3「引き金を引くのは最後の手段に」

 瀬那の妄言ともない言葉を聞いた後、僕はその先にある小さな空間で、ぽつりと置かれたテーブルの奥の席に座るよう促された。

「妄言じゃあない、ってば・・・」

 奥から瀬那が顔を歪めて迫ってきた。やっぱり、二つ縛りの長い黒髪が不似合いでぎこちなく奇妙な色合いを醸し出している。

 両手には小さな、片手サイズの銃が抱えられていて、察するに、非常に重そうだ。

「大翔は、おかしいと思ったことはない?」

 がたんっ、と重金属の凶器めいた音が響く。瀬那が僕を座らせた目の前のテーブルに片手サイズの銃を置いたのだ。

「意味、わかんねぇよ」

「どうして私たちが不適合者なのか。大翔のクラスって、妙な喧騒が多かったよね?」

 瀬那は両手をくねくねとさせながら含みのある笑みを浮かべて、首をかしげて、僕の迷いに満ちた瞳と視線を絡ませた。

 私たち、彼女はそう言った。僕が不適合者と呼ばれるように、彼女もまた、そう呼ばれるというのか。

「決して、大翔がおかしい訳じゃない。むしろあのクラスの適合者の方が問題じゃないか? そう思ったことはない?」

 瀬那は、座るとき膝に抱え込んだ猫の身体を撫でながら目を逸らした。

 僕の瀬那の質問への答えはyesだ。

 自分のクラスだけではない。高校入学という自分の環境の境目の辺りで、自分の周りの人間がどんどんと変わっていった――大人も子供も、友人、知人が――そして、いつの間にか僕が不適合になっていた。

 もしかしたら最初からそうだったのかもしれない。僕は不適合で・・・数ヶ月前からそう想い続けて、生きてきた。それを、今覆されるなんて。

 僕が返事をしないと、瀬那は僕の様子を見て答えを悟ったように微笑む。猫を撫でていた手を解き、テーブルに手を乗せる。

 猫が瀬那の膝に乗ったまま喉を鳴らし始めた。

「私たちの時期は、入学っていう節目があったからね、良かった。大翔は、生き残ったんだよ」

 瀬那が僕と会ってから初めて、ほっとしたような、優しい笑顔を見せた。

「・・・どういうことだよ」

「今から詳しく説明するけど、大切なことだから集中して」

 この空間に入ってから、意味の分からない言葉を言い続ける瀬那の説明を理解できるかという不安はあったものの、そのただならない声色に僕は姿勢を正した。

「まずは、大翔、私に協力してほしい。この世界は、去年から、歯車の外れたまま回ってしまっている。もう、前の世界の面影すらない・・・・・・」

 俯く瀬那に、歯車? と、言葉を放とうとしたが、

「とりあえず、最後まで聞いて。質問はまとめて受け付ける」

 と言われ、僕は口を閉じた。

「みんな、この世界に馴染んでしまっているけど、前の世界は、相手の気持ちを考えたり、相手を思いやったり出来た。でも、今はその部分の歯車が外れて、黒い感情だけが暴走しているの、この世界は」

 黒い感情が暴走する世界。まさに、僕の瞳が見る今の世界――。

 彼女の言葉に、胸の高鳴りと不安が止まらなくなる。変化したのは自分ではなく世界で、それでも僕は不適合で…。

 今までつっかえていた何かが、今にも溢れ出しそうだった。

「前の世界が当たり前で、今がおかしいって分かる人間は、私と、きっと、大翔くらいしかいない・・・・・・。歯車の欠如は、人との関わりで感情に伝染して、黒く塗りつぶして行くの」

「人との伝染、か」

 もしかすると、僕の音楽を聞く癖が、不適合な世界と――人と人との関わりを避けた僕の行動が、世界の変化を察知させなかったのか・・・・・・。

「やっと見つけたの、身近にいて、この状況が分かる人。だからね、大翔、協力して欲しい。私と一緒に、この世界を征服して、前の世界へ戻すための歯車を探して欲しい」

 瀬那は硬い声でゆっくりとそう話すと、僕に、頭を下げた。

 緊迫した空間の中で蛍光灯の光がカチカチと眩しいくらいに辺りを照らし続けていた。

「世界、征服・・・・・・」

 話が終わったのかと思い、僕が口を開くと、瀬那はまた頭を上げて話し出す。

「そう、世界征服。私が大翔をここに呼んだ理由は、その方法を説明したいから。この世界は、黒い感情は、相手の心の痛みが分からない。だから、私たちは、”やられた分だけやり返さなきゃ”いけない。を使って」

 彼女は少し重たそうに両手で目の前にあった銃を持ち上げて見せる。さっき持ってきた時からの重そうな表情からも、その銃は本物で、瀬那も使ったことがないだろう。

 でも、銃で人を殺していくということは、残酷で、なにより無謀な試みではないか・・・。

 しかし、瀬那はそんな僕の心を見透かしたように微笑んだ。また、優等生にはぎこちない皮肉っぽい微笑みで。

「これも含めてここの銃は、心に痛みを与えることを擬態化させるための銃。物体は何も貫通しないから安心して。それから、この銃は私がいつも使っているもの。大翔はあとで合った銃を入口のところから探して」

 自分の推理は、全て外れていた。

 瀬那はまた両手を使って銃を置いておいた場所に戻す。

 がたんっ、と重機特有の物音が部屋に響く。

 でも、こんな調子で銃を使いこなせているのか?

