十七時〇〇分
(1)駆け抜け一生
楢原メイという人間、つまりぼくについてのあれこれ。
平凡な女子高生と言ってしまえば、その一言に尽きるのだけれど、それで片付けてしまうのは、きっと今まで生きてきた十七年間に対する冒涜なのだろう。
ぼくは生まれたての妄想の、おぼろげな部分を埋め立てるように、十七年間の欠片を拾い集める。
家族は四人構成。パパは土木作業員で、ママは駅前の弁当屋でパートをしている。
決して裕福とは言えないのだろう。
ぼくが流行り物に疎いのもあるけれど、ぼくが巷で流行っている女子高生のシンボルアイテムを手にするのは、決まってその輝きが褪せて、誰もが新たな光を見い出しつつある時だった。
最新のスマートフォン然り、メディアに取り上げられている便利コスメ然り。
それに関してぼくはあれこれと愚痴を零すつもりは無い。
よそはよそ。うちはうち。と、ママはぼくが幼い頃から耳にたこが出来るくらい言ってきた。
強いて家庭環境に、ぼくから文句をつけるとするならば、粗暴な弟の存在だろう。彼は、コウくんという。
ぼくと二つ違いの弟なのだけれど、彼は……俗な言い方をするならば、不良というやつなのだ。
小学生の頃は
コウくんが不良になったきっかけとして思い当たるのはそれくらいだ。
背伸びをしたがる好奇心旺盛な中学生の多くが、そうやって道を踏み外すように、コウくんも、これといった考えを持たぬまま流されて道を誤った。
少なくともぼくには、そのように見えた。
やがてろくすっぽ学校にも行かなくなり、彼は一日一箱の煙草と、三食のご飯を消費する(どうやって煙草代を捻出しているのかは知らない)不登校児になった。
自室にこもるか、外で悪い友達と遊びまわっているぶんには構わないのだけれど、ぼくは家の中で、不意に彼の傷みきった金髪を見るたびにひやひやするのだ。
歳下とはいえ、コウくんは男の子。
もしも彼の虫の居所が悪くて、その鬱憤をぶつける対象に、ぼくが選ばれたら……ぞっとする話だ。
何も悪いことをしていないのに、ぼくは心のどこかで、彼とすれ違うたびにごめんなさいと謝っている自分に気づいていた。
そのような自覚が芽生えたのは、コウくんが中学二年生になってすぐくらいの頃だった。
当然そうやって過ごしていると、家の中でも軽微なストレスが積み重なってゆく。
流行に疎いぼくでも、それゆえになぜか周りに気を遣わせてしまっている残念なぼくでも、愛していると抱き締めてくれる人がいた。
彼の名前は、
ぼくは彼との交際を、高校一年生の秋からおよそ半年間続けた。彼のことは、シンちゃんと呼んでいた。
シンちゃんは地元のフットサルチームに所属していて、隔週で土日は汗を流していた。
ぼくも何度か差し入れを持って応援に行ったことがあるが、その都度チームの人たちにいやらしい目で見られるのが嫌だった。
お別れの原因はそれではないけれど、もしかしたら要素の一つだったのかもしれない。
ぼくたちは互いに、同じような歩幅で心に距離を置いて、示し合わせるでもなく、自然と連絡を取らなくなっていった。
燃え上がるような恋心に灰を被せる時、ぼくたちは確かに通じ合っていたのだ。
「別れようか」彼が言う。
「分かった」ぼくが言う。
自分たちの別れを、ぼくはそのように記憶しているが、人並みの感傷に浸ったその時の涙の温度は、もう覚えていない。
ぼくの中に残っているのは、失恋のやるせなさという過去の事実だけだった。
つまりぼくは、自分でこのような評価を下すのは気恥ずかしい話だけれど、少しアンニュイな人間なのだと思う。
青春と呼ばれ羨望される、輝かしい時の真っ只中を生きながら、一分一秒が過ぎ去るのを、じっと待っている。
歓喜を、憤怒を、悲哀を、愉快を、時が持ち去ってしまった後の更地を歩きたくて、じっと、じっと待っている。
▼
血が干上がるくらい汗が噴き出てくる。
何度額を拭えど、汗は睫毛の隙間に引っかかって瞼に染みる。
男の子が通り過ぎたカーブを駆け抜けて、ぼくは膝が割れるんじゃないかってくらい、思い切りアスファルトを蹴った。
彼の後ろ姿はすぐに見つかったけれど、ぼくたちの間にある隔たりは一向に埋まらない。
振り返る様子もなく淡々と走り続ける彼の後ろ姿が恨めしい。
「待ちなさいってば!」
こんなに大きな声を出したのは、いつぶりだろうか。
足の裏が張ったような痛みも、脇腹の痛みも、口の中に籠った熱も、全てが新鮮で、自分のものじゃないみたいで――
小川に架かる橋を越えて、細道を抜けて、両脇に田んぼを見据えながら、
誰かに助けを求めようとも、こんな田舎の誰も知らない道。人っ子ひとりいやしない。
やがて、男の子の背中の向こう側に、団地に繋がる道を見つけた。
このまま追いかけ続ければ、ぼくの日常の舞台とも言える見慣れた街並みに辿り着く。
もう少し、もう少し。
塊のような息を吐いて、冷たい空気をうんと飲み込む。
頭の中がかあっと熱くなるような気がした。
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