閑話 あの世から愛をこめて
お盆に繁忙期を迎える玉兎庵。なぜ、その時期に雅楽代のところに書を求める人が(普段よりは)殺到するのか。その理由、と言うか、裏側をちょっと書いてみました。時間軸はお盆開始の少し前。現世で雅楽代と長月が赤い女に追いかけられていた前後くらいのお話です。
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あの世にいる者たちにとって、今日は待ちに待った
「あーちゃん、元気になったかなぁ」
出来れば笑っていてほしい。あの娘の笑顔は本当に可愛らしいから。
今年新盆を迎える六助にとっては初めての帰省となる。あちらに残してきた妻や息子や嫁、そして孫たちにまた会えると思うと嬉しくてたまらない。そわそわと浮き足立った心は、動いていないはずの心臓をも動かすようだった。
周りの人たちも現世に里帰りする為に準備を始めるのを見て、六助もいそいそと動き始めた。
周りの人たちに連れられて六助が向かった先には、精霊馬が降り立つ広大な
「これ……本当にお盆の間に帰れるんだろうか……」
あまりの数の多さに途方に暮れた六助はそう呟いた。
「大丈夫ですよ!」
「!?」
突然隣から声をかけられて、六助は飛び上がった。
「あの列、ものすっごく長く見えますけど、馬までたどり着くのに一日も掛からないですから」
声の主は女性だった。隣を見ると、自分より背の低い壮年の女性がこちらを見上げてにこにこしている。とても快活そうな雰囲気で、顔の皺の寄り方を見る限り多分自分と同い年くらいのはずなのに、自分と違ってとても若々しい人だ。キビキビとした身のこなしは躍動的で、ほんの少し白いものが混ざった焦げ茶色の短い髪が首筋の辺りでぴょんと跳ねた。黒い、小動物のような大きな瞳が活き活きとしている。
「そうなんですか。ご親切にどうも」
「いいえー、初めてだと驚きますよね!私も初めて死んだ時は驚きました。なにこれ!って」
「へ、へぇ〜……」
初対面とは思えない勢いで喋る女性に、六助はやや引き気味に応えた。
「
直後、二人の背後から静かな声が
後ろを振り返ると、穏やかそうな雰囲気の背の高い男性が立っていた。この人もこの女性と多分同じくらいの年齢なのだろう。淡い茶色の瞳に白い肌。背筋がピンと伸びた綺麗な立ち姿に、薄墨のような淡い色の髪が良く似合っている。すると「
「お知り合いですか?」
二人を見つめたまま六助は訊ねた。
「えぇ、私の妻です。私は
時雨は腕に三冬をぶら下げたまま丁寧に挨拶してくれた。
「これは、ご丁寧にどうも。私は斉藤六助といいます。実は私、今年新盆でして。ここに来てあまりの人の混雑を見て途方に暮れてたところに、奥さんが声を掛けてくれたんですよ」
「そうでしたか。ではさぞ驚かれたでしょう。斉藤さん、ご迷惑でなければ順番が来るまでご一緒しませんか?」
「ええ、よろこんで」
馬場への列は延々と続いているし、一人で待っているのも気が滅入ってしまうだろう。六助は時雨の申し入れを快く受け入れた。
●
「はぁ、それは心配でしょう」
列がじんわり進む間、六助の話を聞いていた時雨は我がことのようにため息をついた。
「分かっていただけますか」
労わるような時雨の言葉に、六助は感動を覚えた。死んでから日の浅い六助は、他者に自身の残してきた家族の話をすることはほとんどなく、そもそも話すタイミング自体を逸していた。生前の話を、どこまでこちら側に来ている人と話して良いのか分からなかったのだ。残してきた家族のこと、殊更懐いていた上の孫娘についての思い出話に関しては特に熱が入っていた為、熱心に耳を傾けてくれる二人の姿勢にひどく感動したのだ。
「えぇ。私たちにも可愛い孫がいましてね、あちらの世界で頑張っていますので」
時雨の、穏やかな目を細めて語る様子に触発されて、六助の口は更に孫娘の話を語った。今まで喋らなかった分を取り戻すかのように、気がつけば孫との思い出話をいくつも披露していた。
「……ああ、申し訳ない。私ばかり喋ってしまいまして……」
ふと我に返った途端、恥ずかしそうに頭を掻く六助を、時雨は穏やかな目で見つめた。
「いえいえどうぞ、お構いなく。こちらではあまりそういった語らいが出来る方が見つからないので、私もとても楽しく拝聴しておりますので」
穏やかに微笑む時雨に、六助はほっと息を吐いた。
「いやはや、何とも申し訳ない……ですが、ありがとうございます」
「さぁさ、斉藤さん!続きを話してくださいな。まだまだ列は長いんですから」
