第三話 腐れ縁

 都内某所。せっかくの花の季節だというのに、生憎と今日の空には厚い雲が重く立ち込めている。昼間なのに足元に影も出来ない。遠くでゴロゴロと稲妻が唸る音が聞こえる。今にも泣き出しそうな空を店の窓から眺めていた店主の雅楽代春うたしろ はるは、鬱陶しげに前髪をかきあげた。

春雷しゅんらいね」

 雅楽代の胸の辺りから少女の声がした。

「ああ、そうだな」

 窓の外を睨みつけたまま雅楽代は応えた。店の中には客はおらず、先ほどの話し声以外に聞こえるのは壁に掛かった時計の微かな音だけだ。

 しばらく、カチ、コチ、と時を刻む音が響いていたが、再び雅楽代の胸の辺りから少女の声が問いかけた。

「せっかくの花の季節だっていうのに、はるは外に花見に行かないの〜?」

「こんな天気の日に花見もないだろう」

「そうかしら?」

「そうだよ」

 間延びした声に対し、雅楽代は呆れた様子で鼻を鳴らした。春の雷はひょうを降らせることがあるからだ。それに本日の天候は曇り。しかも遠くで雷が鳴っている。十人中九人が花見日和ではないと答えるだろう。

 それでもめげずに、少女の声は雅楽代に疑問を投げかける。雅楽代と同じように窓から外を眺めている紙魚しみの少女の二藍ふたあいだ。彼女の、藍色に紅色をのせた紫に似た色、二藍色ふたあいいろの長い髪がゆらりと揺れて雅楽代を振り仰いだ。

「そんなことないかもしれないじゃない?」

「なんだよ二藍。今日は随分と絡んでくるじゃないか」

 いつもなら二藍はそこまで喋らない。無口ではないが、喧しくはないのだ。そんな二藍が今日は珍しく口数多く雅楽代に絡んでいた。

「だって春、天気の良い日だって室内で日がな一日お茶飲んでるだけじゃない。このままだとお爺ちゃんになる前に、もやしみたいになるか、干し椎茸みたいに干涸ひからびちゃうんだから」

「春眠暁を覚えずっていうだろ。お茶は眠気覚ましだ」

「あら、奥の机でその眠気覚ましのお茶飲みながら寝てたみたいだけれど?」

「……」

「昨日だけじゃなくて、一昨日おとといもそうだったような気がするけれど?」

「…………」

「日差しが嫌で外出を渋っているなら、寧ろ今日みたいな日が春にとっての外出日和なのかと思っていたんだけど?」

「………………定期的に外に出ます」

「宜しい」

 畳み掛けるような二藍の言葉に、苦虫を噛み潰したように顔が歪んでいた雅楽代だが観念したように宣誓をした。求める応えを聞いた二藍は満足したように頷く。そして、神経質そうに腕を組む雅楽代の方に体ごと向き直ると、二藍は興味深げに白い睫毛を瞬かせた。

「まったく、人間って不思議ねぇ。三冬みふゆは外に出ないどころか、いつも外に出ていてろくに作品を書かなかったっていうのに」

「ばあちゃんは関係ないだろう」

 三冬とは、雅楽代の祖母だ。母方の祖母で姓は蓬莱ほうらい。二藍とは古い仲なのだという。

はるは三冬の孫なんだから、関係はあるわ。えにしが繋がって三冬のところにはるが来たのよ。それに私、三冬からあなたの面倒を見てやってくれって、最期に頼まれてしまったんだから」

「面倒事を押し付けられたんだな」

 そう言って雅楽代は首の後ろを掻いた。

 雅楽代には、春には両親がいない。幼い頃に事故で両親を亡くし、それ以来母方の祖父母に育てられた。祖父は優しく物静かな人で、祖母は快活で豪快な人だった。そんな二人に優しく、時に豪快に育てられた為、雅楽代は自分の生い立ちを他人に説明するのが億劫だと思いこそすれ、自分を不幸だとは思っていない。寧ろ幸運だったとさえ思っている。もし祖父母に引き取られていなければ、施設か、顔も知らない親戚の家をたらい回しにされていたかもしれないからだ。そんな事を思ってか、祖母の三冬は今際いまわの際に、親戚でも人間でもないこの少女に自分のことを託したらしい。

