閑話 呼び出しの理由


 お盆の話まで一区切りつきましたので、ちょっと閑話を。


 第九話のほんの少し前にあるお話です。

 主体は栄吉さん。鸞鳳堂を手伝いに来た紫鈴の代打で栄吉が来た理由を本編より詳しく書いてみました。

 キャラクター単体目線で書くことにあまり慣れていないので読みにくいかもしれませんが、ご容赦ください。

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「あ、もしもし、栄吉さん?俺です。湖太郎です」


 受話器の向こうから、よく知った歯切れの良い声が聞こえる。萩鳥栄吉はその声に軽く返した。


「おおー、湖太郎くんか。どうした?」


「実は折り合って頼みがありまして……」


「なになに。若者が年上に遠慮するこたぁない。言ってみ?」


 じゃ、遠慮なく。と受話器の向こうで居住まいを正す気配がする。相変わらずの好青年だ。


「少しの間青茅かりやすに店任せて、今からハルんとこ来てくれません?で、出来ればその後俺の代わりに店番してください。こっちで回収したゆかりんは俺が責任持って、家に届けます。二藍ふたあいをサポートで行かせるので、ゆかりんを青茅と二藍に任せる形で。……お願い出来ませんか?」


 ……ん?確か、リンのヤツって。

 僕は不思議に思い、受話器の向こうにいる湖太郎くんに対して首を傾げた。


「ウチのリン鸞鳳堂らんほうどうで店番しながら、春くんの看病してるんじゃなかったか?」


 今朝、スマホで連絡を受けた娘が、何やらバタバタソワソワしながら看病に行ってくると、鼻息荒く宣言していた気がする。

 歳も歳だから、リンを男の家に一人で行かせることにそこまで抵抗はなくなった。そもそも相手は、春くんだ。娘の長年の片想いの相手だが、何か起こるとは考えにくい。万が一、どうにかなってしまったら、きっちり責任を取って貰えば良い。そう思っていたのだが。


 ええ、まぁ……。と歯切れの悪い湖太郎を、不思議に思って続きを待つ。


「ゆかりん、店番までは良かったんですけど、春の部屋入った途端ぶっ倒れたんですよ。多分、春の着崩れた寝巻き姿が目に毒だったんだと思うんですけど。譫言うわごとで『寝巻き、はだけ』って繰り返してたんで」


 ……頭痛がする気がした。

 ちょっと変態っぽいところも頭痛に拍車をかける。……まあ実際、風邪で弱ってる春くんとこにウチの娘連れて行ったところで全く役に立たないだろう。今みたいに着崩れた寝巻き姿や弱った姿を目撃した程度で、鼻血出して気絶するのがオチだ。一応、予測の範疇内だったが……。


「目を離すと動き回る春の足止め用にと、本と紙を大量に持たせて寝室に置いてくるよう頼んだ矢先の出来事だったんで。ちょっと驚きました」


 我が娘の、あまりの使えなさにいたたまれなくなってきた。

 受話器を持っていない方の手で、眼鏡をずらして目頭を押さえた。


「……すまないねぇ」


 いえ、と返す声は苦笑いが浮かんでいる。


「自分も配慮が足りなかったんで。大学のイベントやゼミ合宿でTシャツ姿とか、腹チラとか見てるはずなんで、大丈夫かと甘く見てました」


 どのくらい寝巻きがはだけていたのかは知らないが、湖太郎の口ぶりから察するに過去のものとさほど差は無さそうだ。

 五月に御中元を届けてくれた以降、鈴は梅雨の間一切接触を経っていた為、三ヶ月ぶりの想い人との対面にはやや刺激が強かったのだろう。


「それよりもゆかりん、持ってた本と紙を天井に向かって撒き散らしてたんで、本が春や、ゆかりん自身にぶつからなかくて良かったなと思ってます」


「……本っ当に、すまないねえ……っ!」


 思わず、顔の中心に思いっきりシワが寄った。手伝いに行っている筈なのに、手間を増やしている姿がありありと見える気がする。はっきり言って申し訳がなさすぎる。

 だが気絶はしたが、どうやら病人を負傷させずに済んだらしい。不幸中の幸いだ。


「春はぐっすり寝てたんで問題なかったんですけど、事態を知った二藍に俺がめっちゃくちゃ怒られまして」


 あー、と僕は間延びした返事を返した。

 容易に想像がつく。

 あの紙魚にとって彼は我が子だ。怒るのも無理はない。


「さもありなん。彼女にとって当然だろうよ」


 まぁ、そうなんですけどね。と受話器の向こうで頷く気配がする。

 で、ですね。と湖太郎は続けた。


「本当は買い出しをゆかりんに頼みたかったんですけどニヤけたまま気絶してるんで、代わりに俺が出るんですよ。……そのかん、碌でもないのが訪問しないとも限らないんで」


 湖太郎の微かな溜めとほんの少し低くなった声を、僕は聞き逃さなかった。自然と目がほそまる。


「……なるほど。そりゃ、僕が適任だわな」


 皆まで言わずとも、湖太郎が言わんとしていることが分かった。そして何故、自分に頼んできたのかということも。


「んじゃ、これから向かうよ。そんなにかからないで着くと思うから」


 湖太郎が何か言う前に僕はそう続けた。

 隣近所というほど近くはないが、二駅と少しくらいの距離だ。実際、僕の脚なら時間はそれほどかからないだろう。

 受話器の向こうで、ほっとしたように吐いた息が微かに聞こえた。


「お願いします。麦茶作っておくんで」


「うん」


 短く返して電話を切る。

 通話が終わり室内に静寂が戻るが、次いで蝉時雨が聞こえてきた。今日も外は暑いのだろう。

 僕は作業机に寄ると、黒いシガーケースに小粒の水晶と塩、井戸水の入った小瓶を二本ほど入れて腰に着けた。気休めだが無いよりは良いだろう。小銭入れを尻のポケットに捻じ込み、日除けのパナマ帽を手に取り頭に被った。


