しかし会社で主任に呼ばれると、反射的にビビってしまう。


「あ、いえ。週末、静岡のほうに行くことになりまして」


「静岡?」


「なんでも、先方でトラブルがあったとかで……」


「あぁ、あれね」


「やばいことですか?」


「いいえ。でもまあ、体裁的にしょうがなくね」


「はあ」


 なんだか使い走りっぽいけど、それでも小旅行と考えれば悪くない。

 なんてったって、土日に被るからな。


 ……そうだ。

 静岡といえば、あいつがいるはずだったな。

 久しぶりに顔でも見ておくか。


 おれが考えていると、ふと主任が言った。


「……新幹線とかホテル、まだとってないでしょ?」


「え。はい。これからです」


「わたしがしておいてあげる」


「え。いや、いいですよ」


 そんなこと主任にさせたとあっては、あとが恐くてしょうがない。


「あんた、それよりも午後の打ち合わせの時間でしょ」


「あ、ほんとだ! すみません。じゃあ、お願いします」


「うん」


 おれは机に戻ると、慌てて資料をまとめた。

 と、隣の同僚が話しかけてくる。


「……なんか主任、機嫌よくねえ?」


「え?」


 あー。まあ、確かにそんな気がするな。

 カタカタとパソコンを打つ指が、軽やかに躍っている。


「なに話してたの?」


「いや、週末の出張のこと」


「あぁ。あれ、おまえが行くの? でも、なんで主任が機嫌いいんだろな」


「……自分が行かなくていいからじゃない?」


 そのときおれの背筋には、なぜかうすら寒い予感があった。


 ……まさかなあ。



 …………

 ……

 …



 金曜日、出張当日。

 会議が終わると、おれは昼の新幹線に間に合うように飛び出した。


 しかし主任、今日に限って有休か。

 今週は水曜のダンジョンに行けなかったし、ちゃんと謝っときたかったけど。


 匂いにつられて駅中の売店で肉まんを買い、新幹線に乗り込んだ。

 窓側のシートに座り、一息ついた。

 携帯を取り出して、あいつに連絡をとる。


『これから新幹線』


 返信はすぐだった。


『わかった。車出すから、終わったら連絡くれ』


 りょーかいっと……。


「隣、いい?」


「あ、はい。どうぞ」


「この車両、ちょっと座席が狭いのね。今度から確認しなきゃ」


「そうですね。まあ、座れるだけありがたいですけど……」


 おれは隣に座った黒髪の美女を見て、小さく咳をした。


「……なんでいるんすか?」


 今日は有休をとっているはずの黒木主任だった。


「そりゃもちろん、静岡に行くためよ」


「え。だって、この案件ならおれだけで十分だって……」


「はあ? そんなの知ったこっちゃないわよ」


 じゃあ、どうして?


 おれが思っていると、彼女はボストンバッグをごそごそ漁った。

 そして取り出した雑誌を見せつけてくる。


『月刊ハンター通信。特集、日帰りハント旅行』


 その付箋のついたページを読んだ。


『静岡にはふたつのダンジョンがある。特に熱海市の【小池屋】は、その絶好のロケーションからハンターの間では人気のダンジョンだ。モンスターハントのあとは、日本有数の温泉街で日々の疲れを癒しては?』


「…………」


 はい、予想はしていましたとも。


 いや、それよりもだ。

 まだ間に合う。ここで主任をうまく言いくるめて、追い返さなければ!


「あの、主任。やめたほうがいいです」


「なんで?」


「この『小池屋』は日本でも屈指の難関ダンジョンです。主任が潜ったら死んじゃいますよ」


「そうなの? ふふん、腕が鳴るわね」


「えっと、あと規制も厳しくて、プロハンターのパーティしか入れなくて……」


「あんた免許、持ってるじゃない」


 ハイ無理でした。

 所詮、おれの浅知恵なんぞ主任に通じるわけがないのだ。


「……なあんか、怪しいわねえ」


「な、なにがですか?」


 主任がじろじろと顔を近づけてくる。


「あんた。わたしがいると不都合でもあるわけ?」


「い、いや、不都合っていうか……」


 いかん、思わず視線が泳いでしまう。

 不都合というわけじゃないんだが……。


「……実は、向こうに大学のハンター仲間がいまして」


「うん」


「そいつから『小池屋』でのクエストを依頼されて……」


 その瞬間、主任の顔が般若のごとき様相を呈した。


「あんた、わたしをのけ者にする気!?」


「いや、でも主任。おれたちのレベルに合わせると本当に危ないですよ」


「で、でもでも……!」


 彼女はすとんとシートに座ると、ぎゅっと上着の裾を握った。


「わたしもあんたのパーティじゃない……」


 うっ。

 彼女の泣きそうな顔を見て、言葉が引っ込んでしまった。


 ほんと、こういうときだけずるいよなあ。


 でもなあ。

 ぜったい、あいつも機嫌悪くなるしなあ。


 どうするか。

 ……いや、答えなんてわかりきってるか。


「……わかりました。あいつには、おれから言っときます」


 すると、主任は顔をパッと輝かせた。


 なんだか、またろくでもないことになりそうだなあ。

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