 再び肉親を失う雅楽代にとっては有難い話だが、託された二藍にしてみたらいい迷惑だろう。そう思っていたのだが。

「あら、この生活もなかなか楽しいわよ?」

 そうでもないらしい。

 長い二藍色ふたあいいろの髪を着物の袖から伸びる白い指でいじりながら、二藍は答えた。

「紙魚の私に、三冬のおかげで人間の友人と、貴方みたいな孫が出来たんだから」

 雅楽代は二藍の思いがけない返答に、小さな頭をまじまじと見つめた。

「孫なのか?」

「孫……孫?いえ、息子?……寧ろ、弟とか?」

 雅楽代の短い返しに、二藍の眉はの字に下がった。口元に手をあて、ブツブツ呟く姿は何とも人間くさい。

「いや、なんでもいいけど」

 なんでもないような声で応える。雅楽代にとって間柄はなんでもいいのだ。雅楽代が気付いた時には祖父母と一緒に自分のそばに居たこの紙魚は、雅楽代にとって祖母であり、母であり、姉なのだ。

「なあ、二藍はいつ頃ばあちゃんと知り合ったんだ?」

 そういえば雅楽代は、祖母と二藍の出会った頃の話を聞いたことが無かった。そう思い至り、まだブツブツ呟いていた二藍に問いかけた。気が付いた時には二藍がいて、祖母に聞くと古い友人だとだけ教えてくれた。勝手に買い取った本の間にでも挟まっていたんだろうと思っていたが、正直気になっていたので尋ねてみると、二藍は呟くのをやめて、思い出すような素振りを見せた。

「確か……三冬が学校サボって、村の外れにあった廃屋で冒険してた時に知り合ったのよね」

「小学生の頃の話か?」

「いいえ、高校生くらい」

「…………」

 雅楽代の表情筋が悲しげに緩んだ。

 なんてやんちゃだったんだ、ばあちゃん。

 豪快な人柄は知っていたが、子供の頃は豪快というよりお転婆だったのか。

「その廃屋っていうのが、なかなか大きな屋敷でね。三冬は地元の小学生に混ざって遊んでたのよ。それである日、二階の部屋についてた鴨居からすぐ隣にあった鴨居に猿みたいに飛び移ろうとして失敗して、天井突き破って、私のいた一階の部屋まで落ちて来たの」

「……天井突き破って?」

「そう。どっかーん、って」

「……ばあちゃん」

 もう、お転婆というよりただの悪ガキだ。

 祖母の悪ガキっぷりに、雅楽代の眉間が寄った。

「なんか、一緒に遊んでた子ども達に格好良いところを見せようとしたらしいわよ」

 違う、悪ガキじゃなくてガキ大将だった。

 祖母のあまりの所業に雅楽代の眉間のシワは深くなり、おまけに、ぎっ、と奥歯を噛んだ。

「三冬が落ちたことに慌てた子ども達が助けを求めて連れてきたのが、下校途中で外歩いてた時雨しぐれだったの」

 時雨とは三冬の夫で、雅楽代の祖父だ。確か、三冬と時雨は幼馴染みだと聞いたことがある。

 雅楽代はその展開にほんの少しだけ目を見開いた。

 天井を突き破って落ちるというのは中々ないシチュエーションだが、幼馴染みの女の子を男の子が助けに来るとは、まるで小説や漫画のようだ。その手の恋愛話は雅楽代の趣味ではないが、甘い話が好きな二藍が好きそうな話だと思った。……が。

「三冬って、ほら。頑丈だから。時雨が助けに来た時もピンピンしてたのよ」

 なんだが話の雲行きが怪しい。

 祖母が頑丈かどうかは知らないが、タフだった気はする。小学生の頃に祖父母に連れられて山に登った際、下山するころまで誰よりも元気だったのは祖母の三冬だ。

「寧ろ、助けに来た時雨の方が大変だったのよ。落ちた時にちょこっとおでこを切った三冬の顔見て、貧血起こして倒れたんだから」

「じいちゃん……」

 血が弱いのは昔からだったのか。

 中学生の頃、祖母の手伝いでカッターで半切はんせつれんの大きさに切っていたときに、誤って指を少し切ってしまったことがあったのだが、救急箱を持ってきた祖父が指の血を見て崩れるように失神したことがあった。指の傷は薄っすら血が出る程度のとても小さな傷だったのだが、それでも祖父には駄目だったようだ。ひっくり返った祖父の後頭部のたんこぶの方がよっぽど重傷だった。

