【2月刊試し読み】タクミくんシリーズ完全版11
角川ルビー文庫
風と光と月と犬
「いまはむかし、たけとりのおきなといふ、いうもの、ありけり。……んーと、のやまにまじりてたけをとりつつ、よろず? よろづ? ――ず? のことにつかいけり。なをば、――なをば“讃岐造麿”? この字、讃岐うどんと同じだからさぬきでいいんだよな? えーっと、さぬき……つくりまろ? ろ、は違うか。つくりま? 合ってんのかな? わかんないけどいいや。さぬきつくりま、となむ、なん? いひ? あ、これはあれだ、いいける、だ」
そこまで読んで、しばし休憩。
……ちょっと疲れた。
「これでまだ本文、たったの二行っすか」
挫けそうだ。先の長さに。
いろんな意味で敵はデカイぞ!
まったく人影のないガランとした学生ホール、空にはやや西へ傾きかけた真夏の太陽が、傾きかけたとはいえ容赦なく照っているのだが、出入り口を始め、窓という窓をすべて開け放すと涼しい風が縦横無尽に通り抜け、まさに冷房要らずであった。
本日は夏休み唯一の登校日、午前中にはすべての日程が終わり、学食で昼食を済ませた後、皆、三々五々実家へ戻ってゆく。引き続き学校に用事のある生徒を除いては。
用事のあった生徒のひとりであるところの真行寺兼満は、なので今、誰もいない学生ホールを貸し切り状態で好きな椅子に腰を下ろし、登校日なのにもかかわらず(むしろ、登校日だからこそなのか? このタイミングで返却してもらおうとの遅延常習犯対策の為?)開いていた図書室から借りてきたばかりの『竹取物語』の原文の本を、テーブルに開いて読んでいた。
「そのたけのなかにほん、あ、もとだ。もとひかるたけなむ? なん? ひとすじありけり。あやしがりてよりてみるに、つつのなかひかりたり。それをみればさんずん、三寸って何センチくらいだろ? 十センチとか十五センチくらいかな? さんずんばかりなるひと、いとうつくしうていたり。――いと? いとは習ったぞ。なんだっけ、いと。糸? 意図? イト。そうだ、非常に、だ! 非常にうつくしい子がそこにいましたよ的な? だな。おきな、いふ、いう、やう? ――やう? よう? いうようなんてヘンだもんな。いうやうでいいや。――いうやう。『われあさゆうごとにみるたけのなかに、おは、おわするにてしりぬ。……おわする? にてしりぬ? にて。煮て? 煮ないか。しりぬ、尻ぬ。――ないな。こになり、……あれ? 給料の給って一文字だとなんて読むんだっけ? やばっ、度忘れした。いいや。きゅう、ふ? べきひとなめり』? なめり? ――ううう」
む、難しい。
なんだこれ。日本語なのに、ちょーぜつ難しい!
自分は生粋の日本人なのに、
「ぜんぜん読めねーっ!」
胸の前で悔しい拳をぎゅっと握る。
やばいぞやばいぞ。こんなんでは、もし仮に自分がうっかり過去へタイムスリップなどというものをしてしまった日には、時代によっては同じ日本なのにまるきり言葉が通じない、とか冗談抜きでありそうだ。
「うわ。洒落になんねー」
想像しただけで情けない。
こうなったら、間違ってもうっかりタイムスリップだけはしないよう気をつけねばっ!
「……うちの中学、古文『平家物語』だったもんなあ」
しかも抜粋。祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり、の辺りをうろうろ。「誰かが『竹取物語』中学で全文やったって言ってたから、てっきり簡単なのかと思ったのに」
違うじゃないかーっ! 中学生でこれ全文なんてありえないって! あいつ、絶対吹かしたなーっ!!
近所迷惑(?)にならないよう、心の中で雄叫びを上げる。
それにしても。単に文字を追うだけでもこんなに四苦八苦してしまうのだ、解釈まで求められたら――、
「……無理だ」
その領域へはとてもじゃないが辿り着けそうになかった。のだが、今回は、そこへこそ辿り着かねばならない、ような、気がする。……気がする。……気がする。
くっそー、頑張れ俺、負けるな俺!
