拝啓、魔王さま。我輩…
ナナフシ転倒
拝啓、魔王さま
最初に目についたのは床に描かれた魔方陣。
羅列した記号に付属した文字と、螺旋状に組まれた複雑な模様だが、使用される触媒も、捧げられた生贄もすべてが陳腐なものばかり。形骸化された儀式に用いられるそれらが代わり映えしないのが当たり前なのも、昨今ではマニュアルと言うものがあるらしいからで、我輩を呼び出すために作られたそれは、呆れるほどに馬鹿馬鹿しく形式に則られたものだった。
「我輩に何用であろうか?」
ケープフードを目深に被った人物。仮面をつけ、素顔を隠し黒一色の法衣に袖を通し魔導師然と装ってはいるが、それに騙される我輩でもない。鼻腔を擽る甘く心地よい香り。それは処女であることの証だからだ。その風貌は純潔を守るためであろうか。我輩を象徴する魔女の夜宴は後世においては、淫靡かつ背徳の宴として語り継がれていると伝え聞く。愚策と一笑に伏すべき、涙ぐましい努力だが、それを指摘し動揺させるのも手腕の見せ所と言える。
「我輩を呼び出したのは魔女たるお前であろう。ならば願いを言うがよい。そして我輩にその身を委ねるがよかろう」
出来る限り鷹揚で尊大に、そして大仰と振舞うのも魔女の守護者たる我輩の矜持であり、義務である。その素性は見抜いていると暗に告げたのも、契約とは制約と制限を持って行われるが故に提示される対価を出来る限り高く、あわよくばそれ以上を得るための甘言と虚言そして誘惑を織り交ぜる布石であり、最後は篭絡し堕落させ身も心も全て奪うための策略だからである。魔女でないものが我輩を呼び出すことなど、まずありえぬことだからこそ、有効とも言える言葉繰りである。うむ、後一押しであろう。
「さすれば偉大なる我輩の名の下に、汝に至高の悦楽と加護を与えよう」
「いえ、加護とかそういうのどうでも良いし、その演技も面倒な言い回しもさっさとやめて契約分ちゃん働いてください。バフォメットさん」
ふむ、我輩の耳が少々おかしくなったのであろうか。名を告げる前に名を呼ばれ、悪魔の契約書を出す前に、彼女から契約書を突き出された。
要約、我輩バフォメットは契約者のいう事を聞いて働きます。二年間無償で。バフォメット。
ふむ、我輩は目も少々おかしくなったのであろうか。この契約書を以前どこかで見た気がするのも、何かのデジャヴというものであろうか。
いや、見たことあるのは確かなのである。捺印された我輩の印は紛れも無く本物である。
「やっと呼び出せました。一年分の利子もつけて、ちゃんと働いて下さいね?」
仮面の下の素顔を晒し、彼女が言う。最初に気付くべきであった。その香りが一年前の契約者と同じシャンプーの匂いだという事。その召喚に用いられた部屋の様相が去年から何一つ変わっていないことに。落ち着いて見渡せば、今回は逃がさないとばかりに、幾つもの封印術式も部屋一面に張り巡らされている。転移では逃げられそうにも無く、契約者に手を出すことも制約上不可能であろう。
そういえば………嫌な記憶も蘇ってきたのである………
拝啓、魔王さま。しばらく魔界に帰れそうにありません…彼処。
帰りたいのである……
※なお、続きません
拝啓、魔王さま。我輩… ナナフシ転倒 @shinbeexx
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