 あれは、すごくびっくりした。うん。

「で、その倒れた時雨の下敷きになったのが、私」

 もう、情緒も何もないことがわかった。

 雅楽代は組んでいた腕をほどき、静かに両の手で顔を覆った。

「腕の下敷きになったのね。おかげでこっちも気を失ったんだけど、私の髪の毛が袖のボタンに引っかかってたらしく、慌てふためいた三冬が時雨を抱え上げたついでに私も釣れちゃったらしいのよ。で、そのまま三冬の実家に時雨共々担ぎ込まれたの」

 失神した祖父を軽々と姫抱っこする祖母を思い浮かべて、くっ、と雅楽代は顔を覆ったまま上体を縮こませた。

 容易に想像できる。

 想像できるが故に何やら悲しくなった。甘い思い出かと思いきや、しょっぱい思い出だった。……主に祖父にとって。

 血を見て失神して、幼馴染みの女の子に姫抱っこされて、外なんて歩かれた日には大概の男なら穴に埋まりたくなるだろう。雅楽代なら耐えられない。

「……安心なさいはる。貴方のその長身を抱えられる女性は、中々いないと思うわ」

 呆れたような二藍の声が聞こえて、雅楽代は思考の沼から這い出した。顔を上げると声と同じく、呆れた顔の二藍がこちらを見ていた。どうやら顔に出ていたらしい。気恥ずかしさを隠すように雅楽代は再び腕を組んで、話の続きを促した。

「……まあ、なんだかんだあって結局私はもと居た場所から、三冬の家に転がり込んだの。それからなにかあるたびに、私は三冬と、たまに時雨も含めた三人で一緒に行動するようになったのよ」

 分かったような、分からないような、一番聞きたかったところを端折はしょられたような。やや強引な感じで二藍は話を締めくくった。その後の詳しいエピソードにはとても興味を惹かれるが、今回はいつ頃出逢ったのか教えてもらえただけでも良しとしよう。自分が思っていたより、二藍と祖父母はずっと古くからの知り合いだったのだなと、雅楽代は思った。そして腕を解き、首の後ろを掻きながら雅楽代はしみじみ言った。

所謂いわゆる、腐れ縁ってやつだったんだな」

「あら、腐れ縁だって悪いものじゃないわよ」

 どういう意味だと聞こうとしたちょうどそのとき、店の中に涼しげな音色が響いた。

雅楽代うたしろー、いるかー?」

 涼しげな音色に続く聞き慣れた声が雅楽代を呼ぶ。程なくして書架の林から、小学校からの腐れ縁である長月ながつきが顔をのぞかせた。いつもと同じく人懐こい顔が、雅楽代を見つけて輝いた。

「おう」

 その顔を見て雅楽代は、白い手を軽く挙げた。

「お、いたいた。よかった。ちょっと雨宿りさせてくれ」

 見ると長月の髪や肩がまだらに濡れていた。いつの間にか、降り出していたようだ。

「どうしたよ、こんな天気の日に」

 手近な場所に置いてあった手ぬぐいを渡しながら、雅楽代は怪訝そうに眉を上げた。

「ん。こんな天気の日なら雅楽代おまえ、外に出る気になるかと思ってさ」

「?」

 ごそごそと長月が背負った鞄から何かを取り出すのを、雅楽代と二藍は静かに見守った。

「生憎の雨だが、花見酒飲まねぇか」

 にかっ、と長月が笑う。

 その手には日本酒の瓶と、五枚の花弁がついた桜の花が二つ乗っていた。

「あら素敵」

 とても楽しそうな二藍の声が応じる。対して雅楽代は、面食らったように桜の花と長月の顔を見比べた。

「ね、そんなに悪いものじゃないでしょう」

 したり顔の二藍が雅楽代の顔の近くに泳いできた。

 するとふい、と顔を背け照れ隠しでもするように、足早に雅楽代は台所へと酒盃と小皿を取りに行った。

 後ろで二藍が何か言ったような気がしたが、雅楽代はあえて無視した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る