どんなに意味不明でもとにかく読もう。最後まで、読もう!
気合を入れて、続きを読む。
「とて、てにうちいれていえにもちてきぬ。つまの、――なんだこれ。妻? の? パス! にあずけてやしなはす。やしなわす。うつくしきことかぎりなし。いとおさなければかごにいれてやしな、ふ。う。やしなう! ――よし!」
「頑張ってんじゃん、真行寺」
ひょっこり声を掛けられて顔を上げるとそこに、鼻と鼻が触れそうなほどの近距離に、とてつもなく整った顔があった。思わず、つい、びくっと後ろに退がってしまうくらいの、やたらと破壊力ある美貌の持ち主の、
「ギ、ギイ先輩!!」
こと、崎義一。
いいいつの間に学生ホールに!? いつの間に入って来たのだ!? てか、いつからここに!? こんな間近に!?
咄嗟に周囲を見回して、他に誰もいないことにちょっとだけホッとする。でもギイ先輩しかここにはいなくとも自分はそんなこんなの醜態を晒してしまってうわわわわで、おまけにこの距離。いろんな意味で動揺する。
「おいおい。幽霊か強盗にでも遭遇したようなその反応、いい加減にしろよな」
ギイは呆れたように苦笑して、「なあ真行寺、なんで毎回、オレが声を掛ける度にびくっとするんだよ」
と訊いた。
「や、あの、それはっすね――」
今日に関してはいろいろだが通常の場合、答えはひとつだ。
真行寺の精度の大変優秀な美的感覚が原因なのだがその辺り、本人がきちんと認識していないので言葉にならない。しどろもどろでぐずぐずと、えーと、えーと、を繰り返す。つい一昨日まで九鬼島で一緒にいたおかげでかなりの免疫がついたのだが(なにせハイタッチまでした仲なのだ! それを今朝、教室で同級生たちに散々自慢しまくりまくったのだ! そして狙い通りに羨ましがられまくったのだ!)なのにそれらをきれいになかったことにしてしまうこの距離の近さ! 目の前! 顔、近過ぎ!
オカシナ下心なんかこれっぽっちも持ち合わせていないのに、この人の外見は大変に目に眩しい。そしてそれはおそらく美的感覚の精度が多少鈍い他の生徒だったとしても、似たようなものであろう。
どんなに待ってもセリフがえーとから先に進みそうにない真行寺へ、
「ま、いいか」
ギイはからっと笑うと、「それ、『竹取物語』の原文だろ?」
と、テーブルに開かれた本を示した。
「あっ、そうっす。今度の文化祭の対抗劇の、っす」
答え易い質問に、はきはき真行寺が戻ってきた。
滅法現金な祠堂の生徒が賞品が出るわけでもないのに毎年、血道を上げてバトルを繰り広げている、文化部の有志と運動部の有志とで行われる演劇バトル。
「聞いてるぜ。真行寺、運動部なのに文化部のメンバーなんだよな」
「そうなんすー。おかげでもお、大変っすー」
表面上は穏やかなれど、そうと決まった日からそれは静かに静かに静かに運動部の先輩たちから(所属している剣道部だけでなく他の運動部の先輩たちにまで)圧をかけられているのであった。三洲から劇に出るよう言い渡された時、きっちりキモチの覚悟はしたが、それにしても元はと言えば昨年の先輩(じぶん)たちの悪行(?)が原因なのに、真行寺は単にその尻拭いをしている(させられている?)だけなのに、裏切り者扱いはあんまりだと思うのだ。ものすごーく、理不尽だ。
そして、夏休み唯一の登校日である本日を境に本格的に劇の練習がスタートしたのだが、これから先、新学期が始まって劇の完成度が上がるにつれ、自分への嫌がらせははっきりと表面化するのであろうか。それとも三洲の顔を立て、文化祭が終わるまでは“表面上は穏やか”なままなのだろうか。――どっちだろう?