「妻の言う通りですよ。まだ列は長く続いているんです、いくらでもお話しください」
こうして六助は、時雨には穏やかに、三冬には元気に促されて、先程より幾分か緩やかなペースで孫娘たちの、二人のうち特に自分に懐いていた孫娘・
●
列に並び始めてから半分ほど進んだだろうか。
まだまだ先は見えないが、気がつけば三人の間で親バカならぬ、
「うちの孫は料理が上手くてね。私なんかよりよっぽど美味しいご飯を作ってくれるんですよ」
にこにこと笑って喋る三冬の顔に頷きながら、六助も相好を崩した。
「それはそれは。羨ましいですねぇ。下の孫もそうですが、上の孫は料理は全く得意じゃなかったので、手料理はほとんど食べさせてもらえなかったんです」
「いや、分かりませんよ?この半年の間にお孫さんたち料理に目覚めて、めきめき上達してるかもしれませんし、もしかしたらお盆のご飯をお孫さんが作ってくれるかも!」
そう言われて六助は、台所で得意げにフライパンをふるう孫娘を想像して、ふふ、と笑う。
「そうだと嬉しいですね。料理が得意ということは、お二人のお孫さんも女の子でしょうか?」
ニコニコ顔のまま、三冬はふるふると首を横に振った。
「いえいえ、うちは男ですよ」
時雨の言葉に、六助は少し驚いた。先程まで語られていた二人の孫の“ハル”さんの様子からは、まるで男性という印象を受けなかったからだ。六助はてっきり、割烹着の似合う穏やかな女性を想像していた。
「多分、この人に似たんですよ!時雨さんも料理が得意だったので」
三冬が自慢げに胸を張る。少し子供っぽい三冬の動きに、時雨が少し恥ずかしそうに体を屈めた。
「妻はいつもこう言ってくれるんですが……多分、あの子の性分に合っていたんでしょうね」
残してきた孫息子を語る眼差しは、とても穏やかで暖かかった。元気で、穏やかなこの二人が大切にしている子は一体どんなお孫さんなのかと、改めて六助はまだ見ぬハルさんに想いを馳せた。
そうしている間にも、のろのろと進む人の流れは大して速度を変えることなく、しかし着実に前へと進んでいった。
●
まだ先頭は見えないが、人の声に混ざって馬の
早る気持ちが周りの人達の首を長くさせ、確認しようとする人が何人も体を左右に揺すっては人の頭の隙間から前を覗こうとする。実に落ち着きがない。そして六助もまた、彼らにつられるように首を少しでも長く伸ばし、頭と体を左右に揺らし始めた。
「ここで出逢えたのも、何かのご縁。もし、困ったことがあれば、是非うちの孫を訪ねてください」
そういきなり言われて、六助は伸ばしていた首を引っ込めた。そしてゆらゆら揺れるのも止め、怪訝そうに聞き返した。
「お二人のお孫さんを、ですか……?」
「ええ。都内で、しがない古書店を営んでおります。
「店の中に、別の店?」
六助は、二人に言われた妙な単語を鸚鵡返しにした。
「ちょっと不思議だと思われると思うんですけどね、ちっちゃな店があるんです、店の中に。まぁ、あの子、ちょっと無愛想に見えるかもしれませんが、根は良い子なので気軽に来てくださいな」
三冬が無愛想だというハルさんの性格も気になったが、それ以上に六助には引っ掛る部分があった。
「お二人が仰る、困ったことって何でしょうか?」
大層ぼんやりとしたことを言われたのが、六助の中で引っ掛かったのだ。どういうことなのだろう、と。時雨はにこりと微笑んで答えた。
「普通の店では解決しないことでも、もしかしたらお力になれるかもしれないので」
答えはもらえたが、やはりはっきりしない答えに六助は更に問いかけた。
「例えば?」
すると二人は同時にそれぞれ左右に傾きながら、説明してくれた。
「そうですね……具体的に、と言われると難しいんですが。敢えて言うなら、人ならざる者たちの関わるものは得意ですよ」
「怪奇現象や、呪い避け、失せ物……一般的な警察や探偵といった職の方では対処できないような、特殊な頼み事ですね!」
時雨と三冬は、そう口にした。最初よりは随分具体的な説明がもらえたが、聞く前よりも聞いた後の方が、六助は混乱してしまった。
失せ物はさておき、怪奇現象に、呪い避けだって……?そんなオカルトじみたことがあるとは思えないが、現に無いと思っていた死後の世界を自分の身をもって今まさに体験している六助は、曖昧に頷くことしか出来なかった。
「あの、ハルさんのお店ってこう……なんというか、祓い屋とか、そういったお店なんですか……?」
まずは言われた内容を一つずつ解釈しようと、六助は三冬たちに問いかけた。
「いえ、それはあの子のお友達が得意ですので。あの子は祓いは出来ません。その代わりに書を書いて、それを売っています」
