続きはいつもの箱庭にて。

宮島奈落

第1話

打ちっ放しのコンクリート。

目が眩むようなライト。

肋骨に響く振動。


充満するタバコと酒の匂いには少しだけ手の届かない、18歳の僕。


喧騒が取り巻いた、ある夏の夜のこと。


世界の全てに、僕は出会った。








「で、どーよ。手応えは」

Developのボーカル、吉沢は客の引いた閉店間際のライブハウスの中でメンバーに問い掛けた。

「…まぁ、わかりきってるか」

最近名を上げ始めたバンドのツアーの前座の1団体として呼ばれたDevelopだったが、出番になった途端に客が引き始めたことで、彼らは「実力不足」という烙印を無言で押された。

大トリのバンドの盛り上がりようを思い出すだけで目の前の壁にある自分達のポスターを破り棄てたい衝動に駆られる。

「残ってくれたお客さんは楽しんでくれてたよ」

だけど、と、ベースの国原が続ける。

「満足は出来ない、かな」

大きく頷きながらドラムの永井が引き継ぐ。

「これが初ライブならまだしも、一応もう3年もやっててだろ。そろそろ挫けそうだ」

は、と吉沢が溜息を一つ吐いて、その日は解散することにした。




バンド名は「Develop」

意味は、「発展途上」




ーいつまで続くんだろうな、俺らのdevelopは。

いつだったか、永井がそう零していた。

ー途上、なんだから発展はしてるんだろ。大丈夫大丈夫。

国原はそう笑っていたが、吉沢は何となくお茶を濁すように苦笑いをしただけだった。

あの日以来、永井の言葉が頭に木霊するようになったのだ。



いつまで続けるんだよ、develop。



いや、永井はそうは言ってはいない。



思っているのは、俺の方だ。





帰りの電車には、帰宅するサラリーマンや学生達がひしめき合っていた。

スマホや本、友人との語らい。

誰も吉沢とギターに目を向けない。

まぁ、当たり前だけどな。

内心で苦笑いながら、吉沢はスマホを取り出し、イヤフォンを耳に嵌めた。

目を閉じて、ボリュームを上げる。

18歳の頃、出会って以来ずっと聴き続けている大人気バンドの曲だった。

あの時はまだ名も知られていなかったのにな、と何となく感傷に浸りながら、幾度も聴き直したフレーズを口の中で転がす。



ー革命は君の両耳から始まる。

ーだから僕はイヤフォンのボリュームを上げる。




3年前のあの日、吉沢達は大学のオープンキャンパスの帰りに通る駅の近くで、たまたまやっていたフリーダムライブに釣られただけだった。

あのバンドに、出会うまでは。




ライトが照らされ、彼らの姿が目に映った瞬間。

ハウスの空気が変わった。

きりきりと張り詰めていく。


ギターの1音。

マイクが拾った呼吸音。

一瞬のハウリング、そして。



身体を劈くような轟音と共に、叫びが聞こえた。

歌っている。

歌っている、はずだ。

なのにあれは何だ、何なんだ。


ー俺の音を、声を聴け!!