ああ、どきどき。
「ってことは、なに? 劇、原文なのか?」
「そうじゃないっすけど、ばりばりフツーの日本語なんすけど、劇は時間の関係とかあるんで展開がかなりテキトーになってるって、さっき練習ん時、制限時間とわかりやすさに徹して書いたっていう脚本作った演劇部の三年生と、とはいえもうちょっと原作に配慮した方が良いんじゃないかって主張する他の三年生とで、えらく揉めたんで」
九月下旬の文化祭に間に合わせたくとも、夏休みまでは運動部はインターハイ、文化部もなんとか大会地区予選やら全国大会やらが目白押しで、どちらも劇の練習どころではなく、暦としては八月半ばといえども実質本番まで一カ月を切っている登校日である本日が、ようやく対抗劇の練習の本格的なスタート日なのである。もちろん、この日までに各自きちんとセリフを覚えて来ること、という宿題が課せられているのだが、何事も始まってみないとわからないもので、
「方向性の違いで揉めたんだ?」
「そうなんすー」
すべての用事を終えて、昼食後、午後イチから行われた初めての練習。
運動部の先輩たちとは好対照、文化部の先輩たちに真行寺は満面笑みのウエルカムで迎え入れられ、しかも前評判通り真行寺はセリフの覚えは大変よろしいので(幸い帝はそんなにたくさんのセリフがあるわけでもないので)それらに関しては特に問題はなかったのだが、初回なので集められたのは主要メンバーのみ、いざ劇の体裁を整えつつ皆で合わせてみたところ、脚本に御満悦の演劇部を横目に、見学していた演劇部ではないその他文化部三年生からなんだこりゃとの駄目出しの嵐。文化祭までに時間がないので皆、真剣! それが裏目に出たのかもしれない。双方主張を一ミリも譲らず、散々揉めまくった揚げ句、練習が途中でお開きになってしまったのだ。
「解散っ! 今日はもう終わりっ!」
と。
練習が始まって一時間も経ってなかった。
予定では五時頃に終わるはずだったので真行寺は六時台のバスで帰宅するつもりでいたのだが、おかげで全然予定と違ってしまった。かなり早めのお開きだ。予定よりもこんなに早く終わってラッキー。と、そのまま帰ってしまっても問題ないと思われたのだが(おそらく他の出演者たちは帰ってしまっているだろうし)、――考え直した。
どうせ夕方に帰るつもりでいたのだ。三年生たちがまだ揉めているのか、どうにか解決したのかはわからないが、あの先輩たちのことなのでまたひょっこり呼び戻される可能性がないとも限らない。祠堂の場合、生徒はケータイを持っていない前提なので(現在は夏休み中なので、校内では使わないとしても携帯している生徒はいそうだ)電話がかかってきてまで呼び戻されることはないだろうが、まだ残っていたならこれ幸いと、“校内放送で再集合”の可能性は大いに残されていた。
ということで、当初の予定の時間まで学校にいることにした。となると数時間あるのでそれならばと、図書室へ行って本を借りてきたのである。
「そうか。劇の中心人物である御門としては、脚本がどうなるとしても、原文も読んでおこうと思ったんだ?」
「ややや俺は劇の中心人物じゃあないっすけど、――えと、まあ、そんな感じです」
原文を読んでおけば双方の言い分が自分にも少しは理解できるんじゃないのかなあ? と、ちらっと思った。が、甘い考えだと、すぐに気づいた。
現在やや、……かなり、後悔中。
「ふうん」
ギイが頷く。二度、三度と。
――ちゃんとしてるなあ、真行寺。発想がホント、健全だよな。
真行寺兼満。剣道部に在籍する二年生で、我が愛しの恋人葉山託生情報によると、筋金入りのおばあちゃん子で、外見そのままのさわやか好青年である。その真行寺が、柔和で人当たりの良い、常ににこにこしていながらもその実、屈折率の半端ない、祠堂屈指の切れ者で生徒会長の、これまた託生情報によれば(周囲にはそうとあまり認知されていないようなのだが)潔癖症の傾向のある、人とあまり直に接触するのを好まない三洲新と(恋人同士などではなく飽くまで体だけのつきあいと本人たちは言うのだが、だけ、かどうかは措いといて、というか、むしろ、他人との直の接触をあまり好まない三洲とどうやって肉体関係に持ち込めたのか、そういう意味でも)実質つきあっていることが、不思議と言えば不思議であった。
こんなに健全な真行寺と、あんなに(ある意味)不健全な三洲との組み合わせ。非常に可笑しな組み合わせと思うのだが、似合わないかと訊かれたら、存外、そうでもない印象。
さておき。
「さぬきのみやつこ、だよ、真行寺」
ギイが言うと、
「――はい?」
真行寺がポカンとした。
「冒頭に出て来る翁の名前」
ギイは細長い指で開かれた本の一部を指すと、「“讃岐造麿”は、さるきのみやつこ、さかきのみやつこ、諸説あるが通例として、さぬきのみやつこ、と、読むんだ」
「ええええーっ? そうなんすか? さぬきはともかく、のみやつこ?」
造麿の、どこをどう読むと、のみやつこ?
