壁越しのピラニックス

@---jmms---

第1話

私は長い間勘違いをしていた。それはそれは長い期間だった。なぜ、このような時間を過ごしてしまったのか。今になってみれば簡単なことだったが、当時の私には難しいことだったのだ。

 あれは何年だっただろうか、遥か昔のことなので正確な年月など、最早記憶してもいないし、そんなものは必要ですらない。当時の地球人の手で私は宇宙に放り出されたのだ。地球人たちはどうやら私を使って実験をしたようだった。

 しかし、その実験は失敗に終わった。なぜなら私はそれから約8億年の時を、この宇宙空間で漂いながら過ごしてきたからだ。

 私は永遠とも言える長い時間をただ、ひたすらに漂い続けた。だが、それでも私は孤独を感じるようなことはなかった。なぜなら他にも同じような運命をたどった様々な奴らがいたからだ。

 私は奴らのことを「奴ら」と表現する。それはなぜか、これも簡単なことだ。奴らは私とは違い、また同じような存在でもあったからだ。

 8億年と言う長い時間を枕にしていると、我々が持っていた、いや、私が持っていた常識などと言うものは、一瞬にして消し飛んだ。それは8億年と言う長いスパンを考慮に入れなくても同じ感覚だった。

 奴らは我々の理解の範疇を超えている。我々が生物と認識しうる対象からは大きく外れているのだ。だが、奴らは私を孤独にはしなかった。ただ、それだけのことなのだ。だから私はそれらをまとめて、「奴ら」と表現する。

 そんな「奴ら」の中でも、割かし我々と近しい存在だった奴がいる。長く宇宙をさまよっていると、宇宙がひどく好きになったり、または嫌いになったりする時期があるのだが、奴との出会いは、私が宇宙を嫌いになった回数から考えて、およそ3万回目ほどのことだった。割りと前半期だ。

 奴は偶然、私を見つけた。奴らとの出会いは、この無限の宇宙から考えたら、全てが奇跡的な偶然と言わざるを得ない。だが、その偶然と言うのは、地球での偶然と、やはり何ら変わりがないのだ。

 出会いは突然だった。宇宙での出会いなどそれ以外ではあり得ないのだが、とにかく奴は私の触角にいきなり触れてきた。

 宇宙での出会いと同じで、実際はそうではないのだが、これは触れると表現する以外にない。

 そして、奴は私の触角を通して、自分の存在を私に直接伝えてきた。言葉でも思いでもない。未だにわからない。だが、そんなことはどうでもよかった。なぜなら奴は私を使ってピラニックスをしてきたのだ。

 これにはさすがの私も驚いた。宇宙をさまよい出してから前半期だったとは言え、私はとうに気の遠くなるほどの距離を、ゆっくりゆっくりと漂っていたからだ。

 その間に幾度となく「奴ら」との出会いも経験してきた。それでも、この奴の放ったピラニックスには腰を抜かすほどの驚きがあったのだ。だから私は奴に言った。伝わるかどうかなど考えていなかった。咄嗟の条件反射のようなものだ。

 「やめろ!」

 奴は急に動きを止めた。動きと表現していいものか迷ったが、やはりそう表現するしかない。そして、奴は言った。そっちこそやめろと。

 私は考えた。奴との間に何らかの誤解があったとしても、所詮「奴ら」の内の一つ。そうであれば、やはり打つ手は一つだった。

 私はこちらから奴の方に向けてピラニックスし返したのだ。奴は突然の事に大変驚いていたようだ。だが、それも宇宙からしたら刹那的な一現象でしかない。

 そして、私は奴と肩を組んだのだ。もちろん共に肩などと言うものはありはしなかったが。以来、奴とは常に行動を共にしている。だからと言って、私が奴を相棒として長い放浪期間を過ごしてきたかと言うと、実はそうでもない。奴は、常にいるのだが、常にいないのだ。

 それはどう言うことか、私は答えを知ってはいる。だが、説明出来ないのだ。非常にジレンマを感じる。この事だけでなく、さっきも言ったように、私は「奴ら」に関する話は、それこそ数えられないほど持っている。しかし、説明出来ない。計算式があっても、数字と言う概念がなければ、足し算も引き算も教えようがない。それと似ている。だから私は常にジレンマを抱えて宇宙を漂っている。

 だが、それが同時に私の生と死についての考えを確固たるものにしてくれるのも、また然るべしなのだから、あながち忌むべきものでもないのかもしれない。最近ではそう思うようになってきた。

 そして、それが私の勘違いの起源となるものであると言うことも、半ばわかりかけてきた。

 とは言え、今私の目の前には奴がいて、惰眠を貪っている。どうやら解放戦争に巻き込まれたようだ。私は一人、ほくそ笑みながら奴の臓物に意識を集中させる。

 段々と他の「奴ら」も集まり出す。私の周りはいつも、このようにして物騒な波紋が沸き立つのだった。だからこそ孤独を感じることもなかったのだ。その代わり、意識は散り散りになり、自分がどこへ向かっているのかもわからなくなる。もちろん行く当てなどないので、どこへ向かおうが構わないのだが。

 幾分、奴の臓物が赤みを帯始めてきた。この調子なら、そろそろ再び形を整え始める頃合いだろう。私は奴を待つことはせず、先を漂うことにした。

 薄情だと思われるかもしれないが、宇宙を漂っている身からしたら、さほどのことでもない。それに、きっと奴のことなのだ。また必ず私に追い付いてピラニックスでもしてくるはずだ。

 そうなると、私としても何千万回目かのピラニックス返しをしなければいけなくなる。

 それはそれとして、無茶なことをしでかしたと思う。奴のことではない。自分自身のことだ。

 奴が、そして「奴ら」が、私の周りで狂ったように

咲き誇り、泡立ち、開かれ、そして、追い抜き、やがて消えていく。

 私は涙が出てきた。とうに渇れ果てたと思っていた、あの涙だ。どこへ行き着くのか、何をすべきなのか、なぜ生きているのか、わからない。

 今まで隠してきた。見て見ぬふりをしてきた。そのどうしようもない感情に、私は静かに身を委ねたのだ。

 切っ掛けなど、ありはしなかった。ただ、心の赴くままに我が身を投じたのだ。何の音もしない宇宙間だった。それでも静けさの中に、懐かしい何かを感じとれた気がした。

 私は地に足が付かない心許なさを感じて、悲しくなった。そして、遥か昔に無くしてきた感覚がよみがえり、やるせなさが胸を締め付け、涙が溢れた。

 8億年かけて、私は今ようやくこの勘違いから解放されるのだ。考えると言うことは、生きると言うことであり、死ぬと言うことは、考えないと言うことなのだ。

 ようやく私は、「考える葦」から、その身を降りた。その行いは、残念ながらそう表現する他はない。

 ジレンマ、ジレンマ…。

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