見えない力に自由を奪われたかように、3人はそこに立ち尽くしていた。

打ちっ放しのコンクリートの壁に反響する音が、声が、身体の芯を震わせる。


すげえ、すげえよ、なんだこれ。


掻き鳴らされるギターとベース。

地を這って響くドラム。

全身で声を放つボーカル。


興奮と熱で心拍は上がり、鼓動は増していく。

その心音に呼応するかのように、ドラムは脳髄から芯を震わせ、ギターとベースの旋律は吉沢を引き摺りまわす。


ー俺達の音から逃げられると思うなよ。


そう全身で叫ぶボーカルと目が合ったその瞬間。

吉沢は右手を挙げて、身体を劈く轟音に応戦した。


ライブハウスを出た後、3人は顔を見合わせた。


なぁ。

うん。


その二言で、始まった。

世界の全てに出会った日だった。





終点を告げる車掌の声で、閉じていた眼を開けた。

ギターケースを背負い、駅へ降り立つ。

構内から外へ出ると、大通りを走る車が流れていた。



世界は広い。

現実は甘くない。

そんなことわかってる。

井の中の蛙、ってやつだろう。


だけど、見ちゃったんだよ。


井の中の蛙が、大海を見ちゃったんだよ。

いつかあそこに行けるかもしれないって、夢を抱いちゃったんだよ。


井戸の中でじたばたみっともなく踠きながら、何かの拍子に外に出られるんじゃないか、あの大海原に行けるんじゃないかって淡い期待なんてしちゃってるんだよ。


去って行く客。

見向きもされないギターケース。


ーいつまで続くんだろうな、俺らのdevelopは。


ちくしょう、と漏らした呻き声さえも誰の耳にも届かない。





「俺、思ったんだけど」

スタジオで練習を始めようとしたとき、吉沢は重々しく口を開いた。

「次のライブで上手くいかなかったら、Develop解散にしよう」

しばらく沈黙が続いたあと、永井が溜息をついた。

「ま、そろそろ現実見なきゃなぁ」


現実。

大学生も終わりに近づき、就職や進学の為の準備もしなければならない。

周りはどんどん先へ進んでいく。

それぞれの進路を決めていく。


ーこのままだと、置いて行かれる。

そんな焦りが付きまとう。


反論はなかった。

少しだけ、国原が考え込むような視線を見せたが、すぐに頷いた。

「じゃー、次のライブが正念場か。背水の陣だな、頑張んないと」

そう言って、にかっと歯を見せた。


その日の練習は何故か今までで1番滞りなく進み、次のライブのセトリをまとめて解散した。





いつものように、誰の視界にも留まらず自室に戻った吉沢はベッドにそのまま倒れ込んだ。


現実見なきゃ、なんて言い訳だ。

怖くなっただけだ。

先が見えない事に怯えて、見える物に縋っただけだ。

踠くことさえ諦めた蛙は、大海に出ることは2度とない。

井戸の中の小さな世界を全てだとして過ごす。


…いいじゃないか、別に。

それが一番だろ、安定した職、人並みな幸せ。

満足だろ。

お前、自分があんな舞台に立てるような人間だと思ってんのか。

諦めろ、無駄だって。


ぐらぐらと揺れる思考に絡め取られて、わざとらしいほどの動作で乱暴に頭を掻いた。

夢一つ、まともに見れねーのか。

「だっせ、俺…」


呟いた声は、反響しても響かない。






ー革命は君の両耳から始まる。

あの日、確かに俺の革命は俺の耳から始まった。

格好良くて、憧れて、同じ舞台、同じ場所に立ちたくて。

音楽って楽しいんだ、気持ち良いんだって全身で知らされて。

気が付けばギターを背負い、マイクを握っていた。


じゃあ、俺は?

俺らは?

革命を起こす道具は何だ?

何で俺はこんなにも格好悪いんだ?