「今の私じゃ、この銃を持つどころか、使いこなすなんて無理。大翔も、今の状態で使いこなしはできない。感情の痛みのやりとりは、少し段階が必要なのよ。ま、聞いていれば使えるようになるから」

 物体を貫通しない銃と、感情の痛みのやりとり、やり返すという言葉。少なくとも日常的ではない――なんてレベルじゃない話になってきていることを感じて、僕は戸惑いながら意識的に集中を強める。

「"世界征服"として、やり返す意味は、痛みを‘気付かせる’ことと感染源を消滅させること。銃撃が効けば二度と戦場には足を踏み入れられなくなるの」

「・・・・・・相手の兵士を減らすのか。戦争みたいだな」

「まぁ、ね。でも、私たちは先制攻撃が出来ないルールなの。やり返すことしか・・・」

「やり返すだけの、戦争? 不利極まりねぇな…」

「………まぁ。この銃が効かない人間が、無意識に歯車を持っているはずなの。歯車には万物の感情を司っている器が宿っている。どの銃だって効かないくらい・・・1人の人間にはあまりにも大きすぎる。きっと、本人は相当苦しんでいる。あ、歯車の説明がまだだったね」

 これで本当に最後、と言いながら彼女は両手を組んで背伸びすると、姿勢を正して僕に問いかけるように再び話し始めた。

「私たちの世界には、感情っていう、言葉では説明できないようなものがあるでしょう? それは、億年樹って呼ばれる・・・・・・いわゆる、魔法のような樹木が根源なの」

 感情を司る根源が、この世界に存在する。それだけで僕はまた驚いた。

「初めは私も驚いたんだけど、億年樹は全ての感情を司っていて、生きているもの、またそうでないものまでの感情の根源となっているの。

命の泉にある水は愛の象徴。樹の成長のために身を投じる・・・。

そして億年時計は無常の象徴。やがて樹は時計に従い、果実を実らせ葉を散らせる・・・。億年時計が、億年樹の終わらない成長を、無常という惰性を、スムーズに回していたの」

 つまりは、感情の根源を支える水とその樹の体内時計の約割みたいなものか。

「だけど、去年、その時計に何があったのか――歯車が一つ足りなくなった。そのせいで、億年樹は狂い始めて、生み出すべき感情の果実が偏ってしまった。これが、黒い感情の暴走の契機よ」

 私が調べられたのは、ここまで。と、瀬那は安堵したように溜息を吐いた。

 彼女は、不適合者と呼ばれ、そこからこんなにもの情報を集めたのか。そう思うと自分の不甲斐なさが悔しくなる。音楽で耳を塞いで来た日々を、少しだけ悔しく思った。

「よく、ここまで頑張ったんだな」

 僕が彼女を見つめると、「こんなの、偶然だから」と、とっさに僕から目を逸らした。

「無意識とは言え、歯車の持ち主がこの地域に住んでいる。・・・・・・ってことが、ここ数ヶ月で分かったの。ま、億年樹の付近は今度行きましょう。行かないと説明が難しいから。つまり、私は大翔と一緒に世界征服をしながら歯車の回収をして、歯車が壊れた原因を突き止めたいの。質問は?」

 僕は、全てを聞いて、質問する気力を無くした。どんな情報量だ・・・・・・。

 その銃は何だ? 歯車って、この世界は何が起きていて、瀬那は、一体何を知っている? だいたい、二人で世界征服なんて、何を言っているんだ? 質問を浮かべては、なんだかその質問が陳腐なものに感じては、消えてゆく。

 ただ、瀬那の言うことが事実ならば、何も分からない作戦に、乗りかかった奇妙な船に、乗りたいと、そう思った。

 だからその代わり、

「とにかく、俺は何をすればいい?具体的に」

 と、出来る限り余裕を見せて、つまりはかっこつけながら、唐突に聞いてみた。

「・・・ま、百聞は一見に如かずね。実践に移りましょう。最初に、戦闘服を着てみて」

 僕の言葉を最初から読んでいたかのように、瀬那はすぐ側にかかっていた服をとり僕に手渡す。瀬那の膝でうとうとしていた猫がびくっ、と起き上がる。

 実はその反応に少しがっかりしたけれど、なんとなく、出会ってすぐだけれど、彼女らしい反応だと感じた。

 戦闘服――本物ではないとはいえ銃を使うのだから、あっても不思議ではないか。

 しかしその服は、戦闘服というよりは、

「派手な学ランみたいだな? 腕のは、風紀委員の紋章?」

「制服みたいなものよ。億年樹の賜物ね。私も、この服を着ればあの銃だって片手でふらふら持ち歩けるわ。あ、更衣室はそっちね」

 瀬那は向かいのドアを指さして、似たような服を一着、手に取る。お互い、防備グッズのようには思えないデザインだ。

 僕はその様子を見ながら、更衣室に入ってドアを閉めた。

 ドアを閉めきる一瞬前、その隙間から

「これからよろしくね、相棒さん」

 という声と瀬那の明るい笑顔が見えた。

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世界征服の手引き 剣崎一 @naaase5040

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