Wellbeing

 夕刻に差しかかるというころ、玄関の扉を開けたぼくたちの前に駆けつけてきたユキの反応とその後については、あえて語るまでもないかもしれないが、それはもう爆発的に見事な瞬間だったから、ぼくはこの欲望を満たそうとせずにはいられない。何遍思い返しても、あらゆる種類の情念がそこから見出されるように思われる。つくづくぼくは悪い男だ。この一週間で、何度妹を泣かせてきたかわからないし、反省の色がないと言われても仕方ないだろう。案の定ユキは泣きべそをかいて、かまくらから帰ったあとは、メンヘラのようにうちひしがれてぼくを待ちくたびれていたというが、「ケー兄ぃ!」といぬのように尻尾をふりながら玄関先までやってきたとき、その流れでぼくの隣にひかえているかりんの姿に気がついて慄然としていた。おそらくはあの夜の光景がフラッシュバックしたのだろう。ぼくとかりんは事前の段取り通り、まずはユキを落ち着かせることにしたのだったが。

「で、で、でも、ケー兄、この人……え? なんで? なんでいるの……?」

 やはりというべきか、絵に描いたような困惑を前面に押し出すユキに向かって、かりんは一歩踏み出して言う。

「……かりんです。先日は、どうも」

「おい、言い方に棘があるぞ」

「あれからいろいろありまして、誠に遺憾ながら、こちらでご厄介になることにいたしました」

「おまえやっぱ帰れよ」

「マコトニイカン、マコトニイカン……」

「都合の悪いときだけロボット化するな!」

 眼前で繰りひろげられる漫才を不安げに見ていたユキが口を開く。

「ケー兄……どういうこと? それに、その手……! ど、どうしたの? だいじょうぶ? 誰にやられたの? もしかして……」

 ぼくの左手を取りつつ、隣に立つかりんを一瞥している。

「ああ、このかすり傷か? なんていうことはない。道中ちょっとクマに襲われて、格闘してきただけだ」

「クマ――!?」

 手首の出血はすぐに止まった。ぼくだって致命傷になるほど深く自分を傷つけるほど愚かではない。加減はしっかりとわきまえていた。かりんが応急手当を施してくれたことは内緒だ。

「それはそれはたくましいお姿でしたよ。クマだけに……ひぅっ!」

 無言で後頭部をすっぱたいた。

「とまあ、こんなやつだけど、ユキに何か言いたいことがあるんだって、な?」

「……その前に、観たい番組があるんですが、録画機の使い方を教えてくれませんか」

「うざい」

「直球返しがなんかいちばん傷つきますね……」

「もぉー! なんなの! ユキをほっとかないでよ! 勝手になかよくしないでっ!!!」

「ほらこうなった。どうすんだよ。おまえのせいじゃないか」

「わ、わたしだって、好きでこんなことしているわけでは……」

 収拾がつかなくなりそうだった。

「ああもう……わかった、じゃあ、まずぼくから謝ろう。ごめんな、ユキ。また勝手に家を空けてしまって……実はユキにどうしてもプレゼントを買ってやりたくて、お金を稼ごうとしたんだけど、……うまくいかなかったよ」

「ぷ、プレゼント……?」敏感な反応を示すユキ。

「うん……前にほしがってただろ、スノードロップの耳飾り……。こっそり用意しておけば、よろこぶかなって思ったんだけど……」

 するとユキはうっと声をつまらせ、

「そ、そんなの、いいって言ったのに……」と主張した。

「でも本当はほしかったんだろ?」

「ううん……だって……ケー兄が……。ユキは、ケー兄がかわいがってくれたら、それだけでいいし……幸せだもん」

「ユキ……」

 その言葉をきいただけで、ぼくはここに帰ってきて本当によかった、ぼくの本当の居場所はここだと、心から思うのだった。今までぼくは、自分の勝手な計算で、妹をひとつの枠にはめ込みすぎていたようだ。しかしそれは一種の傲慢に過ぎない。結果的にユキという人間を軽く見ていたということなのだから。

「はいはいラブいラブい」とかりんが口を挟んできた。

「なんだ、ぼくらの愛に嫉妬したのか?」

「いえ、気持ち悪いと思っただけです」

「素直じゃねえなあ……」

「ですから、ツンデレなどではありませんと何度言わせれば気が済むんですか」

「おまえそれが言いたいだけだろ」

「うふふ、おにーちゃんすきすきー」

「急にべたべたしてくんな!」

 あまりにも心が不器用すぎるかりんは、こういうやり方でしか自分を表現できないらしく、ジト目でぼくに抱きつくかたわら、こともあろうに、玄関先のユキに向かって不意に挑発的な視線を投げていたようだった。それでとうとうユキもぷっつん来たらしい。白目をむいて、はだしのままで飛び出すやいなや、ぼくたちの間に割って入り、かりんの身体を引き離す。そしてそのまま部屋の奥へとぼくを引っ張っていこうとするのだが、その程度で屈するかりんではなかった。ぼくはこの歳にして女のおそろしさというものを真に思い知らされることになる。

「どいて! あっちいって! ケー兄をとろうとしないでっ!」

「お兄ちゃんはあなただけのものじゃねーんですよ……っ!」

「勝手にお兄ちゃんってよぶなぁ!」

「お兄ちゃんがそう指示したんです!」

「うそつき! ケー兄がそんなこと言うわけないもん!」

「では聞いてみたら如何ですか? そうですよね、お兄ちゃん?」

 ぼくは二人の少女に見上げられながら、しどろもどろになって弁明する。

「えーと……あのな……これには深いわけがあって……」

「ケー兄はユキのものだよね? ユキだけが妹だって言ったもんね?」

「それは本当ですか? お兄ちゃん、どうなんですかそこんところ?」

 なぜか二人の矛先が自分に向いてくる。

「おまえら落ち着け……痛いから腕を離せ……とりあえずゆっくり話そうや……」

「いいえ、この際はっきりしておくべきです。ここにいる白い冷ややっことこの私、どちらが真の妹たりうるかを!」

「そんなのユキにきまってるよね?」

「いいえ……あなたには『妹力いもうとぢから』が足りません! 器量・品性・発育、どれも全然足りていません!」

「は、発育はユキのほうがあるし! ケー兄、なんとか言ってやってよ! もうこいつ、邪魔!話になんない!」

「そうやってすぐ人の手を借りようとするところが幼稚だというんです! お兄ちゃん! これでご理解いただけましたね? どちらがより奉仕するにふさわしいかが!」

 いいかげん目が回ってきた。

「ま、まあ……? 言っちゃえば全世界の美少女がぼくの妹みたいなもんだし……?」

「ケー兄がヘンになったっ!?」

「いいでしょう……かくなる上は、ここで決着をつけさせてもらいます! 名付けて『北風と太陽の戯れ』! お兄ちゃんの服を先に脱がせたほうが勝利です!」

「……は?」

「むきー! やってやる! ユキの底力をおもいしれ! ケー兄覚悟っ!」

「おいおいおいおいおいおいおいおい」

 気がつけばぼくは、不穏な笑みをうかべる美少女たちに両側からじりじりと追い詰められ、壁際まで後退させられているのだった。

「まて! ケー兄!」

「逃がしませんよ!」

「ぎゃあああああ!」

 ……なぜこんなしょうもないことになってしまったのか、これがわからない。後のことは言わなくてもいいだろう、ハーレムの王の権力により、けんか両成敗という形で決着がついた。二人ともぼくの妹になればよいのだ。しかしぼくの人生のなかでこれほどラブコメらしいラブコメが展開されたのは、後にも先にもこの一回きりしかない。

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