いよいよもって、全く意味が分からない。六助は問いを重ねた。
「書?書って、あの書道の書、ですか?」
ええ、と三冬は頷く。
「あの子の書く字は、不思議なことに人ならざる者たちにとって大変な美味らしいんです。それを肌身離さず持っていれば、御守り代わりになりますよ」
身代わり人形みたいな物ですね、と三冬は人差し指を立てて微笑む。
「身代わり人形……?」
問い掛ければ問いかけるほど謎は深まっていくばかりだが、六助は、ハルさんが書いた書が護符のような物と言うことだけは、辛うじて理解できた気がした。
眉間に皺を寄せて首を捻っていたちょうどその時、あの世の管理人が六助に向かって手招きしながら声を掛けてきた。
声の方を見れば、いつの間にか自分が列の先頭に来ていた。
「斉藤六助さんですね?お待たせしました、ご家族さまからお迎えの馬が来てます。では出発前に、注意点をいくつかお伝えしますね」
そこからは、注意事項や禁止事項のオンパレードだった。
むやみやたらに生者と交わらないこと、無益な接触をしないこと、羽目を外しすぎないこと……等々、色々注意点を並べられたが、先程時雨と三冬に言われた説明で混乱した頭では三割も理解できていなかった。生返事をしながら、六助は渡された馬の手綱を握り、
「そうだ、斉藤さん。今年が初めての里帰りですよね?でしたら、生者と交わる際はタイミングに十分に注意してくださいね」
意味深なことをいう時雨に、六助は一度足を外して首を傾げた。
「死んで間もない
生者に姿を見せることとは俗に言う、夢枕に立つことだと、時雨は言った。そんな必要がないのが一番だと笑う時雨に、六助は不思議なものを見るような目で見つめ返した。
だってそうだろう。愛しい者たちと年に一回だが言葉が交わせるかもしれないのに、夢枕に立つことが無い方が良いだなんて。
言われた言葉の意味を図りあぐねた六助は、眉を寄せつつも今度こそ馬に跨る為に鐙に足をかけた。
「では、また。お盆明けにお会いしましょう」
下を見れば、時雨と三冬が手を振って送り出してくれていた。それに微笑み返し、馬に跨り手綱を握れば、景色がぐにゃりと歪み、一気に後ろへ流れていく。ぐんっ、と強く引っ張られる感覚に目を閉じ、再び開いたとき、目の前に写った家は酷く懐かしく感じた。
見慣れた軒下にぶら下がる見慣れない提灯が、風に揺れている。誘われるように足を踏み出せば、灯りのともった仏間へ移動していた。少し薄暗い仏間には花の絵が描かれた水色の提灯が、くるくる光を撒き散らしながら点いていた。真新しい提灯と、仏壇に飾られた自分の遺影を不思議な気分で眺めながらぼんやりと残した家族を思い浮かべた。次の瞬間、パッとテレビのチャンネルが切り替わるみたいにリビングに移動していた。
「お義父さん、帰ってきてますかね」
嫁の
「えぇ、えぇ。帰って来てるでしょう。なんたって可愛い孫娘たちが二人とも揃っているんですからね」
「お義父さんには、二人とも本当に可愛がってもらってましたもんね。特に麻美はお祖父ちゃんっ子でしたし」
心に思い描けば、再び目の前の景色が変わった。この部屋も覚えている。
麻美の部屋だ。かつては六助の書斎だったが、可愛い孫が自室を欲しがった際に
その真ん中に、麻美は来客用の布団を敷いて寝ているようだ。久々に顔が見られると喜んだのも束の間、六助の目は孫娘の他に別のものを捉えた。
『……あれは、なんだ?』
見れば可愛い孫娘の上に黒い塊が見えた。よく目を凝らして見てみれば、それはまるで人のような形をしている。あれは良くないものだ。そう六助は直感した。その証拠に、黒い塊にのしかかられた麻美はウンウンうなされていた。
『あーちゃんっ!?こうらぁ!!どこの馬の骨か知らんが、うちの可愛い孫娘に何をしとるかあぁ!!』
六助は突発的に、黒い影に対して力一杯怒鳴りつけた。六助の怒声に驚いたのか、黒い影は一瞬薄くなったが完全に霧散することはなく、何となく麻美の周りで漂い続けている。
六助の直感が再び訴えかけた。
あれは、良くないものだ。と。
やたらめったら姿を見せてはいけないと、釘を刺されていたがこればかりは看過出来なかった。……大事な大事な、それこそ目に入れても痛くないほどに愛している孫娘の危機だ。彼方に帰ったらもしかしたら怒られるかもしれない事くらい、なんて事はない。
くっ、と目を見開いた六助は迷わなかった。腹に力を込めて、黒い影を蹴散らす様に突進した六助は、その勢いのまま孫娘に向けて念じた。
届け、届け届け、届けっ!