わからない。ホントーにっ、わからない!
ハッ!! てかつまり、ほぼ最初から見られてたのか俺のしゅうたいっ! 恥ずかしーっ!
ふたつの意味で頭を抱える真行寺に、
「終わりまで読んでやろうか?」
ギイが言う。
「え。マジっすか?」
地獄に仏? じゃない、渡りに船?
俺、さくっと復活?
読んでもらえたら非常に助かる。が、
「あ、でもギイ先輩、用事とか――?」
葉山サンと約束がある、とか……?
遠回しに訊いてみる。
『別にギイとはつきあってないよ?』
と、必ず葉山サンが一所懸命に否定するから。
きっと誰も信じてないけど(申し訳なくも真行寺も信じていないが)葉山サンが毎回必ず訂正するので、尊重してみた。なにせ葉山サンこと葉山託生には、真行寺は一方ならぬお世話になっているのである。この世で唯一、三洲とのことを大っぴらに話せる相手であるだけでなく、彼が温室でバイオリンの練習をしているのをいつでも自由に聴きに行って良いことになっていて、しばりのきつい高校生活を送るのに、なにかにつけて癒されたり癒されたり癒されたりしているのであった。
それにしても。
葉山サンとギイ先輩、夏休みもずっと一緒にいて、ばりばりつきあってるのにつきあってない設定とか、なんでそんなメンドクサイことしてるんだろう? もし自分なら、三洲とつきあってなくても(許されるなら!)つきあってますと言い触らしたい。そうして周囲を牽制して、誰も三洲に近づけたくない。独り占めしたい。無理だとわかってるから余計にそう思うのかもしれないけれども。
質問の裏の真行寺の配慮に気づいてか気づいてないのか、
「一通りやるべき事は全部済んで、夕方までは時間があるんだ」
さくさくとギイの話は進んでゆく。「とはいえ、最後まで読むとなるとざっくり一時間はかかるかな? どうする、真行寺?」
おおお。一時間もギイ先輩を独り占めしてしまえるなどとっ! こんなことが人生に起きるなんてーっ!
なんの支障もないならば、
「よろしくお願いいたしますう」
誰が遠慮なんかするものかっ!
真行寺が両手で恭しく本を差し出すと、くすくすちいさく笑いつつ、フランスの血が四分の一入っているとの噂の、アメリカ生まれでアメリカ育ち、祠堂にははるばる海を渡って留学してきたというつまりは外国人である崎義一は、真行寺の隣の椅子に軽やかに腰を下ろすと(椅子の座り方ひとつとってもカッコイイよな!)受け取った本をすらすらと、原文ままの『竹取物語』を(しかも解釈付きで)読んで聞かせてくれたのであった。
――完っ璧。
天は二物を与えないと言うが、そんなの嘘っぱちだ。二物どころか三つも四つも五つも六つも大盤振る舞いで与えられちゃった人が、今、目の前に。
読み聞かせてもらっただけなのに(読み方が上手くて解説が的確で声まで良いときて)映画を一本観たくらいの充実感があったりして。
「ギイ先輩、俺、かーなーり、目から鱗なんすけど」
かぐや姫の知らなかった新事実(?)が続々と。
いろいろびっくりではあるが、細かいことはさておいて、最も驚くべきは、目の前のこの人がアメリカ人で留学生、ということではあるまいか?