 支度を済ませて、同居している黄色い紙魚を探す。店を見回すと、ド派手な黄色の髪は目立つのですぐに見つかった。商品の整理をしているのか、その顔つきは真剣だ。


「青茅、ちょっと出て来る」


 軽い調子で声を掛けると、青茅は手元から顔を上げて聞き返した。


「買い付けですか?何処まで?」


 青茅は普段、気が弱くおどおどとした印象の紙魚だが、僕と仕事をしているときはその気弱な雰囲気が一掃される。仕事モードに入っている為か、シャッキリとした目でこちらを見つめている。

 そんな青茅を見つめ返して、ヒラヒラと手を振った。


「買い付けじゃあないよ。鸞鳳堂に応援を頼まれた」


 青茅は一瞬、考えるように目を伏せたが、すぐにこちらを見た。ド派手な黄色の目が生真面目に僕を見つめる。


「分かりました。……くれぐれも道中、変な物買ったり、貰ったりしないでくださいね?」


 この紙魚は時に、僕に対して妙な疑いをかけてくる。僕は僕自身の審美眼を信じているし、骨董屋としての自負もある。

 僕は思わず唇を尖らせた。


「変な物ってなんだよ」


「今、ぼくが片付けているようなやつですよ!何ですか、この『女装河童の美人画』って⁈この構図、菱川師宣ひしかわもろのぶの『見返り美人』丸パクリじゃないですか!」


 青茅がくわっ、と顔を険しくして手元の日本画を指差した。そこにはしなを作った麗しい河童の横顔が見える。つい先日、僕が買い付けた品物のひとつだ。


「良くない?それ!味があって良いと思ったんだよー」


 改めて見ても、なかなか良い掘り出し物だったと思う。買い付けた金額もかなり良心的だった。

 だが、機嫌良く返した栄吉とは裏腹に、青茅の反応はいまいちだ。眉が難しそうに寄っている。


「味じゃなくてユーモアだと思います。どちらかと言うとパロディ強めの」


 怪しいものでも見るように、青茅は目を細め首を傾げる。僕の目にはなかなかの美女に見えるが、青茅の趣味ではないのだろう。


「……そうかなぁ?この河童のバッシバシまつ毛なんか、結構色っぽいと思うんだけどなー」


「鳥獣戯画に出てくるカエルみたいな風貌の河童に、色気もあったもんじゃないと思いますけど」


 あんまりの言い草に少々むっとしたが、今回も自信があった。胸を張って断言する。


「そんなに酷評しなくても、数日後にはそれ売れると思うよ」


 青茅は疑わしそうに絵と僕とを交互に見つめる。


「……ホントかなぁ?」


 青茅の眉が胡乱げに波打っている。その顔がおかしくて、噴き出してしまいそうになるのを全力で堪えた。代わりに僕は言葉を重ねる。


「大丈夫だよ、少なくとも損は出ないはずだから」


 慎重すぎる相棒に微かな苦笑いを浮かべながら、僕はそう断言した。これは何もハッタリではない。僕の経験がそう言っている。

 青茅は胡乱げに美人画を見つめ、まぁ期待しないでおきます。とだけ言うと、それを箱に収めた。

 ふう、と一息ついた青茅は顔を上げるとこちらを見て眉を寄せた。


「……喧嘩ですか?」


 青茅が僕の腰の辺りをじっと見つめて呟いた。その声は硬く、どこか不安げだった。

 僕はそれに、肩を竦めて戯けたように返した。


「さぁね。向こうが売ってこなければ、僕は基本、買わないよ。平和主義だからね」


 だが、長月湖太郎可愛い弟子からの滅多にない直々の頼みだ。しかも護衛対象は、僕の数少ない友人の大事な雅楽代春孫息子でもある。手加減するつもりは毛頭ない。

 僕は腰につけたをシガーケース越しに撫ぜる。弟の栄玄クロと違って、妙な情けはかけない。降りかかる火の粉は全力で払うつもりだ。


「……アイツじゃないと良いなぁ」


 僕は、友人二人に付き纏っていたある紙魚を思い浮かべていた。黒い髪に黒い瞳、そして身に付けている物全てが黒く、まるで喪服のようだった。常に妖艶な笑みを浮かべる彼女は、着ている服の色と同じ名前をもっている。——青鈍あおにび

 青鈍彼女にもしも再び出会でくわしてしまったならば、僕はどんな手を使ってでも彼女を滅するだろう。それこそ塵ひとつ残らないほどに。


「じゃあ、行ってくるよ」


 出来れば、もう暫くは穏やかな中年でありたいと密かに願いながら、僕は灼熱の太陽の下に繰り出した。

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