形を成さない口を目一杯開き、懸命に名前を呼んだ。呻くような微かな声がした途端、六助と麻美は暗闇の中でバチリと目が合った。その瞬間からだった。
『久しぶりだねぇ、あーちゃん』
自分が思っていたよりも穏やかな声が出て、六助は無意識にほっとした。
『あまり時間がないからよくお聴き。いいかい……』
時雨は、死んで間もない
●
「……斉藤さん、ご家族に何も無ければ良いですが、何かあったら私たちの言葉を忘れてないと良いですね」
不思議な色をした空を見上げながら、時雨は囁くように呟いた。
馬場へと向かう列を離れ、二人は来た道をとことこと戻っていた。先程までのさざめく様な人だかりはなく、ぱらぱらと向かってくる人とすれ違いながら三冬は浮かない顔の時雨を仰ぎ見た。
「でも時雨さん、視えたんでしょう?なら十中八九、あの子のところに行った方が良いお客さんでしょうね」
うん、と薄い色の瞳を揺らしながら、時雨は妻を見つめ返した。
黒い黒い、あの独特の影。先ほど送り出した六助の背中にも張り付いていた、まるで纏わりつく女の長い髪の毛の様な、影。時雨も三冬も、その出所は分かっている。
現世で関わってしまった時から知ってはいたがこちらの世界に来てもなお、現世で特に関わりの深かった者にまで影響を及ぼすほどのあの執念。どこまでも純粋で、だからこそ実に厄介なあの女。あれが関わるとほぼ確実に予定されていない者の名が鬼籍に載る。こちら側を統括する者たちからしてみれば、迷惑極まりないのだという。
「少し前に三冬さんの髪が
時雨は困った子どもの所業でも思い出す様に眉尻を下げた。それに対し三冬は、ふん、と鼻を鳴らす。
「まあ、すぐ元に戻りましたけどね」
自分の短い髪を一房掴み、頬に擦る様に眺めた三冬はひどくあっさりと返した。焦げ茶色の髪が、持ち主の言葉を肯定するようにぴょこんと跳ねた。
「さすがに何の下準備もなくあの子を喰らうのは無理というものでしょう」
人が紙に文字を書くことが減ってきた現世。特に人の手で直接書かれた文字は更に少ない。それは各々の好き嫌いはあれども、
「昔はチョロチョロと食べ物をせがみにくる野良猫のようで可愛げがあったのに、すっかりガラが悪くなっちゃって。自分で直接行くだけでもかなり面倒なのに、生者を唆して食い散らかしていくなんて……なりふり構えなくなってしまう理由も分からないではないけれど、それにしてもねぇ。しかも関係ない人やモノにもバンバン悪影響与えるんだから」
困ったものだ、とため息を吐く三冬に時雨は微笑みながら手を差し伸べた。
「そうだね。だからこそ、今の私たちに出来ることをしよう」
差し伸べられた左手をくりくりとした目で見つめた三冬はぱちくりと瞬きをすると、力強く頷きその手に右手を重ねた。それを優しく、でもしっかりと握り返すと時雨は悪戯っぽく首を傾けながら片目を瞑る。
「あまり死者が生者の営みに口を挟むべきでは無いのは重々承知してますが、やはり私たちにとっては可愛い孫息子ですから。このくらいは目をつぶってくれるでしょう。……多分」
繋いだ手を大きく振りつつ、やや歩みを速めた三冬はいつもの元気な口調で返した。
「商売下手なあの子の食い
小柄な三冬に元気に手を引かれながら時雨は、先ほどの三冬の言葉を心の中で反芻する。
そう、これは契約だ。
こちらの世界で、
それこそがこちらの管理者と暗に交わされた契約だった。
「……それにもう一つ、個人的な頼み事をしてしまっていますからね」
ぴょんぴょこと軽快に跳ねる妻の髪を見つめ、誰に聞かせるでもなくひっそりと囁いた。その囁きに気付いた様子もなく三冬が再びこちらを振り仰いだ。
「さぁ、帰省が終わってしまう前にもう一仕事と行きましょう時雨さん!」
死してなお元気な妻の姿を見ていれば、時雨もつられて笑顔になる。
「ええ、三冬さん。可愛い孫のためだからね」
元気な妻と巡るあの世も中々どうして楽しく、あちらに残してきた孫息子は少し危うくて愛しくて堪らない。
ならば自分のすることはただ一つ。
あの世から、愛をこめて。
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