「もしかしてアメリカの中学でもやるっすか? 日本の古文」
そんなわけないよな、と、思いつつも、訊いてみる。
「やらないよ。個人的な趣味で何作か読んでたうちのひとつだよ」
「趣味っすか!」
趣味で読むのか? こんなのを? すげっっっ。「俺、日本人すけど、難解で降参っすよ」
「祠堂の古文は『徒然草』とかだものな。存外一番有名と思われる『竹取物語』が、なんでか教材に使われる頻度が少ないんだよな」
「ちっさい頃に絵本で読んじゃうからっすかね? ストーリーにむしろ馴染みがあり過ぎる、とか、フィクション過ぎるとか?」
「かもしれないな。よーく読むとヘンな話だからな、『竹取物語』って」
矛盾した部分がちらほらで、かぐや姫が月から地球へ送られた理由にも唖然とするが、まあそれはそれとして。
「でもすごいっすよね。これって千年以上も前に書かれた、日本最古のSFっすもんね!」
「『古事記』や『日本書紀』をSFのくくりにしないなら、そういうことだよな」
「――あれ?」
ふと気づく。「ギイ先輩、もしかして、かぐや姫が月の世界に帰ったのって、今日ってことっすか?」
物語の中に“八月十五日”のくだりがあった。そして今日はなんと偶然にも、八月十五日なのだ!「今日ってことは、今夜ってことっすよね!」
俄然、瞳を輝かせた真行寺へ、
「話の中に出てくる日付は旧暦だから、どうかなあ?」
ギイは首を傾げる、風にする。
「旧暦? すか?」
「今の暦は太陽が中心だろ? 昔の暦は月の満ち欠けを中心にしてたから、そのまんま、というわけではないだろうね」
「そ、うなんすか?」
「真行寺、月の満ち欠けってだいたいどれくらいで一周してると思う?」
「んーと、二十八日? って、なんかどっかで聞いたような……?」
「ああ、二十八日周期のものってあるよな。近いけど、外れ。旧暦は三十日計算なんだよ。現れて満月までが十五日、消えてゆくまでに十五日、で合わせて三十日」
「現れて十五日で満月で、って、あ、それで十五日が十五夜ってことなんすか?」
そうか、それで同じ日のことなのに“八月十五日”と“十五夜”の、ふたつの表記が作中にあったんだ。「八月十五日って、つまり八月の十五夜のこと、なんすね!」
「そういうこと」
「おおおおっ! じゃ、かぐや姫は十五夜の満月の日に月の世界へ帰ったっすね! 満月に月に向かって、とか、すっげ絵になりますよねっ!」
絵本で、満月に向かって列成して牛車や人が上がってゆくイラストを見たことはあるのだが、都合の良いただのドラマティックな演出かと思ってた。
「正確には十五夜なのに満月じゃないこともあるけどな、一応、そういうことだよな」
「あ。――今夜は満月じゃあ、ないっすもんね」
「昨夜の月は三日月だったな」
ギイが言うと、真行寺は大きく頷いて、
「けっこうひょろっと細い月でした」
ああ残念。昨夜、登校日の準備をしていた時、実家の自分の部屋の窓から見えてた月は、満月までにはけっこう日にちかかりますけど? な、月だった。
「しかも旧暦は、たいてい一カ月くらい後ろにずれてるんだ」
「後ろっすか? ずれるって、八月って書いてあったらつまりは九月とかですか?」
「そういうこと。九月や、年によっては十月とかかな。多分、本番あたりがちょうど十五夜だよ、真行寺」
「へ? なんのっすか?」
「文化祭の劇の本番、九月最後の日曜日あたりが、今年はちょうど旧暦の八月十五日、十五夜だよ」
「ホントっすか!? わわわっ、それ、すごいっすね! 偶然にしてもすごいっすね! 本番がドンピシャなんて、今夜が十五夜ってゆーよりドラマティックっすね!」
感激しつつ、「それにしてもギイ先輩、旧暦にも詳しいって、それもすごいんすけど」
旧暦の詳細も然ることながら、今年の旧暦八月十五日がいつなのかがさらっと出て来るって、この人のアタマの中、どんだけ情報が詰まってるんだ!?