堂々巡りのくだらない自己嫌悪。

吐き出し方もわからないまま、遠ざかる憧憬。

毎日のように聞いていたあの歌も、今日は聞かなかった。








とにかく時間は流れていく。

どんどん日付は近づいてくる。

焦るばかりで進まずに、とうとう歌詞を間違えたりコードを外したりする初歩的なミスを繰り返すようになった。


「なぁお前、やる気あんの?」

ライブに向けての練習中、突然永井がドラムスティックを放り投げて、吉沢に詰め寄った。

「ぼけっと突っ立って、歌う気あんの?」

お前な、と掴みかかる。

まぁまぁ、と国原が間に入り吉沢を振り返った。

「本調子じゃないんだよね、昨日何かあった?」

「甘いんだよ、客からしたらこいつのメンタル不調なんか関係ねぇんだから」

「そうかもしれないけど、…吉沢?」

「……いや、何でもない。ごめん」

そう言いながら強引に笑い、ギターを鳴らし始めた。

「オッケー、大丈夫。もう一回いこう」

「次でうまくいかなかったら解散」

永井が散らばったドラムスティックを拾う。

「お前がそう言ったんだろ。…いしょっ、と」

椅子に座り直して続ける。

「ここが正念場だってわかってんじゃねぇのか。試合放棄してんじゃねぇぞ、そんなんだったら今すぐにだって解散したほうがいい」

ダァーンッとバスドラが鳴る。



反響する。

反響する。



「今のお前さ、めちゃくちゃだっせぇぞ」




わかってる、そんなこと。

俺が一番分かってる。

吐き出せない言葉は唾と一緒に飲み込んで、代わりに少しだけ、マイクの音量を上げた。




握り直したマイク。

残り僅かな日にち。

鳴り響く楽器。

観客はいない。


だっせぇ、俺達。




…吐き出したい。

湧き上がるこの衝動は何だ。


息を吸い込む音がやけに響く。


吐き出したい。

吐き出したい。



ー革命は君の両耳から始まる。

ーだから僕は






「…そうだよ、」

「…あぁ?」


怪訝な永井の顔を見据えて、電源が入ったマイクを握った。

「そうだよ!」

呆気に取られて目を見開く永井と国原。


「そうだよ、俺らはダサくて格好悪いんだよ」


勉強も出来ず働けもせず、楽器ばっかに夢中になってるクソガキなんだよ。

わかってる、わかってる。


ーだから僕は、イヤフォンのボリュームを上げる。


俺の声を聞け、この野郎。



「ダサくて格好悪いクソガキがマイク握って喚いてるんだよ、そんなもんだろ音楽って!!そんなもんだから俺らは今ここに立ってんだろ!?ダサい?情け無い?上等だぁ!!!」



言い切り、肩で息をする吉沢を永井は睨み返した。

「痛い台詞ばっかり吐きやがって、青臭い青春演じてるつもりか気持ち悪い。夢見てんじゃねぇぞ」

シンバルの位置を直し、もう一度睨む。


「てめぇが夢見てどうすんだ。夢、見させに行くんだろうがよ」



呆気に取られるのは吉沢の方だった。


ふはっ、と笑い声が聞こえた。

「いいよ、永井……最高っ……ははは!」

「国原お前なぁ」

「もうほんとそういうとこだよね永井は…ツンデレかよもう可愛すぎっ…あははは!!」


爆笑する国原と照れ隠しに怒鳴る永井を見ながら、吉沢もつられて掠れた笑い声を上げた。


「だけどさ、考えてみろよ」

国原が笑い過ぎて目尻に溜まった涙を指で拭いながら言った。

「『革命』なんてのはいつも最下層のやつが起こすもんだろ?蔑まれて、笑われて、そんな奴らがさ。だからスーツ姿の立派な格好良い大人に、俺らが革命を起こしてやろうぜ。俺らの音を聴かせりゃ勝ちだ。そうだろ吉沢?」


ちょっと吉沢風味に熱く語ってみた、と歯を見せる。


「そうだな」


お前らは、ダサくて熱くて格好良いよ。

死ぬまで言わないけど。


「よし、気合入った。ごめん永井!続けるぞ」

響く楽器と声に混じって、少しだけ震えた。







打ちっ放しのコンクリート。

目が眩むようなライト。

肋骨に響く振動。


充満するタバコと酒の匂いには少しだけ手の届かない、18歳の僕。


喧騒が取り巻いた、ある夏の夜のこと。


世界の全てに、僕は出会った。



そして



世界の全てを、僕は手にする。



下剋上、革命の始まりを告げる。


「Developです!!今日は楽しんでいこうな皆!」



ギターの1音。

マイクが拾った呼吸音。

一瞬のハウリング、そして。





ー革命は君の両耳から始まる。

ーだから僕はイヤフォンのボリュームを上げる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

続きはいつもの箱庭にて。 宮島奈落 @Geschichte

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