主任、装備選びは基本です

5-1.おれたちのプライベート


「主任」


 会社の廊下を歩く主任を見つけて声をかけた。


「どうしたの? 急ぎじゃないなら、オフィスに戻ってから……」


「あ、すみません。すぐ済みます。あと、向こうじゃ話しづらいことなんで」


「なに?」


「今度の日曜、お時間ありますか?」


「え?」


 主任はなぜか固まった。

 あれ、なにか変なこと言ったか?


「あ、あるけど……」


「じゃあ、一時に渋谷駅で待ち合わせましょうか」


「え、あ、うん?」


 なぜか主任は周囲を見回すと、ぐっと顔を近づけた。

 そして、恐る恐るといった様子で確認してくる。


「……『KAWASHIMA』じゃなくて?」


「いえ、違いますよ」


「……わ、わかった」


 うーん?

 なんか顔が赤い。

 主任、熱でもあるのかな。


「あー。もし体調が優れないなら、別の日でもいいですけど」


「だ、大丈夫! 行くわ!」


「は、はあ……」


 いきなり気合いが入った。

 やっぱ主任って好きだよなあ。


「じゃ、そういうことで」


「あ、はい」


 なんで敬語?

 そう思いながら、おれはオフィスに戻った。



 …………

 ……

 …



 そして日曜。

 渋谷駅、ワンちゃん壁画の前。


「お疲れさまです」


「お、お疲れ……」


 主任は約束の時間よりはやく到着していた。


 主任の私服を見るのは、あのイシクイ討伐のときから二度めだ。

 あのときは動きやすそうな服装だったけど、今回はスカイブルーのスカートにピンクのカーディガンなんて羽織って完全にお出かけスタイルだ。


 けっこう可愛い趣味してるんだな。

 ちょっと意外だ。


「あ、お腹、空いてます?」


「今日は朝が遅かったから、そんなには……」


「あ、よかった。じゃあ、さっそく行きましょうか」


「う、うん……」


 おれたちはスクランブル交差点を渡った。


 あー、でもあれだな。

 私服の主任とこうして並んで歩くのって、なんか新鮮だなあ。


 しかし、どうも主任が大人しい。

 妙にうつむいているし、動きもぎこちない。


 ……まずい。待たせたのを怒っているのだろうか。


「すみません、遅くなって」


「い、いいのよ。それで、今日はどこに行くの?」


「あれ、言ってませんでしたっけ?」


「き、聞いてないけど……」


 ありゃ。これはしまったな。

 でもまあ、主任も薄々わかってるだろう。


「楽しいところですよ」


「た、楽しいところ?」


「はい。そりゃもう、主任がすげえ気持ちよくなれるように頑張りますんで」


「き……っ!?」


 ぼっと顔が赤くなる。

 それから、慌てて視線を逸らした。


「そ、そうなのね。あんた、意外に積極的なのね」


「はい?」


「なんでもないわ!」


 コホン、と咳をする。


「でも、こんな時間からっていうのはどうなのかしら。ほら、せめて夜とかに……」


「なに言ってんすか。こんな楽しいこと、夜まで待ってられませんよ」


「え、あ、そ、そう。あんたも好きね」


「そりゃもう。さっきから走りそうになるのを我慢してるんですから」


「そんなに!?」


 あれ。主任は違うのかな。

 それに、さっきからテンションが低い。

 うーん。ぜったいに乗ってくると思ったんだけどなあ。


「もしかして、迷惑でした?」


「え!? いや、そういうことは、ない、わ、よ?」


 なぜか視線が泳いでいるけど、まあ大丈夫だろう。

 主任は嫌ならはっきり断るタイプだからな。


「あ。そこの角、曲がってすぐですよ」


「ちょ、ちょっと待って。いや、別に嫌ってわけじゃないの。もしかしたらって思ってたから、一応、覚悟はできてる。大人だものね、そういうこともあるわ。でも、やっぱり夜まで我慢できないかしら。ほら、まずは映画とかどう?」


「いや、無理っす。申し訳ないですけど、たぶん終電までかかりますよ」


「そんなに!?」


 どこか恐怖を帯びた視線を向けてくる。


「……あんた、見かけによらないのね」


「は?」


「で、でもでも、こういうのってムードが大切でしょう? わたしたち、会社でも顔を合わせるのよ。これが原因で関係がぎくしゃくするのはよくないと思うの」


「いや、一方的に連れて来た手前、その気持ちは汲みたいんですけど……」


 角を曲がると、主任が立ち止まった。

 そして、目の前の建物を見上げる。



『モンスターハント専門店:ガリバー』



 東京で唯一、モンスターハントの装備を展示売りしている店だ。


 いやあ、おれも来るのは久しぶりだ。

 ここの親父さん。いい歳だったけど、まだやってんのかなあ。


「……牧野」


「はい?」


 振り返って、ぎょっとした。

 主任の目が死んでいる。


 あれ。おかしいなあ。

 もっと喜びながら入っていくと思ったんだけど。


「……どうしました?」


「もしかして、装備を見に来たの?」


「はい。新しい武器、まだ買ってませんよね。けっこう長くなってきたし、ここらで装備一式ちゃんと仕立ててもらおうかなって」


「……き、気持ちいいっていうのは?」


「主任が使ってるおれのお古の胸当て、サイズが合ってなくて擦れますよね。あれ痛いでしょ? やっぱちゃんと身体に合ったやつを着たほうが気持ちよくハントできるんで」


「……終電までかかるっていうのは?」


「ぜんぶ見繕うのって、意外に時間かかるんですよ。ほら、防具とか簡単には脱げないじゃないですか」


「…………」


「あれ。主任、どうしました?」


 もしかして主任、これのつもりじゃなかった?


 ……やっべ!


「す、すみません。主任、もしかして別のこと考えてました? あ、えっと、じゃあ、そうですね。まあ、装備はいつでも見に来れるんで。えっと、まず映画、と、そのあとは?」


 ええっと、主任、なに考えてたんだろ。

 ムードが大事で、夜のほうが都合がよくて、おれも主任も楽しい……。


 ――バゴンッ!


 その瞬間、なぜかバックで顔面を殴られた。


「忘れなさい! いますぐよ! いいえ、わたしが記憶を消してやるわ!」


「な、なんですか! え、だって、主任が他に喜びそうなことなんて……」


「だからそれ以上は考えるなって言ってるの――――!」


 そのときだった。


「おーい。店の前で騒ぐのはやめておくれよ」


 振り向くと、つなぎを着たひとりの女性が店の前に立っていた。

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