「たいしたことないよ。伊豆の九鬼島、あそこ、干潮の時には島から伊豆半島まで歩いて渡れるだろ?」
「あっ、はい、でした」
青い海から現れる白い道。真行寺は降り立ったことすらないのだが、ギイ御一行様たちは島まで歩いて渡ったらしい。――ちょっと、羨ましい。
「渡るタイミングを確認するのに日毎の潮の満ち引きを調べていたら、潮の満ち引きってつまりは月のあれこれだろ? で、その時に朔や晦日の月とか満月のそんなこんなのデータも一緒に目に入って、たまたま覚えてたってだけだよ」
ざっくりした説明なれど、ギイ先輩はルックスがイケてるだけでなく半端なくアタマも良いと聞いているので、――こーゆーことなのか、と、理解する。
「なんとゆーか、あれっすよね、ギイ先輩って、かぐや姫みたいっすね。――あ! もちろん罪人とかは抜かしてっすよ!」
ひっくるめての、真行寺の素朴な感想。
なにせ『(三寸ばかりなる人)いと美しうて居たり』で、且つ『美しきこと限りなし』であり、尚『この兒の容貌清らなること世になく、家の内は暗き處なく光滿ちたり。翁心地あしく苦しき時も、この子を見れば苦しき事も止みぬ、腹立たしき事も慰みけり』なのだ。かてて加えて『車に乘りて百人許天人具して昇りぬ』とくれば、もう。
光を放つような存在感。この世のものとは思われぬ美貌。泣く子も黙る(?)厚い人望に、常人には持ち合わせない能力(頭の良さ)や、極め付け、かのFグループ御曹司という、庶民な自分たちからすれば地球人と月の人と同じくらいの“住む世界の違い”。
「そうか?」
絶世の美男子は、だが、意味深長にニヤリと笑うと、「真行寺のことだからてっきり、かぐや姫は三洲なのかと思ってたよ」
さらりと続けた。
はっ! ――言われてみれば。
「そそそそうっすね」
どんな求婚者にも冷たくて、誰にも気持ちを預けないところが、確かに実にそれっぽい。それに、確かに、アラタさんはキレイ。
ギイ先輩が太陽のような眩しい美貌の持ち主だとしたら、アラタさんは対照的な、月の光のような静かで冴え冴えとした美しさがあると思う。
それになんたって、三洲新→ミス・アラタ→アラタ・ミス→アルテミス、と、英語読みに則ると途端に月の女神と名前がちょー近似値! となるのである。月の光のような、とは、我ながらなんて言い得て妙なのだ!
密かに悦に入っていると、
「真行寺は、三洲のどんな所が好きなんだ?」
真行寺で三洲、とくれば百パーセントからかわれるのがオチなのだが、からかいや興味本位というよりも、と、普通に訊かれて、
「難解なトコとか含めて全部っすけど!」
素直に溌剌と答えてしまった。
「真行寺の言う全部は深いな」
美男子が笑う。――途端に、ぱっと光が散る。――ああ、眩しい。
でもようやく少し(この近距離でも)目が慣れてきた。
誉められて、照れてしまうが、
「深くはないっすよ、ぜんぜん」
謙遜でなく、言った。
むしろ至極シンプルだ。
アラタさんが好き。彼の、どこもかしこも、全部好き。
ギイ先輩には、その迫力ある美貌に気圧されるようにドキドキするが、アラタさんの場合はそうではない。
好きだから、ドキドキする。
惚れた欲目でなくて綺麗と思うが、チラリと視線を向けられただけでドキドキするのは、自分の中で彼がとってもとってもとってもとっても特別だからだ。
【2月刊試し読み】タクミくんシリーズ完全版11 角川ルビー文庫 @rubybunko
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