(3)少女デストラクション
某県在住楢原メイ氏十七歳職業高校生には、テレビの中のテロップに綴られるだけの、明確な殺意というものがあったのです。
ぼくという人間が世間に報じられ、明け透けに解体された時、きっと殺意を抱くに至った要因が、
たとえば家庭内の不和。
たとえば反社会的人格障害。
たとえば、一年前に起きた家庭内での
「そりゃそうやろ。心臓が見つからんかったら死ぬわ。あのガキも気の毒やな」
コウくんはにべもなく、吐き棄てるように言った。
炒飯の山を胃の中に収め、皿の上の米粒を、器用にレンゲで掬っている。百姓八十八の手間だとか、ああいったありがちな説示を添えて、幼い頃から厳しく躾けられたからだ。
ぼくが作ったご飯だから、そうやって綺麗に食べてくれるのは嬉しい。とても嬉しいよ。
コウくんは手がつけられない不良少年だけれど、ふとした瞬間に見せる変わらない一面に、ぼくはついつい可愛いなと思ってしまうわけです。
パパとママにとっても、コウくんは難しい時期でしょう。それでもこの子は大丈夫だと、ぼくは根拠もないけれど思います。
だけど、だけどぼくには、パパとママには秘密にして、ずっと抱えていなければならないことがあります。
一年と六ヶ月前、ぼくが高校一年生で、コウくんが中学二年生の時、ぼくがコウくんに羽交い締めにされて押し倒され、彼が持っているありったけの力で抑え込まれて、犯されかけたこと。
「気の毒だなんて思うんだね」
「……まあ、ガキは別に悪いことしてないしな」
と言うコウくんは、あの日
けれど、コウくんはあの日のことを少しでも考えたことがあるだろうか。
ぼくは家でこの顔を見る度に、あるいはコウくんが立てる生活音を聞く度に、思い出さずにはいられなくなるのだ。
首筋を撫でる荒い鼻息を。痣が出来るくらい、強く握られる痛みを。重くのしかかる体温を。
全て鮮明に思い返すことが出来るし、ぼくはコウくんがしでかしたことを許すつもりもない。
「なんだよその目は。なんか文句あんのか」
「…………」
それでも今までどうにか上手いようにやってきた。
パパとママにも気取られないように、極自然に、成長期を経て大きくなったコウくんに対して、男性的な威圧感を見出して恐れている風に、装ってきた。
それなのにどうして今更になって、沸々と殺意が湧き上がってくるのだろう。
順当に行けば明日には朽ちるであろうこの身体が、心が、もうぼくの手には負えないところまで行ってしまいそうだった。
どうせ明日死ぬのに(生きていたらどうしよう)。
どうせ過ぎ去ったことなのに(また襲われたらどうしよう)。
生唾が喉を通り抜ける音が頭に響く。
ぼくは、コウくんにどんな言葉を投げかけたいのだろうか。
ぼくは、ぼくは――
「んーん、お皿片付けとくね」
声が震えてしまいそうだった。努めて平静を装って、テーブルの下で自分の太ももを抓る。
立ち上がると、自分の膝が震えていることに気付いた。
震えをコウくんに悟られないように、やや駆け足気味で台所へ。
皿をシンクの中に放ると、水切り棚で寝そべった鈍色の刃が目に入った。
先程玉ねぎを微塵切りにしたばかりの包丁は、透明な水を帯びててらてらと笑う。
ちょうど誂えたようなその輝きに、ぼくは目眩がしそうになった。
柄の感触を確かめるように包丁を握り締める。それは冷たいはずなのに、ぼくにとっては火傷しそうなくらい熱い。
どうして今更になって、沸々と殺意が湧き上がってくるのだろう――
そんなこと、分かりきっている。
ぼくは日付が変わると同時に死ぬかもしれない。それは今日じゃなくても同じことで、ただ、無視出来ない可能性を纏って顔を出した死の恐怖が、全てめちゃくちゃに壊してしまえと囁いているのだ。
余命宣告を受けた病人が失望の末に多くの人を道連れにするだとか、そんなあまりにもチープな暴力は、グランギニョルの中にしか無くて、自分自身、こんな分かりやすい動機に焚き付けられて、殺意を燃やしていることに驚いている。
包丁の腹に映るぼくの目。ヘンリー・リー・ルーカスとお揃いかしら、なんて。
「ねえコウくん」
握り締めた包丁を、プラスチックのまな板に落とす。切っ先が突き刺さり、真っ直ぐ着地した彼は誇らしげ。
ぼくが帰ってきてから二本目の煙草に火をつけながら、コウくんは首から上だけをぼくに向ける。
「ぼくが明日死んだら、どうする?」
火をつけたばかりの煙草は、火種が弱過ぎたみたいで、コウくんの指に挟まれたまま燻っている。
「なんで死ぬんや」
「なんででも」
ぼくが突き返すと、コウくんは怪訝な表情を浮かべて腕を組んだ。ろくに学校も行ってなくて、運動なんて全然していないだろうに、その腕は丸太みたいに太い。
きっとその気になれば、ぼくの首なんてぽきんと圧し折ることが出来るだろう。
いつでも自由にぼくを犯せる君は、ぼくが死んだらどうなるの?
「やっと死んだなって思う」
辿々しく、言葉を選ぶような調子で――
あまりにも無情な一言は、疑いようのないくらい純粋な真実味を帯びていて、ぼくは震える膝で自分を支えることすら、辛くなってきた。
「なあ」
いつもなら我が物顔で家の中を闊歩する彼にしては珍しく、上目遣いで、訝るような表情。続く言葉を、ぼくは聞きたい?
「ねえちゃんさ、なんでそうやってへらへら生きとられるん」
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